Ⅵ 灰色の腕章
エドヴァンスは、剣を握ったまま逡巡していた。帝座の前にオルガが立ち、スネイクラストは血塗れの黒剣を下げ、ラパステーは黙ってエドヴァンスを見つめている。
革命軍と黒騎士が睨み合いはじめてからどれくらいの時間が経ったのだろうか。それでもエドヴァンスは答えを出せて居ない。
革命の終着点は何処なのか、未だに見えて来ない。オルガの死なのか、女帝の退位なのか、それとも逃亡させて不在にすればよいのか。そこまでは考えて、エドヴァンスはようやくそうではないと気がついた。
――どれも違う、そういうことではない。
革命の終着点とは、民衆が納得することだ。では、どうしたら納得するのか。そこにたどり着くまでは、勝利とは言えない。勝利とは目的を達成することであり、戦いに勝つことは目先のことでしかないのだ。
「私たちは同じ穴の狢だ」
オルガも、スネイクラストも、曲来も、人殺しとは無縁のラパステーでさえ、政権の中枢に居なかったとしても、政治――いや、オルガに関わりを持つというその一点で同類だった。そらは勿論エドヴァンス自身も含む。
「理想を掲げながら、人を殺す」
誰も答えない。答えようがなかった。それは結果としての事実を言っている。
エドヴァンスは停戦の勅使を望み、アーサー・エドワード・カトゥラニが殺される原因を作った。
オルガは戦争を辞めさせるために戦争をし続けなければならなくなり、巨大な帝国を作り、人々から選択を奪った。
ラパステーは帝国の良心と呼ばれながら、オルガを止められなかった。
スネイクラストはオルガのために、オルガを守るために剣を振るい続けた。
「人を守るために、人を殺す」
オルガは目を伏せた。ラパステーが、小さく息を吐く。諦観というか、犠牲が出ることが仕方ないという事ではなく、出さずに事を成しえる難しさを知っているからだろうか。
「違うと思っておりましたからな」
ラパステーは倦んでいた。この遣り取りにも、オルガを止められなかった自分にも、オルガを狂奔の女帝と蔑む世の中にも。
「だが、それ程違いはなかった」
ラパステーはエドヴァンスの言葉に頷いた。これが事実だ。だからこそ、この言葉は、帝座の間に重く沈む。
だが、その静寂をスネイクラストが破った。
「おかしい」
オルガが不思議そうな顔をし、ラパステーも怪訝な顔でスネイクラストを見る。如何に帝城に隣接する港湾施設に強行接舷したとはいえ、封鎖を突破するには時間が掛かる筈だ。フィンバロスとルアドリオが現れるには早い。
「ロドリクならとっくに来ている筈だ」
オルガとラパステーが顔を見合わせる。慥かに第四近衛騎士団の団長ロドリク・セグロヴァールならば、真っ先に駆けつけていて不思議はなかった。
「奴は来ない」
「なんだと?」
帝都は城壁を四つの軍区に分け、月毎に守備位置を変えている。第四騎士団は今月南軍区の担当で、帝城が燃えていれば真っ先に駆けつけるのがロドリクという男だった。
「セグロヴァールは先に逝った」
斬りかかろうとして、オルガにマントを掴まれたスネイクラストは、歯軋りしながら忿怒に顔を染め上げた。
§
その頃、帝都アストラヴェルの市街に、エドヴァンスが率いた革命軍と同じ服を着た別の一団が現れた。
革命軍が攻めたのは真紅宮、帝城港、ベルーシア軍港、そしてその周辺だけだ。広大な帝都全域を押さえる兵など、エドヴァンスには――いや、革命軍にはない。
だから市街は空白だった。帝城に潜り込むのはそれ程難しくない。そして、帝城の中は安全地帯だと誰もが安心しきっていた。
その一団は、隊列がない、号令もない、指揮官らしき者も見えない。統率の取れていない集団――群れという以外に相応しい呼び方が見当たらなかった。
酒瓶を抱えた男がいる。火筒を肩に担いで笑う男がいた。血の付いた直刀を振り回す男もいる。誰もが好き勝手に進んでいた。共通しているのは一つだけ。
灰色の生地に白い波線の腕章。
全員がその腕章を左腕に着けていた。部隊章ではない。部隊章ならば部隊の名前が書かれている筈だ。その腕章には文字の類がない。よく見ると腕章でさえなく、灰色の布に白い波打つ線が雑に書かれているだけの者もいた。
一人の男が民家の前で立ち止まった。扉を蹴破ると、悲鳴が上がる。そして、中年の男が引き摺り出され、石畳に叩き付けられた。
