アクアマリンの行方
マティーニ片手に、アビーは溜息を吐いた。マイケルとジェリーは、彼女の行きつけだというフランクな雰囲気のバーに連れ込まれ、小一時間程愚痴に付き合わされている。
思っているより苛烈な酔い方に、本当はこんなキャラだったのか、それともそれ程までにストレスが溜まっていたのか知らないが、マイケルは困惑した。
「ほんと、最近いいことないの。仕事はうまくいかないし、車には轢かれかけるし、っていうか、そもそもなんかどうも集中できないというか、ぼーっとしてるというか」
「まぁ、そういう時期もあるだろう?」
三十分を超えた辺りでジェリーはもはやアビーの胸元しか見ていなかった。強いて言うなら、脚と尻も見ているが。本当にろくでもない。その太ももを軽く叩いて嗜める。
「なんだよ、良いだろ?」
「いい訳あるかよ。少しは自重しろよ」
酔った彼女には聞こえないように、少し顔を近づけてこそこそと喋る。それを見てのけものにされていると思ったのか、彼女が口を尖らせながら身を寄せてくる。彼女の豊満な胸がマイケルの腕にあたって、思わず腕を引く。女性ならではの甘いようないい香りがして、余計にいたたまれない。
ジェリーがにやにやとしながら、チェリーボーイと言いうのが聞こえて、今度は太ももをつねりあげてやると、彼の顔が歪む。少しスッとした。
「うーん、疲れているとかじゃなくて?」
「体調も悪くないし、睡眠も食事も生活習慣も何も悪くないのよ? 病院にも行ったし」
やんなっちゃう、と再び溜息を吐いて彼女は机に突っ伏した。
「その上夢遊病だなんて!! 私、婚約してるのよ!? ようやくここまで漕ぎつけたのに! どうしよう、こんなの分かったら……!」
「大丈夫だって、ね?」
「だって、そんな女嫌じゃない!? 婚約破棄とかされたらどうしよう!」
だからあれ程までに青い顔をしていたのか。マイケルは必死で慰める。ジェリーは相変わらず顔色ひとつ変えずにひょいと眉を上げて自分の耳元を指した。ピアスのことを言っているんだろうが、いきなりそんな話は出来ないし、彼女の耳に触ったらセクハラもいいところだ。
「アビー、もう遅いし、帰ろう? 送っていくから」
「そうね、うん。そうするわ」
少しふらつく彼女をジェリーが支える。それ程多くを飲んだ訳ではなかったが、強い酒を割とハイピッチで飲んでいたからしょうがないだろう。二回酔いになっていないといいが。
店を出る時、入ってくる客とトンと肩がぶつかった。すみません、と頭を下げる。いえいえ、と答えた彼の目は見開かれ、何かに驚いているようだった。
「……えっと、すみません、何か?」
「い、いや、ちょっと知り合いによく似ていてね」
他人の空似。世界には似ている人が三人はいるらしいしな、とマイケルは思った。へぇ、と思っている間に彼は、携帯を取り出して電話をし始めた。口調の硬さを考えるとビジネス相手だろう。バーに来るような時間ですら仕事があるとは、頭が下がる、そう思いながらマイケルはアビーとジェリーを追いかけた。
「大丈夫?」
「大丈夫よ、歩けるわ」
ジェリーをぐっと押しのけ、一人でずかずかと歩いていく。マイケルとジェリーは顔を見合わせ、苦笑いをし合った。隣に並ぶと、なによ、大丈夫よ、と怒られるので、何かあっても大丈夫なように、ふらつく彼女の少し後ろを歩いていく。
ふらふらしながらも、アビーの家の前まで戻ってきた頃には彼女の酔いもだいぶマシになり、真っ赤に火照っていた顔色も普通に戻っていた。
「……ごめんね、迷惑かけちゃったわね」
すまなそうに言う彼女に、ジェリーがひょいと肩を竦める。
「ビーナスと飲むのを迷惑だと思う男がいるか?」
「大したことしてないよ」
マイケルもそう重ねると、アビーはにこり、と出会った当初のような人好きのする笑顔を浮かべた。
「ありがとう! 貴方たち、まだこの街にいるの? いるんだったら明日はお昼ご飯お礼に奢らせて!」
そんな、と断ろうとしたマイケルを制して、ジェリーが口を開く。
「それは嬉しいな。場所は、こいつが君と出会った喫茶店でいいか?」
彼女が頷いて、それから手を振る。
「なら、明日の正午に!」
「じゃあな」
「またね」
ひらりと手を振り、マイケルとジェリーは踵を返した。さぁ、モーテルに戻ろう、そう思った矢先、響く悲鳴に二人は勢いよく振り返った。
