アクアマリンの行方
「あぁ、そりゃアビーだな」
マイケルが女性の特徴を尋ねると、喫茶店のマスターがグラスを拭きながら答えた。
「なんだ、アビーに惚れちまったか? 兄ちゃん。本名は、アビゲイル・ブラウンだぞ?」
屈託なく笑われ、マイケルの頬がかぁと朱に染まった。ジェリーはにぃと笑ってマイケルの肩に腕を回して返す。
「そうそう、こいつがさ、一目惚れとか言って。俺もあってみたいなー、なんて思ってな」
じろっとマイケルがジェリーの方を見たが、そんなことなど気にしない。マスターはそうかそうか、と楽しそうにしている。ほら見ろ、成功した。
「残念だったな、アビーは彼氏持ちだぞ?」
「あー! 残念! そりゃ、美人だもんな、いるよな」
でも、とジェリーは畳み掛ける。
「どうしても! 思いだけは伝えたいってこいつが言うから!」
「おいジェリー」
マイケルが不服そうな声をあげる。いいじゃねぇか別に、と目で訴えるが、睨み返されただけだった。
「照れるなって! シャイなこいつのためと思って、ね! その子とどうやったら会えるか教えてもらえないか?」
軽くマイケルの足を踏みつけて、マスターへと視線を移す。あくまで和やかに、和やかに、だ。マスターは完全に野次馬根性丸出しの顔をしている、これはいけるはずだ。
「アビーなら、だいたい昼は二日に一度はここに食べに来てるよ」
よっしゃ。と思った瞬間、アウチ、とジェリーは声を上げた。マイケルの足が、しかもかなり強い力でジェリーの足の上に乗せられている。
自分が彼女を好きだということにされ、しかも振られたことが相当お気に召さないと見える。舌打ちをして睨むと、べ、と舌を出された。いいじゃねぇか、内心呟く。彼は、思っている以上に短気だ。
「それで、マスター、そのアビーって子はどんな子なんだ? このカタブツが好きになった子なんてどんな子なのか気になるな」
肘鉄が脇腹に入ったが、気にしない。この野郎、あとで締める。情報は一つでも多い方が、動きやすくていいだろう。それくらい分かれよと思うが、口に出す訳にはいかない。
「アビーなぁ。サバサバしてて、明るくていい子だよ」
にこにこと話すところを見ると本当にそう思っているのだろう。あとは、と彼は少し目線を上にやり何か思い出そうとしている仕草を見せた。
「そうだな、美人だ」
「マイケルじゃなくて俺が出会っておきたかったよ」
何の役にも立たない情報だった、とがっくりときながらも、肩を竦める。俺はその間、訳のわからない悪魔とランデブーして昼食を食いっぱぐれるよりも、美人と昼食の方がいいに決まっている。面白そうにマスターが笑った。
これだから冗談の伝わる相手はいい。視界の端のマイケルは渋い顔をしている。これだからジョークの分からないやつは。
「それじゃ全然どんな相手かわからないじゃないか!」
「うーん、そうだな……おっぱいが大きい」
下世話な顔をして、胸元で胸を支える仕草をするマスターに、にやりと笑って口笛を吹く。
「そりゃいいな」
「……やめろよ、ジェリー」
マイケルを差し置いて二人でけらけらと笑った。
「そういえば」
ふと、何か気がついた顔をしてマスターが笑みを収める。
「最近はちょっと暗い顔してるけど、なんかあったのかねぇ」
おっ、これは、という思いが顔に出そうになるのを押しとどめておどける。
「だとさ、今が押しどきだぜ?」
「弱みに漬け込むようなこと、僕はしないから」
天使のような顔ばせを、マイケルはぎゅぅと歪めた。可愛い顔が台無しだぞ、と言いたいが怒られる気しかしないからやめた。彼はむっつりとしたまま水を口にしている。
「昼間は元気そうだったけど……」
「まぁ、知らない相手だからだろ。最近は妙に黙り込んだり、ふらふら幽霊みたいな足取りで出て行ったりするんだよなぁ」
顎を撫でながらマスターは出来上がったサンドイッチと共に一枚の紙を机に置いた。
「頑張れよ、若人よ!」
パチン、と愛嬌のあるウインク。もう片方の目も潰れかけたちょっと不器用なものだったが、悪くなかった。ジェリーはにっと笑って紙をポケットに入れた。
