サンストーンの安寧
人目を憚りながらも、マイケルはコールの家へと向かった。マーガレットにも、公衆電話から連絡を入れてある。久しぶりの家族三人の邂逅だ。嬉しさのあまり、家へと向かう足がどんどん早くなる。色々な不安や不満、考えることは多いがそれも全部忘れ、家族の笑顔が見たい、その気持ちで一杯になる。
シンプルであるが高級感のあるドアの前に立つ。ドキドキと胸が高鳴る。インターホンに手を伸ばし、おずおずと押した。中からバタバタとかけてくる足音が聞こえてくる。
バタンと凄い音を立ててドアが開いた。
「ミック!」
声とともに物凄い勢いでレベッカがマイケルに飛びついた。否、これは飛びかかったに等しい。両手で彼女を支えながらも、ぐっと足を踏ん張ってこらえる。そのままぐっと彼女を抱き上げ、ドアの内側へと入る。あまり長いこと外にいたくなかった。後ろ手にドアを閉めてからレベッカから体を離し、腰をかがめて彼女の頬にキスをする。
「ただいま」
「……っのっ……バカッ!」
バシンと胸を叩かれ、今度こそマイケルはよろめく。我が姉ながらすごい力だな、と苦笑い。彼女の言いたいことも分からなくもないので、文句は言わず素直にその痛みを受け止める。バカバカ、と言いながら胸を殴るレベッカに苦笑いをしていると、くすくすと慎ましやかな笑い声。
「レベッカ、その辺にしときなさい」
「メグ!」
レベッカが離れる。マイケルは微笑んで両手を広げる姉にハグをする。マーガレットはそんなマイケルの頬にキスをした。マイケルも彼女にキスを返す。
「おかえり、無事でよかった」
優しい声色の彼女に、マイケルはぐっと涙がこみ上げてきそうになるのを堪えた。自分の家ではないのに、家に帰ってきた、そう確かに感じた。
「……家族の再会を邪魔して悪いんだが、奥に入ったらどうだい?」
申し訳なさそうな声に、レベッカとマーガレットが振り返る。その視線の先には、目を細めて眉を下げた男が立っていた。きっちりと着込んだダークグレーのスーツは、体型にぴったりとフィットし、上質なオーダーメイドであることがわかる。視線を落とすと、彼の革靴はいつもピカピカに磨かれている。相変わらず絵に描いたようなジェントルマンだな、とマイケルは思う。それはマイケルに父の死を告げた時も変わらなかった。
「お久しぶりです、ミスターコール。いつもレベッカをありがとうございます」
ぺこりと深く頭を下げる。彼の手がポンポンとマイケルの頭に乗せられた。彼の手はいつも白い手袋がはめられており、手のひらと違い湿度がない。少し不思議な感じがした。
「いやいや、君たちのお父さんには散々世話になっていたからね」
朗らかに笑う彼に、マイケルは再び申し訳なく思いながら頭を下げた。
「いや、でも跳ねっ返りのレベッカのことだから」
「ちょっと、ミック!」
レベッカが顔を真っ赤にして怒る。しかし、マイケルは飄々とした顔をしてにやりと笑う。彼女は憧れのコール叔父さんの前ではマイケルに暴力を振るうこともないし、いつもほど声を荒らげたりもしないのだ。我が姉ながら、可愛いもんだと思う。
「レベッカはいつもいい子にしているよ。家事もしてくれるし助かっているさ」
そう言われると、すぐさまレベッカの顔がぽーっと夢見る乙女の顔に変わる。家にいたときは全部マイケルに放り投げていたくせに、などと言ったら後が怖いため言えない。人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬのがオチだ。
「あらあら、レベッカが色々なことをできるようになってて私嬉しいわ」
おっとりとした声で、マーガレットが口を挟む。
「もう、メグまで!」
