Ⅷ 銀灰の亡霊
遠くで火筒の音が響いている。金属がぶつかり合う音、時折混じる悲鳴。始めは遠くから微かに聴こえて居たものが、少しずつ近づいて居るように感じられた。
ヴァルツ・ハイゼン。その名を聞いて思い浮かぶものがオルガとエドヴァンスでは大きく違っている。オルガが彼に会ったのは東ゴッティア戦役の時が最後で、退役時は書類の決裁だけで終わっていた。
「本当に彼なの?」
最初に口を開いたのはオルガだった。エドヴァンスは頷くしかない。この場で奴を知っているのは二人だけだ。
「間違いない」
それだけ言って押し黙る。ラパステーが怪訝そうな顔をした。仕方無しに、スネイクラストに問うてみる。
「何方なのですか?」
「詳しくは知らん」
打切棒にスネイクラストが応じた。エドヴァンスは答えない。代わりにオルガが小さく息を吐いた。
「私も会うのは随分久しぶりよ」
「帝国軍の方でしょうか」
ラパステーの疑問も尤もだ。革命軍と戦うのなら帝国軍か、仲間割れか。帝国軍でないのなら味方とは言いがたい。
「今は、違うわ」
「革命軍でもない」
オルガは即答し、エドヴァンスが喰い気味に付け足す。その言葉にラパステーが眉を寄せた。
「では、何者ですかな」
「分からない」
オルガは本当に分からないという顔をしていた。目的も、事情も、何もかも。
「……俺が知っていることは、二人も知っているだろう?」
オルガもエドヴァンスも同意した。スネイクラストが知っていることは殆どない。ヴァルツが元傭兵で、レノス諸侯連盟を下した後に、オルガが直接雇用したこと。北方遠征に従軍し、帰還後退役したこと。あとは〈灰色の槍〉と呼ばれていたことぐらいだ。知らないのは軍務に疎いラパステーだけになる。
「そうね、だから分からない」
言葉足らずなオルガらしい言い方だった。
オルガはヴァルツという男を理解したことがない。忠臣でもなければ、野心家でもなかった。出世を望まず、勲章にも興味を示さず、褒賞金ですら部下に分け与えていたのは聞いている。だからといって無欲という訳でもないようだった。いい酒は好きだし、美味い飯を食い、女を買ったという噂も聞いたことがある。極めて俗物的でありながら、何故か権力だけには執着しなかった。
将軍職を辞した時もそうだ。惜しむ声は少なくなかった。北方遠征を生き延びた兵たちは特に引き止めている。だがヴァルツ本人は何も言わなかった。
退役を承認すれば退役し、土地を授ければ受け取り、年金を与えれば受け取り、邸宅を贈れば住んだ。まるで最初から戦場に未練など存在しなかったかのように。
だからこそ分からない。戦場を捨てた男が何故ここにいるのか。帝城を攻める理由が何処にあるのか。オルガには見当もつかなかった。
エドヴァンスはその後を知っている。退役後一度レノスに仲間を連れて戻ったものの、年金を貰っても身持ちを崩した仲間を助け、レノスの邸宅も土地も売り払い、金回りが悪くなって自由解放戦線に入ってきたこと。そして、革命の旗手だったザナドゥ・ピースクラウドの死後、方針の違いから革命軍には入らず、レノスに戻ると言っていた。つまり、それから彼が何をしていたのかは知らない。
「何故、戻って来た」
「戻る?」
エドヴァンスは革命軍のことは伏せ、掻い摘んでヴァルツが故郷に戻ると言っていたことを話す。
自由解放戦線に居た頃のヴァルツも変わらなかった。演説を聞かないし、政治を語らない。革命にも興味を示さなかった。それでいて戦場では誰よりも前に出る。
ある日、エドヴァンスが尋ねたことがある。
「お前は何のために戦う」
ヴァルツは暫く考えた後、端的に答えた。
「飯だ」
冗談だろうと思ったが、だが本人は真顔だった。食わなければ死ぬ、だから働く。彼にとっては、働くとは戦うことだ。だから戦う。その理屈だけで生きている男だった。だから、エドヴァンスにも分からない。
袂を分かち、自ら故郷へ帰ると言った男が、何故、いまさら帝城へ現れたのか。再び食い詰めたとでもいうのか。
帝国は好景気であり、失業者が溢れるというようなことはない。しかし、軍隊は縮小傾向にあり、商隊護衛の仕事も減少傾向で、退役軍人の働ける場所は少なくなっていた。