「金を寄越せ!」
「た、助けてくれぇ〜」
返事の代わりに拳が落ちる。何度も何度も、馬乗りで殴りつけられ、男は物言わぬ屍となった。
隣の家では窓が割られた。別の男が家具を外へ投げ捨て、笑いながら酒壺を叩き割る。奥から泣き叫ぶ子供の声がした。
――バンッバンッバンッ
火筒の咆哮がして、子供の声が途絶えた。
「いやーーー!」
母親の声だろうか、ゴツゴツッと殴る音と布を切り裂く音。下卑た男の吐息と啜り泣く女の圧し殺した声。
「いつまでやってんだ、行くぞっ」
「先にイキやがれっ」
だが、彼らはそこに留まらない。金貨や宝飾品を懐へ入れた。食糧を奪う。女を犯した。人を殺して行く。それでも足は止まらなかった。つまり、それが目的ではない。これらはあくまで、ついでの余興なのだ。
まるで何かに引かれているように、帝城の方へ進んでいく。その群れは長くなったり短くなったりを繰り返しながらゆっくりと近づいて行った。
抵抗した老人が撃たれた。血飛沫を撒き散らして石畳に屍を晒した。息子らしき青年が叫んで飛び出し、次の瞬間、剣で斬り伏せられる。
「母さん、逃げて……」
母親が娘を抱えて逃げようとした。灰色の腕章を付けた男がその腕を掴む。母親の悲鳴と娘の泣き声に扉が閉ざされる。
細かな音は、すぐに火の爆ぜる音に呑まれた。
「誰だよ、火を点けちまったのは」
「後で怒られりゃいいさ」
「ちげぇねぇ」
別の灰色腕章の男は、その家に見向きもしない。ただ笑いながら前へ進む。周りの男たちも手当り次第に押し込みながら、次へ次へと移っていく。
統率はない。規律もない。欲望もやることもばらばらだ。まさに獣の群れという以外に言いようがない。
それなのに、全員が同じ方向へ流れている。帝城へ、真紅宮へと、濁流のように。血塗れの直刀を下げて、白帯の入った青地に赤い剣十字の旗――革命軍旗を掲げて、左腕の灰色の腕章だけが妙に人目を引いた。
§
帝座の間へ、革命軍兵士が息を切らして、駆け込んでくる。
「報告!」
エドヴァンスが振り返る。
「どうした?」
兵士の顔は青ざめていた。今でも自分の目を疑っていたかも知れない。目の前で起きた掠奪を止めに入った仲間の死を受け容れられていなかった。
「仲間が……革命軍が民家を襲っています!」
エドヴァンスは耳を疑った。一瞬、この兵士が何を言っているのか分からなくなる。掠奪? 革命軍が掠奪だと?
「何だと?」
「略奪です! 放火です! 市民を殺しています!」
「莫迦な! 掠奪行為は禁止したはずだ」
「ですが革命軍服です! 革命軍旗も掲げています!」
エドヴァンスは息を呑んだ。革命軍が蜂起するに及んで兵士に繰り返し叩き込んできた。第一、帝城に率いて来たのが全軍――いや、まさか。
「どこの部隊かわかるか」
「分かりません!」
「分からないだと!?」
「部隊名も所属も不明です! 止めに入った者は殺されましたっ」
兵士は泣きながら続けた。帝城の門に残して来た部隊が騒ぎを聞きつけて見廻りに行ったに違いない。この者はその生き残りなのだ。
「腕章だけが違います」
「腕章?」
「はい。波のような白い線が入った腕章です」
エドヴァンスは言葉を失った様に茫然となった。エドヴァンスたちは青の腕章をしている。報告に来た者は白の腕章だ。床に転がる屍は血に染まる前から赤い腕章をしている。
オルガは何も言わない。ラパステーも目を閉じたまま天を仰いだ。ただ一人、冷ややかに見ていたスネイクラストだけが、鼻で笑う。
「ハッ! 所詮はこの程度よ」
誇りを傷つけられたエドヴァンスが睨みつけた。それに動じるスネイクラストではない。煽るように言葉を続けた。
「理想を掲げても現実はこうだ」
低い声だった。唸るような地獄の底から響くかのような大音声。それは怒りの色に染まっていた。
「民を救うと叫びながら、民を殺す――お前の言った通りだ、レイン」
その言葉は革命軍だけへ向けられたものではない。自らにも、帝国軍にも刺さる言葉だ。そして、この場にいる全員へ向けられていた。
その時、遠くで火筒の音が続いた。兵士が叫ぶ。
「灰色腕章の連中が、こちらへ向かっています!」
「やはりか」
どうすべきか、判断に迷う。誰もすぐには動けなかった。窓の外では黒煙が増えている。
炎と悲鳴と欲望の濁流が、確実に帝座へ近付いていた。




