Ⅸ 粛清の幽鬼
帝座の間は騒然としていた。緑褐色の革命軍と黒騎士たちが共同とは行かないまでも、人垣を作っている。緑褐服の兵士たちはエドヴァンスを守るよう階の下で、黒騎士たちは帝座を守るように階の上に集った。
血塗れの緑褐服の兵士たちが武器を構え、黒騎士たちが不折鋼の剣を抜いている。これらと対峙する灰色服の兵士たちが無言で入口側に並んだ。その向こうに灰色腕章のゴロツキたちが見える。
その中央を、ヴァルツ・ハイゼンだけが何事もないように、馬に乗ったままでいた。芦毛の馬が歩く度に、真紅の絨毯へ黒ずんた馬蹄の跡が残る。それは煤と血の混ざった色だった。
「何故ここにいる」
エドヴァンスが人垣を割って前に出た。お気をつけくださいと声を掛けられながら。下がっていろと返しつつ、エドヴァンスはヴァルツを訝しげに見た。
「仕事だ」
「レノスへ帰ると言っていたろう」
エドヴァンスもさり気なくヴァルツからオルガを庇うように立ち位置を変える。だが、ヴァルツはエドヴァンスに視線を移すことはなかった。
「帰った」
「なら何故戻った」
「雇われた」
ヴァルツが即答する。だが、その視線は帝座を見ていた。エドヴァンスも、スネイクラストも眼中にないとでもいうかのようである。
――雇われた?
オルガが眉を顰める。いや、オルガだけではなかった。スネイクラストも、ラパステーも、エドヴァンスも、顔の見えぬ黒騎士たちも、緑褐色の革命服兵士たちも困惑していた。会話が噛み合って居るようで何かがズレている。
「誰に?」
オルガの問いにヴァルツは答えることはなかった。傭兵が雇い主を売ることはないと言わんばかりの無視である。代わりに帝座の前に立つオルガを睨んだ。そこに憎しみの色はない。そして再び歩き出した。
その歩みが、目的を教えている。
――オルガだ。
険しさを増したスネイクラストがオルガの前へ出た。その手には黒い不折鋼の剣が握られている。
「止まれ」
だが、ヴァルツは止まらない。一瞥もせず、前に進んだ。黒い閃光が跳ぶ。スネイクラストだ。スネイクラストが跳んで、階下に踊り出る。ヴァルツの眼前にスネイクラストの黒剣が無造作に突き出された。
「聞こえなかったか?」
そこで初めて足が止まる。馬がスネイクラストの怒気に怯えて、耳を伏せ、尾を仕舞っていた。ジリジリと後退る。
「……黒騎士よ、止めろ。馬が怯える」
「灰色の槍――ヴァルツ・ハイゼンだな? 陛下の御前である、下馬せよ。」
ヴァルツは馬の首を撫ぜて落ち着かせる。会話が噛み合わっていない。馬が落ち着きを取り戻し、ようやくヴァルツが視線を上げた。二人は互いを見据える。一発触発――かに見えたが、その間へエドヴァンスが割り込んだ。
「待て、スネイクラスト」
腰の白剣が抜かれる。捨てられた直刀が、カラカラカラッと乾いた音を立てて転がった。肩を軽く押して、エドヴァンスがスネイクラストと入れ替わり、ヴァルツの前に立った。
スネイクラストは鼻白んで譲った。
「答えろ、ハイゼン」
ヴァルツは黙っている。エドヴァンスに興味がないとばかりに、無視していた。
「答えろと言っている!」
踏み込む。
一歩、二歩、三歩。白い剣が閃いた。エドヴァンスの剣が横薙ぎに煌めく。返す刀で斬りつけると、さらに踏み込んで突きを繰り出した。革命軍兵士たちが息を呑む。
――速い。
誰もがそう思った、が。
――ギィン。
銀灰色の外套が揺れる。その瞬間、ヴァルツは既に馬上にいなかった。ヴァルツは僅かに直刀が動したのみ。横薙ぎが弾かれ、返す刀も流され、突きは直刀の腹で止められた。
火花と金属の弾き合う音が続く。エドヴァンスは剣を止めぬまま、斬撃を繰り出した。
肩。
首。
脇腹。
脚。
急所を狙って剣を振るう。
だが、ヴァルツは僅かな動きで、それらを反らした。受け止めるのではなく、紙一重で避けながら、エドヴァンスの一撃を流している。