慌てるレベッカと、それを見て笑うコール、にこにことしているマーガレット。以前と何も変わらない様子に、マイケルはまた涙ぐみそうになった。さぁ、と促されるままに中に入る。物が少なくシンプルだが、上質なものが多く、コールのセンスの良さが伺えた。前来たときと違うのは、それらの中にレベッカの物が混ざっていることだ。
「さ、疲れているだろう、とりあえずコーヒーでも淹れてくるよ」
「あ、私がやるわ!」
コールがキッチンに向かうのをレベッカが追いかけていった。マイケルはマーガレットと共にリビングへと向かい、ソファーに腰掛けた。ふわりと柔らかい感触と共に体が沈む。こんな上質なソファーに座るのも、いつぶりだっただろうか。
「ミック、元気だった?」
マーガレットの優しい声。微笑んではいるが、彼女の眉尻は下がり、心配そうだった。それはそうだろう。いきなり弟がマフィアに追われて町を出たのだ。マイケルはぐっと口角を引き上げて、元気だよ、と答えた。マーガレットの眉が更に下がる。
「嘘ね」
嘘じゃない、と言おうとしてマイケルはやめた。二十余年も共に生活してきた姉に今更そんな嘘をついたところで嘘臭さに拍車がかかるだけだろう。マーガレットは三人の中で特に人の表情や仕草に敏いため、マイケルが嘘を吐いたところでいつも見抜かれてしまう。
「メグは、いつもそうだよね。僕が学校でいじめられてた時も、レベッカのおもちゃ壊した時も、真っ先に僕の嘘に気づいた」
彼女はそっと微笑んでマイケルの手に自分の手を重ねた。
「だって、私の大事な弟だもの」
ミック、マイエンジェル。彼女の唇が柔らかい音を紡ぐ。あまりにその言い方が母親そっくりで、とうとうマイケルの目に涙が盛り上がる。マーガレットもレベッカも辛いのに、何も解決できていないのに、そういったことが頭を駆け巡る。しかし、そっとマイケルの手をさする指先に意識がいった瞬間、もう駄目だった。堪えきれない涙がこぼれ落ちる。
「……メグっ……」
情けない顔を見られたくなくて、マイケルはマーガレットの肩に顔をうずめた。伸ばされた彼女の手がマイケルの背中を撫でる。
「ほんと、ミックは泣き虫なんだから」
こうやって彼女に背中をさすられるのは何度目だろう。この姉とは、喧嘩をしたことすらない。
「父さんに叱られて泣いてる時も、レベッカと喧嘩した時も、ジェリーが死んだ時も、いつも姉さんが慰めてくれた」
父親にテストの点を自慢して突き放されたときも、姉二人と違って褒めてもらえなかった時も、いつだって。母はマイケルには甘かったが、父親を止めてはくれなかった。マイケルは、父に笑いかけてもらった記憶がほとんどない。
「……僕はメグみたいに優秀じゃないから。だから、父さんも跡取りはメグにと考えてたんだろうし」
現に、マイケルには厳しかった父が、マーガレットのことは褒めてばかりだった。そのことを思うと、悲しみよりも諦めが勝る。ようやく涙も落ち着いてきて、ぐっと目元を拭って体を離す。そこには、困った顔をしたマーガレットがいた。
「いつもミックはそうやって言うけど、いつも貴方は誰よりも愛されてたわ。勿論跡取りも貴方だったはずよ」
「本当に?」
何度目かわからない質問。マーガレットは肩をすくめる。
「なんならコールに聞いたらいいわ」
彼女の朗らかな笑みに、肩の力が抜けていく。そうすると、今度は罪悪感が湧いてくる。彼女も友達の家などに隠れて気の休まらない日々を送っているだろうに、こんな風に何も考えずに頼ってしまう自分が恥ずかしかった。
「お邪魔しても大丈夫かな」
コンコン、とドアが叩かれる音に振り返ると、壁にもたれたコールと、その後ろから顔を出すレベッカ。マイケルが落ち着くまで席を外していてくれたのだ。さっと顔に血が集まっていくのを感じた。レベッカの口が、パクパクと動く。その口は、よくマイケルをいじめていた幼い頃から変わらないセリフを描いていた。やーい、泣き虫、だなんて、こんな年になってまで言われるのは流石に恥ずかしい。彼女はコールには見えないようにやっているのがタチが悪かった。
