ラピスラズリの秘密3
「結局、なんだってお前らはこんな面倒事に巻き込まれちまったんだ」
「さぁな。前のこいつの姉の件だろうさ」
「……僕だってそれは悪いと思ってるよ」
ケヴィンの出してくれたコーヒーを啜りながら、二人は答えた。
「いや、いくらお前らがしでかしたとは言え、こんな大事になるか? 心当たりくらいはあるだろ」
怪訝な顔をして尋ねるケヴィンに、ない、と答えたいのはやまやまだったが、ジェリーには心当たりがあった。ポケットにしまいこんでいたあの指輪を机の上に転がす。
「指輪……?」
「触るなよ、ケヴィン」
手を伸ばすケヴィンに制止の声をかけ、ジェリーはそのアメジストの指輪を指先で転がした。ころりと転がるその小さな銀の輪が、どんな効果をもたらすかをジェリーは知っている。
「いわゆる、呪いの指輪らしい。身につけると、自殺したくなるみたいだ」
はぁ? と、明らかに信じていない間の抜けた声が二つ上がった。ジェリーは、はぁ、と溜息を吐いた。そんな風に呆れた声を上げたくなる気持ちはわかるし、ジェリーとて今までのことがなかったら、そんなことは面白くもない冗談だと思っただろう。しかし、実際にその効果を目にしてしまってはそんなことも言えない。
「……俺も冗談だと思いたかったよ」
ジェリーは、目の前で起きたことを、適当にかいつまんで話した。頭がおかしくなったかと疑われないように、悪魔のDの話は抜いて。ケヴィンははじめ信じられないと言うような顔をしていたが、ジェリーの口調と話の整合性とで徐々に神妙な顔に変わっていった。口をつけていたコーヒーは、いつのまにか机の上に置かれ、冷えていた。
「……じゃあ、お前がこの前自殺した人を聞いたのも?」
「ああ、全部ラブジュエルの関係者だ。客に、娼婦に、近くのガキに……多分この指輪で殺されたのさ」
突拍子もない話だということは分かっている。そう続けると、ケヴィンは首を振った。マイケルは、ぽかんと口を開けたままジェリーを見つめている。
そんな目で見ないでくれ、正直俺も自分の目とメルヘンな頭に狼狽しているのだ。けれど、あの男たちも随分この特に高い訳でもない指輪に固執していたようだし、物事が途端に信憑性を帯びてくるのだ。
「……J、お前の言いたいことは分かったが、それならお前はなんで触れるんだ」
「知らねぇよ。けど、大丈夫なもんは大丈夫なんだよ」
マイケルが、ふっと何かを思い出したような顔をする。
「待って、その指輪、僕も触ってる」
おかしいよ、とあくまで否定しようとするマイケルにジェリーは溜息を吐かざるを得なかった。どれほど否定したところで、ジェリーが見たものは夢でも幻でもない。頭がおかしくなったかと思って後日ミランダに電話したが、あの晩のことは夢ではなかったようだった。
「俺達が触れる理由は分からない。けど、事実は事実だ。ケヴィンは分かるだろうが、あのミランダが自殺、だぞ、明らかにおかしい」
そういえば、ケヴィンは少し逡巡したあと、はっきりと頷いた。彼もまたミランダのことをよく知っている。彼女はいきなり自殺しようという玉ではない。それくらいなら誰かを踏み台にしてでも上に上がっていく逞しさとガッツを持ち合わせた人間だ。
「それでも俺の頭を疑うなら、ミランダに電話でもなんでもしてくれ」
そう言い放つと、ケヴィンは少し考え込む素振りを見せたが、結局黙って首を横に振った。彼はジェリーの目をしっかりと見て、頷く。信じてくれたことが伝わってきた。
「まぁ、何らかの条件があるんだろう。じゃなきゃ、これを使って殺そうとしていた人間まで、持った瞬間瞬間自殺したんじゃ意味ないだろう」
試しに、俺が触ってみるか、と再び手を伸ばすケヴィンを、ジェリーは慌てて止めた。
「待て待て! 万が一お前が自殺しようとして暴れたら、俺は止められる自信がないし、止めれても店はボロボロだぞ!?」
な、とマイケルを見て目で訴えると、それを察してこくこくと頷いた。ケヴィンの筋肉の盾のような分厚く大きな体で、しかもある程度戦い慣れている彼に暴れられてはたまらない。
必死な顔をしているジェリーに、ケヴィンは太い指で顎を触りながら、店が壊れるのは困るな、と呟いて指を引いた。
ジェリーはホッとして、指輪をポケットにしまった。
「条件はもうこの際どうでもいい。とりあえず、持っていて大丈夫な俺が持っておくさ」
相変わらずマイケルは釈然としない顔をしているが、ケヴィンも納得した今、その意見を理解せざるを得ないのか、複雑そうな顔をしてはいるものの、ジェリーに反抗する気は失せているようだった。
「どうすべきだと思う?」
