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オルガ―狂奔の女帝―Ⅰ.紅への道  作者: 月桑庵曲斎
第一章 母との想い出
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Ⅴ 二つの港町

 フィンバロスが指差したのは、ルアドリオ・マレクィアだ。海蛇(コナハト)族の族長家の次男でフィンバロスと共に護衛艦の艦長を務めている。そのルアドリオが頭を抱えた。


「お前な……」


 〈エーリウの光(エーリウ・ソラス)〉は、慥かに「女王が搭乗していなければ動かしてはならぬ」という規則があり、女王亡き今は後継者たるオルガの同乗が必要だった。


「王女殿下。フィンバロスの言ったことは嘘では御座いません。殿下にご同乗いただけなければ、ソラスはこの場から動くことはできぬのです」


 ルアドリオは拒絶の顔を向けるオルガを見つめて、懇願の眼差しを向ける。そして、膝を突いて頭を下げた。


「お願いいたします。どうかエーリウ・ソラスにご同乗ください」


 ソラスの乗組員たちが、ルアドリオに(なら)う。コナハト族の中でも選りすぐりの者たちであり、誇り高き海の男だ。その全員が一斉に(うずくま)る。ちなみにコナハトとは、ゲール人の英雄〈コンの末裔〉の意味で、現在エーリウの四割を占める部族であり、海洋民族らしく海蛇の紋章が、海兵服に刺繍されていた。


 その威圧感に怯えるオルガの目に涙が溜まっていた。それを見たフィンバロスは仕方ねぇとばかりにオルガの髪をぶっきら棒に搔き回し、ポンポンと軽く頭に掌を載せる。


「しゃーねぇなぁ。お嬢、俺もこっちに乗るから、それでいいだろ?」


 今にも泣き出しそうなオルガが(たちま)ち笑顔になってフィンバロスに抱きついた。オルガも不安でいっぱいであるのを必死に噛み殺していたのである。


 王女とはいえ、まだ六歳の少女である。大人扱いしなければならない大人たちとて、不憫に思っていた。とはいえ慣習を破る訳にはいかない。誰にも、どうしようもなかったのだ。女王にも王女にも、代わりはいないのだから。


§


 出航前に一騒動あったが、〈エーリウの光(エーリウ・ソラス)〉は、静かにリオンデール港を離れた。


 フィンバロスの艦は、〈エーリウの光(エーリウ・ソラス)〉の副長——ルアドリオの兄が艦長代理として率いることになった。


 黒い喪章旗をメインマストに掲げた白き儀礼艦は、護衛の〈ダルバーン(白樫)〉号、〈トンバーン(白波)〉号を従え、ゆっくりと北の海へ向かう。いつもなら甲板へ飛び出して海を眺めるオルガも、搭乗すると決めた限りは柩の傍を離れなかった。


「お母さま、私、どうしたらいいの?」


 フィンバロスも居心地悪そうにしながら、酒を煽り、ジュナから白い目を向けられている。エーリウにも近衛は有りはするが、ブルトンのように騎士ではなく、全て海兵だ。また、ここには別宮付きのブルトン近衛騎士は乗って居ない。


 船内は静まり返っていた。


 誰も大きな声を出さず、水夫たちも必要最小限の言葉しか交わさない。海だけが、何事もなかったかのように青く広がっていた。


§


 どれほど波に揺られたのか、幼いオルガには分からなくなるほどの日が経った。


 ただ、ある朝。


「姫様。ダーナターラが見えて参りました」


 アウラに呼ばれ、甲板へ出る。朝靄の向こうに、石造りの街並みが浮かび上がっていた。日の出と共に、街が目覚めていく。少しずつ高まる日射しに、街全体が温められたかのように。


 ダーナターラの北には付きでた岬があり、その崖の上には灯台がある。イケニの女王の像が掲げた火を、遠くからでも見えるように作られた物で、深夜の航海ではとても重宝されていた。


 また、ダーナターラ港には幾本もの桟橋があり、数え切れぬほどの帆船が犇めき合う。そこがエーリウの都、ダーナターラだった。


 だが、普段は喧騒煩い港町なのに、今日は静かなのである。船が近づいても歓声は聞こえない。オルガは不思議そうに首を傾げた。


 市場の喧騒もない。水夫たちの怒鳴り声も聞こえなかった。岸壁には人々が大勢集まっているのに、誰一人として口を開かず、ただ〈エーリウの光(エーリウ・ソラス)〉を見つめていた。