「サーンキュ! あんた最高だぜ!」
イェイ、とマスターとハイタッチをする。マイケルは横で肘をつきながら頭に手をやり、首を振っている。いいじゃないか、これで彼女の住所も手に入れた。正直、ちょっと無用心だと思うけどな、とは間違っても口には出さない。
腹ごしらえも済んだ、さぁ、探しに行くか、と立ち上がる。
「またくるよ」
「おぉ、うちを繁盛させてくれ!」
チップを少し多めに置いて出る。カランカランと入口のベルが鳴った。
すぐに車を飛ばして住所の家に向かう。今日はもう遅いから家を訪ねることは出来ないし、やめておこうと言ったが、それでも下見ということで、とジェリーに言われ渋々やってきたのだ。彼はどこか焦っているようにも思えたが、元々少し落ち着きのないところがある彼だ、仕方がないとマイケルは諦めた。
本当ならば、追っ手が怖かったし、正直モーテルに引きこもってゆっくりと睡眠でもとっていたかった。車を路肩に止めてシートを倒して寝るなんてこともままあることで、体の疲れは取れないし、ベッドが恋しい。
一人ででも行く、とまで言われてしまえば付いて来ざるを得ない。ただの役立たずはごめんだし、全部任せきりというのもどうにも気分が悪い。
溜息をつきながら前を見ると、ふっと視界を黒いものがよぎった。車の前に立つのが人だと思った瞬間、二人は悲鳴を上げた。
「ジェリー!」
「うぉっ!?」
ジェリーが慌ててぎゅっとブレーキを踏む。車は、目の前の人の本当にギリギリの場所で止まった。ジェリーが盛大に舌打ちをして、窓の外に顔を出した。
「おい、危ないぞ!」
ジェリーが叫んでいる横で、マイケルは車を降りた。目の前に立つ人には見覚えがあった。少し丸まった背中と覇気のなさは、昼間見た姿とは随分異なっていたが、確かに彼女だった。
「……えっと、アビー……? だよ、ね?」
軽く肩に手を置くと、彼女の体がびくりと跳ねた。彼女の顔がこちらを向く。どこか焦点の合わなかった目がきゅうっ焦点を結び、マイケルを見た。
「……あ、れ?」
「大丈夫……? とりあえず車道の真ん中は危ないから」
彼女の手を軽く引き、歩道へと戻る。彼女は頭に疑問符を浮かべたまま、マイケルに引かれるまま歩いた。
「えっと、私、どうして、え?」
彼女は、戸惑ったようにずっとぶつぶつと言っている。ジェリーが脇に車を停めてやってきた。異様な状況に一瞬眉を寄せてから、ひょいっといつものように眉をあげる。
「美人がこんな夜中に一人歩きか?」
軽薄なナンパにも聞こえるそれに、彼女は首を振った。
「そんな、私、覚えてないの」
その顔は強張り、動揺が顕だった。嘘を言っているようには見えない。ジェリーは不思議そうな顔をして肩をすくめた。
「夢遊病か? 気を付けないと悪いオオカミさんに食われちまうぞ?」
ガオー、と両手でジェスチャーをつけるジェリー。その姿に、青い顔をしていたアビーはくすりと笑った。
「貴方がそのオオカミさん?」
「可愛い赤ずきんちゃんをとって食えるなら悪くないが、猟師にズドンとやられるのはごめんかな」
そう言ってマイケルを見る。邪魔って言いたいのか。
「もう! 私、恋人いるのよ?」
そう言いながらも彼女は悪い気がしないようで、くすくすと笑っている。ジェリーのくだらない口説き文句もたまには役に立つようだ。少し落ち着いた様子の彼女に、マイケルは横から声をかける。
「アビー、こういうこと、よくあるの?」
さっと彼女の顔色が変わる。彼女の口がきゅっと結ばれる。ジェリーが彼女の後ろで口元だけで馬鹿野郎、とマイケルに言った。どうしよう、とマイケルはできるだけ穏やかな声色を心がけながら語りかけた。
「アビー。僕達、どうせすぐこの街から出てくんだ。悩みがあるなら、吐き出しちゃっても誰にもわからないよ」
ね、と首を傾げると、彼女は細く長く息を吐き出した。自身を落ち着かせるように、彼女は乱れた髪を耳にかけ直した。
ちらりと覗く、昼間も見た煌き。
「そうね……言ってもいいかしら……でも素面じゃ喋りづらいわ……」
少し疲れたように、眉を下げながら彼女は笑った。