「お前らの顔が割れてるんなら、いっそこの街から出て行った方が安全じゃないのか?」
さらっとケヴィンが言い、ジェリーはギョッとした。仮にも今まで過ごしてきた街だ。自分の家も、作業場もある街だ。ここを出ろ、と言われて即はいそうですか、と言えるはずもない。
ジェリーのその思いを察したのだろう、ケヴィンがチラリとジェリーを伺い、それから苦笑を浮かべた。ぱたぱたと彼の目の前で手が振られる。
「別にずっとじゃない。この街は狭いんだから、いつ見つかるか怯えて過ごすよりかは、ある程度落ち着くまで身を隠す方がマシだろう?」
彼の言うことはもっともなことである。ジェリーやマイケルの住むこの街は、皆顔見知り、という程は田舎ではないが、だからと言って誰彼構わず声をかけて知り合いに当たらずにいられる程広くもない。
ケヴィンは裏に入って、ごそごそと何かを漁っている。マイケルと二人きり残される。マイケルは、もそもそとケヴィンに出されたものを口に運んでいる。表情は暗く、疲れが滲んでいる。もぐもぐと口を動かしてはいるが、その手はとても進んでいるとは言い難い。
マイケルの常識なんて欠片も通用しないこのスラムにいること自体が彼にとっては負担だろうに、意味もわからず命を狙われるようになれば、そうもなるだろう。お坊ちゃんの彼には厳しい環境だ。
だからといって、ジェリーがフォローするのもおかしな話だ。完全に冷める前に、と、自分の分を口に詰め込み、コーヒーで流し込む。マイケルがちら、ちら、ともの言いたげにジェリーを見たが、その視線は無視をした。
しばらくすると、ケヴィンは、両手にいくらかの物を持って帰ってきた。
「酒、救急セット、お前のカラコンの予備、念の為に眼帯、それに銃弾だろ、後何がいる?」
ずらっと旅に必要な物をカウンターに並べて、ケヴィンは首を傾げた。
「おい、肝心の金がねぇ」
「……ちょっと待っとけ。ミック、ちょっと身分証貸せ」
ケヴィンに促されるまま、マイケルはおずおずと身分証を出した。金がない、の一言でジェリーが何を言いたいか分かるあたり、長年の付き合いは伊達じゃないな、と思う。ケヴィンはマイケルの免許証を受け取ると、再びバックヤードに入っていった。
戻ってきたケヴィンが手にしていたのは、何枚かのカードと、何枚かの免許証。
「ほら、J。お前のも増やしてやったぞ。万が一足がついても俺にはたどり着かないようになってるから、絶対俺の名前は喋るなよ」
カウンターの上に放り出されたそれらの上に載っているのは全てマイケルとジェリーの顔。しかし、そこに記載されている名前は見たこともないものだった。
「これ……!」
ガタリとマイケルが椅子を鳴らして立ち上がる。その服の裾を引っ張り、無理やり座らせる。マイケルは目を見開き、その免許証とカードを見つめていた。ジェリーは、カードを半分、そして自分の顔の載っている免許証を回収した。
「逃げてる間に、名前から辿られたりなんかしたら面倒臭ぇからな。それに、その間の金も必要だ」
淡々と言って、マイケルの分のカードと免許証を握り、胸元に押し付ける。彼は反射的にそれを手にした。彼はそれをしげしげと眺め、そして眉を寄せた。まさかとは思うが……
「こんなの使えない」
これだから、お坊ちゃんは! 現実を突きつけられなきゃ動けないのか、とかいろいろと言いたいことはあるが、一言だけ尋ねる。
「じゃあ、逃げている間の金と身分証もない状況で生きていけるんだな」
マイケルはグッとつまった。
「一人で、生きていけるんだな」
彼は相変わらず反論出来ずにいる。
「さて、俺はとっとと逃げるけど、お前はどうするんだ」
本当はそれすら聞いてやる必要などなかったはずだ。ジェリー一人で逃げたほうがよっぽど安全だし、楽だ。それでも、放っておいたら野垂れ死にそうなこの世間知らずを置いていくことが出来ないのは………
「僕も連れて行ってもらってもいいかい」
思考が途切れる。迷っていたマイケルがしっかりとジェリーを見つめ、尋ねた。
「これ以上、迷惑をかけるのもどうかと思うんだけど、僕には行く場所もないし、どうしたらいいのかも分からないんだ」
その目が伏せられる。途方にくれ、行くあてもなく荒野で佇む天使。不安げに揺れる睫毛に露が乗り、雫が落ちた際には誰ひとりとして彼の願いに逆らうことはできないだろう。
なんて、そんなドラマチックな妄想をする趣味はジェリーにはないのだけども。
「しょうがねぇな、来いよ。その代わり、俺の指示にちゃんと従え。いいな」
足でまといに、その上勝手までされちゃたまったもんじゃない。




