ラピスラズリの秘密5
ケヴィンのバーで待っていると、ゴツゴツとした装甲車のような車が前に付けられた。視線をケヴィンに向けると、こくりと無言で頷く。それを見てマイケルは荷物を背負い外へと向かう。
「乗れよ」
ジェリーが運転席の窓から顔を出す。その手は車の右側、助手席を指さしていた。マイケルはわかった、と言い、ボンネット側を回って助手席に乗り込んだ。ちら、と硝煙の香りが鼻を掠めた気がしたが、ケヴィンが用意してくれた銃弾であったり、ジェリーの作業着に染み込んだオイルの匂いだったりと勘違いしたのだろう、と結論づける。
「車、持ってたんだ」
「廃車を組み合わせて仕上げた俺のスイートハート。傷つけたら殺す」
シシー、と名前を呼んでハンドルにキスするところを見ると、とんでもなく愛着を持っているらしいことはわかった。廃車を組み合わせた、と言うが、乗っていて違和感がないところを見ると別段使用するのに不都合はないようだ。
「可愛がってりゃ何年でも使える」
ご機嫌でハンドルを握っている。なんなら鼻歌なんか歌っているし、車内にかかる音楽はハイなロック。音が大きい、と音を小さくすると、ジェリーに嫌な顔をされた。だからといって、再び音量を上げたりはしなかったが。
マイケルは、自分の家のソファのようにシートにゆったりと背中を預けた。今から気を張っていたら、持たなそうだ。
「……どこへ行く?」
「どこへでも!」
ははっと笑って答え、音楽を古い名曲に変える。どこまででも行ける、この道を、思ったようにまっすぐ行けばいい、なんて歌詞だった。そんなこと言ってる場合じゃないのに、と思う。
何に気にするでもなく、鼻歌をやめて、今度は声を出して歌いながら運転をするジェリー。楽しそうに声を上げる姿は、とてもじゃないが街を追われたばかりとは思えない。まるでちょっと旅行にでも出かけるがごとく、ご機嫌な様子。苛立っているマイケルとは正反対だった。
「ジェリー」
「なんだ」
「なんでそんなご機嫌なんだよ」
先ほどまでマイケルに対して怒りを顕にし、もうこりごりだ、と言った風だったのに、家から戻ってきたと思ったらこれだ。彼がやってくるまでの間、マイケルは沈痛な面持ちをして、これからのことを真剣に憂えつつ、出来ることがあればなんでもしよう、死んでもこの恩は返さなきゃいけない、そんなことを考えていたのに。気を揉んだ自分が馬鹿みたいじゃないか、と嫌味を込めて尋ねると、サビを歌っていた彼は、自分の声で聞き取れなかったようで、首を傾げながらサビを歌いきった。上手いのが逆に腹立たしい。盛り上がりの終わった後、マイケルは再び同じことを尋ねた。
「そういえば、俺はあの街を出たのは初めてだ」
旅行みたいなもんだよ。ジェリーは目を細めながら言った。視線は運転のために道路を見つめているようでいて、その先に続くどこか、あるいは希望ある未来、はたまた夢の世界でも描いているようにも見えた。ただ、その先は宛のない荒野だとマイケルは思う。
旅行みたいなものだ、そう言った彼の言葉は単なる気休めや慰めには聞こえなかった。だからこそ、マイケルは驚いた。マイケルだったらこんな状況で逃げるようにして、いや、実際街を逃げ出して来ているのにそんな風に思えない。こんな風に何事もなかったかのように切り替えられない、笑えない。
クレイジーだ、スラムに足を踏み入れてから、幾度となくそう思った。勿論、いいやつもいる。だからといって、ここはマイケルの来るような場所じゃなかった。まともで親切に見えるジェリーも、まともなんかじゃない。ずれている。壊れている。おかしいことがおかしいと分からない次元まで、歪んでいるのだ。
「まぁ、楽しめよ」
隣で笑う男が、途端に恐ろしく見える。マイケルは目を閉じる。父母が死んでから抜けない疲れを全身に感じる。
「……ごめん、疲れたから寝ていいかな……」