ことりとマイケルの前にカップが置かれる。コーヒーのいい香りに、思わず微笑む。目の前にコールが座り、左右に姉が座る形になった。
「マイケル君お疲れ様。話はだいたいレベッカから聞いているけれど……大丈夫かい? 何もできなくて悪いね」
「いえいえ! むしろ姉のこと、ありがとうございます。葬儀の際もお世話になりましたし」
申し訳なさそうな顔をするコールに、マイケルはひたすら頭を下げることしかできない。コールには世話になりっぱなしである。
「男の一人暮らしに華が添えられたよ。君たちのお父さんには散々世話になったしね、これくらいなんてことないさ」
そう言って笑う彼の目元にシワができる。普段はキリリと涼しげな目元だが、そうして笑うと少し表情が柔らかく見えてそれもまたいいのだとレベッカが夢見心地で話していたのを思い出す。
「でも、人一人いるのなんて大変でしょう」
「私は別にお金を使うところもないからいいんだよ、子どもはそんなこと気にするんじゃない」
さらりとそんな言葉が出てきてしまうのが格好良いなぁと、思わずマイケルも感嘆の溜息を漏らしてしまった。ちら、とレベッカを見れば、彼女に至ってはそろそろ目がハートになるんじゃないかと言うくらいピンクのオーラを撒き散らしていて、マーガレットと目線を合わせ、肩をすくめた。
「ところでマイケル君、君が追われている理由は何もわからないのかい?」
「なんか、父の黒水晶の指輪が目的みたいなんですけど……」
ふむ、と彼は頷いた。視線がちらりと何かを思い出すかのように動く。
「あれか」
「多分それです」
頷く。おや、とコールが不思議そうな顔をする。
「いつもエリックがつけていたやつだろう? 葬式の時彼の指にはなかったし、差し押さえられてないなら君が持っているんじゃなかったのかい?」
「持ってませんよ」
マイケルは眉尻を下げた。持っていたら話は早い。マイケルにせよジェリーにせよこんなに困ってはいないのだ。
「私はてっきり君が持ってるから追われるのかと」
「なんで僕が持ってるんですか」
思わず声を荒らげてしまい、マイケルはハッとした。いくら長旅にイラついているからと言って、お世話になっている相手にこれはないだろう。コールも目をぱちぱちと瞬かせているし、マーガレットはマイケルをたしなめるような顔をしている。レベッカに至っては完全にジト目だ。
「……持ってる訳ないです、あれは父の指輪ですよ?」
「君が次の跡取りだろう? だからてっきり持ってると思ったんだよ。ナイーブな時にすまなかったね」
跡取り。その響きにふっとマイケルは表情が抜け落ちたのを感じた。どうせ父はマイケルには期待していなかったのだ。それを感じ取ったのだろう、コールは苦笑いを浮かべた。
「エリックは確かに君に少しきつかったけれども、愛してなかった訳じゃないんだよ」
父はマイケルを愛している、ずっと母も姉もコールも言っていたが、マイケルはそれを実感した試しがなかった。憎まれていると思ったことはないが、それでも見捨てられているのではないかという不安はいつだってあった。
「父は、メグを跡取りにと思っていたはずだ。僕だって憎まれてると思ってる訳じゃない。ただ、どちらかといえばの話だよ」
「ミック」
とうとうマーガレットが嗜めるように声をあげた。コールが穏やかな声で話を続けた。
「エリックはいつもどれだけマイケルが大事な息子か私にずっと話していたよ。自慢の息子だってね。だから私はてっきり」
ひょいっと肩をすくめるコールに、マイケルはそう言われてもやはりその言葉を額面通りに受け止めることはできず、曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。