エドヴァンスの攻撃は全て防がれてしまっている。まるで鉄壁だった。これ程の使い手だったとは……。エドヴァンスはヴァルツの力量を見誤っていた事を素直に認めた。だが――問いたださぬ訳にはいかない。
「何故戻って来た!」
叫ぶエドヴァンス。それは、自らを奮い立たすためだった。対してヴァルツは黙ったまま、剣撃を払い続ける。傍目にはただ直刀を振るって居るように見えた。
轟音。今度はエドヴァンスがヴァルツの一撃を受けた。床石が砕ける。それでも踏み止まった。
だが二撃目、三撃目と、受ける度に後退していく。エドヴァンスは食いしばって剣の腹で、剣撃を受け止めた。
――押されている。
革命軍の旗手が、あの白熊将軍が、ヴァルツの反撃に一方的にやられている。革命軍がどよめいた。
――同じ処を狙っている。
おそらくこの場でスネイクラストだけが、ヴァルツの狙いに気づいた。ヴァルツはエドヴァンスの剣に態と払わせて、剣の一箇所へ正確無比な攻撃を繰り出している。
そして、ヴァルツがさらに一歩踏み込んだ。直刀が唸り、エドヴァンスが受ける。
エドヴァンスは耐える。だが、剣は耐え切れなかった。
――ガキーーーンッ
エドヴァンスの剣が真っ二つに折れ、身体が吹き飛ぶ。石柱へ叩き付けられた。砕け飛ぶ石片。踞るエドヴァンス。
「ぐはっ」
エドヴァンスは喀血した。口の端に残る血を拭って、折れた剣を杖代わりに立ち上がる。しかし、ヴァルツは視線すら向けず、そのまま前へ進もうとした。
そこに、黒い影が立ちはだかる。スネイクラストだった。大振りの黒い刃が、風を起こしてヴァルツの眼の前を通り過ぎる。
「これ以上は通さん」
黒剣が突きつけられた。ヴァルツも直刀を構える。帝座の間の空気が張り詰めたものに変わった。
どちらの革命服兵も、黒騎士も、誰も動かない――いや、動けなかった。
二人が向かい合う。エドヴァンスを一顧だにせず戦っていたヴァルツが、初めてスネイクラストを視界に入れる。強敵と認めたのだ。
対峙したまま、弧を描くように廻る。躙りながら、少しづつだが距離が狭まっていった。
――もう少し
先に動いたのはスネイクラストだ。黒い長剣は直刀より殺傷範囲が広い。黒剣が奔った。常人なら見えない速度で、刃が迫る。
――ガキッ!
ヴァルツは受け止めた。直刀は受けに弱いというのに、巧みに力を分散したのか、刃のない背で受け止める。だが、ヴァルツの体ごとスネイクラストが押し返した。
「チッ」
ヴァルツが舌打ちする。徐ろにスネイクラストが剣を引いて、離れたかと思うと再度剣撃を見舞う。
剣と刀が激突し、轟音がした。一撃一撃が重い。二人の足許の床石が砕け、近くの兵士たち目掛けて飛んできた。
「やるなっ、ハイゼン」
「……ふん」
三度、剣と刀が交叉する。火花が飛び、直刀が弾かれた。
四度、今度は剣が押し返される。剣の鍔まで火花を散らして直刀が走った。が、スネイクラストが剣の柄を回転させて直刀の走路を跳ね飛ばす。
「させるかっ」
「……クッ」
革命軍兵士たちも、黒騎士たちも息を呑んだ。速い――いや、速くて重い。最早それは剣技ではなかった。戦場そのものがぶつかり合っている。
黒剣が振り下ろされ、直刀が払う。その度に床が砕け、帝座が揺れた。五合、六合――十合ほど刃を交える。
――誰も近付けない。
それは将に剣戟の嵐である。その場の全員が二人の戦いに魅入っていたその時だった。
――ドドーーーンッ
遠くから重い轟音が響いた。火筒でも、廻熗でもない、もっと重い音。まるで火山が噴火したかのような激しい音だった。全員の動きが一瞬だけ止まる。スネイクラストだけが口元を歪めて嗤った。
「……遅かったな」
帝座の間へ続く扉の向こうから怒号が響く。灰色革命服兵がバタバタと倒され、押し返された。
「チッ、時間稼ぎか」
ヴァルツがスネイクラストから離れて悪態をつく。そして、蒼い軍装の兵たちが雪崩れ込んできた。その姿は――。
「蒼海の波だっ」
緑褐色の革命服兵が叫んだ。それは、エーリウより帰還した蒼海艦隊の海兵たちの姿だった。