「おー、寝とけ寝とけ。起きた頃には違う街さ」
ジェリーはからからと笑う。マイケルが普段聞かないようなロックミュージック。陽気な歌声。ぬるり、と睡魔に引きずられる。
マイロード。せめて夢位は、穏やかでいさせて。
「マイケル……マイエンジェル」
意識の薄れてきたマイケルの頭に響く男の声。父に、そんな風に甘い声で囁かれた記憶なんてないのになぁと、死んでしまった今では苦笑いしかできなかった。
マイケル。マイケルを呼ぶ父親の声は固い。姉二人には甘い声をかけるのに、マイケルだけがこのとおり。
「いつか、このフランプトン家を継がねばならない子だから」
それが彼の口癖。
「あなた、とはいえまだマイケルも子どもなんだから」
それが、母のお決まりの返し。
マイケルにも変わらず、むしろ末っ子だから甘い位の母と、長男だから、と厳しい父親。父親だってマイケルを愛していなかった訳ではないだろうが、マイケルは彼の愛を実感として感じたことなんてなかった。
どちらかといえばファザコンで、父にべったりだった姉二人の気持ちは分からなかったし、同じように甘えようとして何度も冷たい目で見られた。姉二人を撫でる大きな手は、マイケルには与えられたことがない。
上から見下ろされるのは怖かったし、しっかりしろ、頑張れ、もっと上へ、男なら。そんな言葉しか言えない父が嫌いだった。
「マイケル」
父の呼ぶ声。夢なんだ、と思った。なぜなら父はもう死んでいる。父は大きな椅子に座りながら、こちらも水に言う。
「お前は、家も姉も守れなかったのか。挙句の果てに人様にまで迷惑をかけて……」
淡々と、淡々と言う。それに続く言葉を、もうマイケルは知っていた。
「……情けない」
父の顔が、上がる。その表情を見る前に、マイケルは飛び起きた。
「ミック?」
ジェリーは、相変わらず運転をしている、どれだけ寝ていたのか、とジェリーの方を伺う。
「せいぜい三十分ってとこだ。まだどこにもついちゃいないぞ?」
窓の外を見れば、続く木々。どうやら山道のようだ。車もそれ程多く通っている様子はない。ぐねぐねとした幅のある道路が先へ先へと続いている。
「ミック、大丈夫か?」
ジェリーが穏やかな声で尋ねる。ミックはシートから離れたことによりひんやりと冷えていく背中、じっとりとした手のひらに気づかないふりをして笑う。
「大丈夫、大丈夫。眠ってていきなり落ちるような感じがする時あるだろ、あれだよ」
ジェリーはそれに関しては何も言わなかった。いつもと同じ調子で、言う。
「腹減ったなぁ」
時計を見たが、まだそんなに遅い時間ではなかった。
「早いだろ」
「いいだろ。ばたばたしていて全然量を食えてねぇんだよ」
次の街着いたら食うか、とジェリーは言った。マイケルは頷き、そして尋ねた。
「今日の間にどこまで行く?」
「出来るだけ遠くに行くか。最悪徹夜で飛ばして……どっか路肩停めて寝てもいいしな。街を発ったのはバレてるだろうし、あんまり近いとヤバイ」
何時間運転するつもりなんだろうか、マイケルはおずおずと、夜は運転を変わろうかと尋ねたが、出会って間もない相手に恋人を任せられるか、とすげなく断られた。
「ジェリー」
「その呼び方、やめろよ。そんな奴は死んだんだ」
彼の顔が強張る。ふっと、寝る前に彼に恐怖を覚えたことを思い出す。あぁ、彼は本当にもう死んでしまったのかもしれない、そう頭に浮かんできた。
「泣き虫ミック!」
そうやって言いながらも、手を引いてくれた彼はもういない。遠いところへと行ってしまった。ここにいるのは、マイケルの幼馴染であり、友人であり、兄であったジェリーではない。
ジェイ。噛み締めるように彼の名を呼ぶ。チラ、と一瞬ジェリーの目がマイケルを見る。初めまして、とでも言うように、マイケルは改めて言った。
「これから、よろしく」