 やがて、港へ重々しく鐘が鳴り響く。


——ゴーーーーーン

——ゴーーーーーン、ゴーーーーーン

——ゴーン、ゴーン、ゴーーーーーン


 その六点鐘だけが、静まり返った港町へ流れていく。


「ダーナターラが泣いています」

「えっ?!」


 アウラはそう言うと、喪章旗を見つめた。オルガもつられて、そっと中央マストを振り返る。そこには風を受けて翻る、黒い喪章旗があった。


「黒い旗」

「ソラスに柩を載せるときは、コイツを掲げる決まりだからな」


 いつの間にかフィンバロスが側に来ていた。オルガはそれで黒い旗が、遠くからでもオレネイアの死を告げていたのだと知る。人々は女王を迎えに来たのではない。女王との最後の別れのため、港へ集まっていたのだ。


 オルガはその意味を、まだ理解できなかった。


 接舷し、柩が運び出される。港の大通りを海兵が警護しながら進んだ。道端にいる人々はみな、黒い布を左手に巻いている。ケルト結びと呼ばれる三つ輪違いで、長い布で作られた喪章だった。この輪はそれぞれ生と死と再生を意味する。


§


 樽が転がる音がした。向こうで枠が裂けて、バラバラになった樽を見て頭を抱える少年がいる。


 オルガは今、リオンデールの港に立っていた。十二歳の誕生日を前に感傷的(センチメンタル)になっているのかもしれない。


 水夫たちが帆を畳み、魚売りが威勢よく声を張り上げ、荷馬車が忙しなく行き交う。海鳥が鳴き、潮風が港いっぱいに夏の匂いを運んでいた。


 港町とは、本来こういう場所なのだ。賑やかで、人が笑い、船が行き交い、皆が忙しく働いている。オルガは、その光景を眺めながら、小さく微笑んだ。


――でも、普段のダーナターラだって、こんなに賑やかな港町だったのよ。


 そう思うと、もう一つの記憶が蘇る。


§


 その年、オレネイアは年跨ぎの大祭(サウィン)に合わせ、久しぶりに故郷ダーナターラへ帰った。今回の帰国は、事前に知らされていたため、港だけでなく、国中がお祭り騒ぎとなったのである。


 というのも、オルトを妊娠していたため、しばらく帰国出来て居なかったからだ。安定期には幾度か帰ったものの、出産から今まで、オルトに掛かりきりで、全く帰国できなかった。今回も本来は同行の予定だったが、熱を出してしまい、乳母に預けてオルガだけを伴って帰国している。


 サウィンはケルトの四大祭の一つで、最大の祭りだ。サウィンは10月31日の夕方から始まり、翌日の朝方までの祭りで、現世と異界の境界が最も薄くなると信じられている。先祖の霊を迎えるために、自身の顔に灰を塗ったり、動物の頭皮を被ったりして変装し、悪霊から身を守ると同時に、死者の世界への敬意の表明をした。大人が変装をするのは日没を過ぎてからだが、子供たちは昼間から悪霊に扮して家々を巡り、「祟りか供物かマラハト・ノ・エドバルト!」と菓子や木の実を要求する。元は悪霊へ供物を捧げて災いを避ける習俗だが、子供たちにとっては、菓子をくれなければ悪戯をしてもよい日でしかなかった。


 昼には大市が立ち、交易や宴で町中が賑わい夕方まで続く。日没で古い年の終わりとなり、夜には火を落とし、祖先や死者を迎える祭祀がティル・ナ・ノーグで行われた。東の空が明るくなると、新しい火を灯して、新年を告げ、朝には新年を祝い、宴となる。


「女王陛下だ!」

「オレネイア様がお帰りだ!」

祟りか供物かマラハト・ノ・エドバルト!」


 船が港へ近づく前から、歓声が海まで届いてくる。それだけではなく、オルガを呼ぶ声もちらほらと聞こえた。


「姫様ーーーーーー!」


 岸壁では人々が手を振り、子供たちは走り回り、魚売りまで商売を忘れて船へ向かって手を振っていた。甲板へ出たオレネイアが微笑んで手を振り返す。


 その笑顔は、ブルトンで見る女公の顔ではない。故郷へ帰ってきた、一人の娘の笑顔だった。


「お母さま、みんな知ってる! 私のことも!」

「もちろんよ、オルガは母さまの娘だから」


 オレネイアは嬉しそうに頷く。そして、横に用意された木箱に乗せてあげると、一緒に手を振った。


「ここは、母さまが生まれ育った街ですからね」


 船が桟橋へ横付けされると、人々の歓声はいっそう大きくなった。


 樽を転がす音、水夫たちの笑い声、市場の呼び声、海鳥の鳴き声。それら全てが混ざり合い、ダーナターラは生きていた。


 オルガは目を輝かせながら母の手を握る。


「すごい!」

「でしょう?」


 オレネイアは誇らしげに港を見渡した。


「母さまは、この街が大好きなの」


 その言葉どおりだった。ダーナターラへ帰る度、オレネイアは誰よりもよく笑う。だからこそ、六歳のあの日、港から笑い声が消えたことが、幼いオルガには何よりも悲しかったのだ。

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