遠くで火筒が鳴る。今度は長かった。何丁も何丁も続けて放たれている。その音を聞いてエドヴァンスが顔を上げた。スネイクラストも険しい顔をしている。
「廻熗だな」
スネイクラストが呟く。嫌な予感がした。あれは帝国の地方巡回軍には配備されていない、皇帝直轄軍だけの制式装備である。革命軍が持っていていい代物ではない。火筒とは違い帝国の独占技術の結晶だ。
「なんだと?」
「なんで、アレを革命軍が持っている?」
「持ってなど居ない!」
スネイクラストの詰問にエドヴァンスが激昂する。革命軍は確かに廻熗を持っては居なかった。だが、ヴァルツは何処からか持ち出して居る。一体何処から――。
「犯人探しは今すること?」
スネイクラストを宥めて、オルガが切って捨てた。そんなことより事態の収拾が先である。
「そんなことより――」
オルガがいい掛け、そこへ伝令が飛び込んで来た。
「報告!」
「どうした」
「城門突破されました!」
場の空気が一気に張り詰める。ヴァルツがここに攻めてくる――全員がそう理解した。
「守備隊は?」
「全滅です!」
伝令の肩が震えていた。
「連中、止まりません!」
「止まらない?」
「負傷者もそのままです! 倒れた仲間も踏み越えてきます!」
スネイクラストが割って入る。
「軍か」
「いえ」
反射的に伝令は首を振って答えた。エドヴァンスは伝令を見て納得する。その革命兵は帝国軍あがりだった。
「軍――ではない、と思います」
言葉を選びながら、伝令兵が答える。
「なんというか、こう……」
そこで言葉が切れた。伝えようとしている本人にも上手く説明できない。そんな顔だった。
「どうした。続けよ」
「……異様なのです。何かに取り憑かれでもしたような……」
オルガが先を促すと、おずおずと語り始めた。だが、そこで再び火筒の咆哮がする。先程より近づいているのが分かった。着実に音が大きくなっている。
――近い。
スネイクラストとオルガが肯く。エドヴァンスが、扉の方を警戒しはじめた。
§
灰色革命服の兵たちは帝城の中に侵入していた。無人の野を征くが如く、火や死体、負傷者すら一顧だにせず、無言のまま 前へ進む。
緑褐色をした革命服の兵と戦い、近衛騎士の屍を踏みつけ、傷ついた仲間を見殺しにして、とどめを刺しながら、ただ前へ進む灰色の革命服たち。
その後ろに灰色の腕章を着けた革命兵たちが続いて好き勝手をしていた。金目の物を探す者、酒を漁る者、死体を蹴飛ばして笑う者。時折、羽目を外し過ぎるな!と蹴飛ばされながら。
それでも、灰色革命服の兵たちは一切振り返らない。まるで二つの軍が一緒に行動しているようだった。
次々に、制圧されていく。
制圧された跡には、屍だけが転がっていた。血の海となった床の上で冷たくなって、後続の者たちに踏み潰されていく。
そこを馬のまま、仮面の男が通る。帝城は天井が高く、騎乗したままでも通ることはできなくはないが、足許を血で汚したくなかったのか、そのまま進んでいた。馬の足は血で汚して。
§
再び伝令が飛び込んでくる。
「西回廊突破!」
さらに伝令が来る。
「謁見前広間で交戦中!」
そして、次が最後の伝令となった。
「報告!」
「いい。見れば分かる」
兵士は血だらけの革命軍が撤退してきた。伝令も口を噤む。空気が重いまま、遠くで金属音が響く。
一つ、二つ、三つ。
やがてそれも消えた。
帝座の間へ続く巨大扉の向こう側から、重い足音だけが聞こえてくる。
コツ、コツ、コツ。
ゆっくりと、確実に近付いてくる。そして。
――ギィィィィ。
巨大な扉が開いた。
逆光の中に、鈍色の仮面と銀灰色の外套。そして、その後ろには灰色革命服の兵たちが並んでいる。
まるで、北方粛清軍のようだと、エドヴァンスは息を呑んだ。死んだ目をして、幽鬼のように彷徨いながら敵を殲滅し続けた兵たち。それを率いていたのが仮面の男だった。
「……ヴァルツ・ハイゼン」
オルガも静かにその姿を見つめる。
「本当にお前なのね」
ヴァルツ・ハイゼンは何も答えない。ただ静かに帝座の間へ足を踏み入れた。