「今の悲鳴……!」
アビーが男に引きずられていくのが目に入る。その男は、先ほどバーでマイケルがぶつかった男で、マイケルは息を呑む。ジェリーがすぐに銃を取り出して構えた。アビーを攫う男が、と彼女の頭に銃を押し当てているのが見える。このまま発砲したら彼女が殺されるかもしれないし、彼女に当たるかもしれない。
「ジェリー! 駄目だ!」
ジェリーも男の持つ銃が見えたのだろう、舌打ちをして銃を下ろす。男はにんまりと笑った。にやにやとしたいやらしい笑みだった。
「明日の、正午に喫茶店でな。そうしたら女は返してやる」
そう言うと、嫌がって暴れる彼女を車に押し込み、男は走り去った。
ジェリーとマイケルは慌てて自らの車に駆け寄り、ハンドルを握った。ハッとマイケルはあることに気が付く。
「おい、飲酒運転……」
「んなこと言ってる場合かよ! それに、あのくらいの量なら引っかからねぇ!」
ジェリーがエンジンをかけ、アクセルを踏むが、ガクンと車が揺れ、止まった。
「ダーミット!」
ジェリーが叫ぶ。彼は車を止めると、慌てて車を降りて前を確認しに行った。前輪の前に、やたらと大きな石が置かれていた。後輪側に何もないことを確認し、ジェリーは一度バックで下がってから車を出す。
しかし、いくら車を走らせたところでタイムロスが大きかった。アビーを乗せた車は見つからない。完全に見失ってしまった二人は、すごすごとモーテルに戻るしかなかった。
翌朝早く、ジェリーは飯を買いに行くと書き置きを残して車を出した。二人共、昨夜は下手に動き回っても意味がないし疲労が溜まるだけだろうと判断し、すぐに寝た。しかし、ジェリーは今朝早くに目が覚めてしまい、どうにも落ち着かなかった。別に理由はなんでもいいから動いていたかった。
息を吐いて、何気なくルームミラーを見る。
「うわあああ!」
ジェリーは驚きながら隣を見た。思わずハンドルを手放しそうになる。口をパクパクとさせていると、そこにしれっと座っている悪魔が口角をあげた。びっくりして、ばくばくと脈打つ心臓に、静まれ、と無意識に胸に手を当てる。
「見つけたじゃないか」
前置きも何もなく、彼は話しはじめる。いつもDの話は唐突過ぎて何を言っているのかが分からない。アクアマリンのことだろうか、と少し考えて思い至る。
「……ろくでもない物だってことは分かった」
「別に大したものじゃない。ただ、ちょっと前の持ち主のとこに戻りたがってしまってね」
へらへらと笑うDに、ジェリーは眉を寄せる。
「……悪魔の大したものじゃないなんて、信用に値しない」
「信用がないな。まぁいいや。ところで、いいことを教えてあげるよ」
彼の顔は穏やかで、好青年のようにも見える。けれど全く食えないことは数回の邂逅でよく理解していた。いいこと、と言われてもいいことだった試しがない。むしろ、彼のせいで厄介事に巻き込まれている気すらする。
「ジェリー」
「その名前で呼ぶな」
「別にいいじゃないか。ジェリー。俺はね、ジョージ……お前の父親と契約してここにいるんだ」
アンバーが嗤う。ギリ、とジェリーは奥歯を噛み締めた。幼いジェリーをスラムに残して消えた父親は、更に今になってジェリーに厄介事を持ち込んだというのか。そんなにも、ジェリーは彼にとってどうでもいい存在なんだろうか。
「……なんだよ、なんなんだよ……」
「まぁ、そういうことだ。あ、それと、マイケルをあまり宝石に近づけ過ぎるなよ」
「……どういうことだ」
突然出てきたマイケルの名前に、ジェリーは怪訝に思う。Dはあくまで詳細を語らず、いつものようにはぐらかした。
「なんでも、だ。あの子はね、危ないよ。気をつけて。今回は既に宝石が彼に引き寄せられてしまったようだけど」
「おい」
すっと視線を向けると、彼は既にいない。探したところでどこにもいないだろう。ジェリーは諦めて再び運転に意識を戻した。
彼と話した後は、必要以上に疲れる。体の力を全て抜いて、勢いのまま背中をシートに預ける。
「……ダミット」
分からない事だらけで、疲れた。ふっと眠気が押し寄せる。このまま運転しているとそのまま眠って事故でも起こしてしまいそうだった。
路傍に車を止め、シートを少し下げる。少しだけ、少しだけでいいから、と目を閉じる。すぅ、とあっという間に眠りに誘われる。最近は、あまり眠れている気がしなかった。




