ラピスラズリの秘密
Jにとって、日常とは大層クソッタレなものだ。例えば、それは暴力であり、例えばそれは窃盗であり、しかし、同時に享楽であり、女であり酒でありギャンブルだ。
それがJにとっての全てだと言っても過言ではない。どんな手段でもいいから金を稼ぎ、生を維持するために使い、生を感じるために使う。
今もそんなJらしく昼間からビールを傾けながら生を感じているというのに、Jらしくもなく、金にもならないことをしている。
「……俺もイカれたかな」
今日もビールは喉越し最高、ホットドックは噛めばじゅわりと肉汁が滴り、うまい。なんて言いたいところだが、ビールは既にぬるくなり、ホットドックは明らかに少し前に作ったであろう噛みごたえのなさと乾いたパン。
見上げれば、そこには燦々と照る太陽。ジェリーはベンチに腰掛けながら、建物のドアをぼんやりと見つめるということをかれこれ一時間近くしている。そろそろ滞在しすぎて、警察に声をかけられそうだ。浮浪者と間違われるのはゴメンだ。
はぁ、と溜息を吐きながらパンの残りを口に詰め込み、少し炭酸の抜け始めたビールで流し込む。特に决まった休みもなくだらだら好きな時に好きなだけ開ける、Jのジャンクショップは本日休業。
わざわざとった休日、Jの目線の先にはおっぱいの大きなセクシーレディも、きゅっとお尻があがったキュートガールもいない。
ドアから出てきたのは、ちょっとばかしでかすぎる、金髪の美形。いくら美形だと言ったって、Jにそちらの趣味はない。出来ることならバーにでも行ってナンパして、そのままどこかでしけこみたい。わざわざ男の顔を眺めるために休日だなんて、ふざけている、そう思いながらもJはその行為をやめることが出来なかった。
マイケル・フランプトン。それは、Jにとっては忘れようにも忘れられない名前だった。突如として面倒事を持ち込み、Jを振り回すだけ振り回したお坊ちゃん。印象的なサファイアの瞳は、動揺し、怯え、苦しみ、揺れることがあっても、最後には必ず強い意志を持って真っ直ぐにJを射抜く。そして彼の信じる正義を絶対に曲げたりなどしなかった。Jはそんなマイケルのことを愚かだと思いながらも、放り出せずにいた。そして今も、また。
Jとて、無意味にマイケルを追う必要なんてない。ただ、不安だったのだ。つい先日、マイケルの姉を救うことには成功したが、彼女を攫った人間が消えたわけではない。一部のボディーガードの腕と足は銃で打ち抜いてしばらく使い物にならないだろうが、だからといってそれで全てが解決したとは思えない。さらに言えば、マイケルの顔は割れているし、彼らの求めていたアメジストの指輪は現在もJが塩を詰めた袋の中に押し込んで身につけている。
いつ彼らが再びマイケルのもとへとやってきてその指輪を出せと言い出してもおかしくない状況だった。マイケルにそれを伝えておいてもよかったが、ようやく全て片付いたと思ってホッとしている彼相手にそんなことを伝えるのも酷だろうし、混乱している姉の前でまだ危険だと伝えることも出来なかった。
勿論、マイケルのことなど知るかということも出来た。しかし、Dとか名乗る悪魔の言っていたことが、どうも頭の中に引っかかる。だからこんなところに出てくるはめになったのだ。
「ったく、のんきな顔をしやがって……」
明らかに落胆した顔でドアを潜り、肩を落として歩いているマイケルの後をつけるように、ジェリーはベンチからようやく立ち上がる。どうやら、今日の面接も落ちたのだろう。家業を継ぐつもりであったであろう彼は、現在職がない。
彼が向かっている方向は家とは逆だった。ということは、買い物か何かしてから帰るのだろう。なにも危険などないという風に呑気に買い物なんかをしているマイケルの平和ボケした顔に、Jは今すぐ拳を叩き込みたかった。だんだん馬鹿馬鹿しくなってきて、そろそろ帰るか、と思ったとき、角から出てきてマイケルに近寄る影。Jは常に服の内側に隠し持っている銃のグリップを握り締めた。ここはいつもJが歩いているスラムの真っ只中ではない。スラムに近いとは言え一般的な市街地だ。できるだけ銃をぶっぱなすことは避けたいが、いざという時はそうするしかない。
緊張。銃を握る手に思わず力がこもる。マイケルに近づく男の纏う雰囲気は、どこかその周辺の人間とは違う、言うなればJ達と同じスラムの人間や、ちょっとした裏社会の人間のきな臭さを感じさせた。少し歩く速度をあげて、彼らに気づかれないように近づく。
男の手がすっとマイケルに伸ばされる。そこは細い路地への入口近く。周りに人も少ない。人を攫うのにはぴったりの場所だと言えるだろう。
男は、マイケルの肩に手を置いた。マイケルが不思議そうな顔をして振り返る。Jは、その顔を確認した瞬間、自らの銃のグリップでその男の頭を横殴りにした。その向こうにいるマイケルの瞳が大きく見開かれたのをJは視認する。
「ぐぁっ」
呻き声と同時に男が倒れる。ふぅ、とJが息を吐く間もなかった。物陰から、別の男が駆け出してくる。まずい、と思うより先に、振りかぶられた拳がJの顔にヒットした。どごっという音とともに頭が揺れる。殴られると、痛みより先に衝撃を感じるというのは、多分殴られた人間にしか分からない。
ぐあんぐあんと頭が揺れるのをなんとかこらえ、その腹に膝を叩き込む。ぽかんとした顔をしていたマイケルが、両手を組み、腹を庇って少し屈んだ男の頭に上からその両手を振り下ろした。ガツン、という音とともに男が崩れ落ちる。
別のところから叫び声や悲鳴が聞こえてくる。このままここにいたら大事になる。Jはいきなり人に殴りかかった上に、堂々と銃を持っているし、彼の仲間がもういないとも限らない。
「J!」
「行くぞ!」
マイケルはJと目が合うと、頷いた。おそらく何も状況は理解していないだろうが、出会った当初と比べたらずいぶん察しがよくなったものだと思う。こんなところでいちいち言い争っている時間はないのだ。Jが駆け出すと、マイケルもそれに続いて駆け出した。




