第六話 星雲寮にて
日没後、雨脚は更に激しさを増し、風も強まっていった。地面は雨粒に叩かれ続け、白く沸き立っている。夕方過ぎに、大雨と強風の注意報は警報に変わった。島の近海で、低気圧は台風並みに発達するらしい。
部活の生徒や風紀委員、教員ですら、そんな予報を確認するまでもなく、日没前に帰って行った。学校に残っていたのは、浩平の付き添いで帰りそびれた生徒会の面々と、宿直の教師や用務員だけだった。
天音はしばらく浩平を待っていたが、浩平が起きないので先にバスで帰った。
天音の家は浩平の家の隣。
エリドゥはこの風雨をものともせず徒歩で自分の小屋に帰った。
学園の敷地にある広大な森の奥地に、エリドゥが自分で建てた小屋がある。
冬の間、エリドゥはアジスやシタテルと一緒に住んでいたが、春になってツクシやフキノトウが土から顔を出す頃に、森に遊びに行ったまま森に住みついてしまった。
森には他にも自然を好む外星人が何人か住着いているらしいが、突然森で遭遇するとビックリするようなご面相の外星人ばかりなので、地球人はめったに近づかない。
人呼んで『魔獣の森』。
ゴルフ場のカートを一回り大きくしたような、電気自動車を運転するアジス。
何せ広い敷地の学園なので、一部生徒も申請すれば使うことができる。
「風が強くなってきた。今夜は荒れそうだ」
視線を前に向けたまま、アジスは怒鳴る。
雨音が大きくて、大きな声を出さないと聞こえないのだ。
兄妹の宿舎まで、このトロくさい電気自動車で5分くらい。
視界が悪いので、かなり慎重にアジスは運転している。
「……?」
シタテルが心配そうに浩平を覗き込む。
───正直寒い。
車は一応雨よけの幌を被っているが、隙間だらけで雨交じりの風が容赦なく吹き込む。
何を思ったか、シタテルは浩平の制服のそれぞれの袖に自分の手を突っ込み、そのままぐいぐいと手を奥に入れてくる。
おそらく腕を暖めようとしているらしい。
「シタテル、夕飯どうしようか、――って、何やってんのかなお二人さん?『アルプス一万尺』?仲のよろしいこって」
両腕を連結して向かい合わせに座っている浩平とシタテルを見て目を丸くするアジス。
「さあ、着いたよシタテル。傘をとって」
アジスは教員用宿舎の敷地内にある一軒家に車を止めた。
講師を務める事もあるアジスは、教師待遇で特別にシタテルと一緒に、一軒家に住んでいる。
建てられてから数年しか経っていないはずなのだが、建物は木造で古臭い。
最新技術でわざと古く造っているのだ。
ちなみに、間取りは、某、魚介類の名前を持つ一家のアニメの設定をもとに再現されている。
小さな庭に面した縁側があり、今は雨戸が閉まっている。
母屋の隣に物置にしては大きい蔵のような建物がある。
春が来るまではエリドゥがそこに住んでいた。
浩平はとりあえずシタテルの部屋に案内された。
アジスの部屋は、ゲームや漫画雑誌や本やDVDなどで足の踏み場も無く、ベッドまでたどり着けそうもなかったためである。
さらに本人に言わせると「ここにあるものは動かさないで!この配置で何がどこにあるか記憶してるんだから!」ということで入室を拒否された。
アジスの父の持ち物だという、大きめの部屋着を借りて、シタテルの部屋のベッドに潜り込むと、夕食も食べずに浩平は寝てしまった。
看病はシタテルに押し付けて、アジスは居間のちゃぶ台で、塩辛い漬物を冷飯の上に載せ、お湯をぶっかけて食べている。
襖が開きシタテルの部屋からセーラー服の上に割烹着を着たシタテルが出てきた。手には体温計を持っている。
「三十九度もあります」
心配そうにアジスに告げるシタテル。
アジスは茶碗の中のお湯の残りをズズズと一気に啜ると、天井のほうに向かって声をかけた。
「オペレーター、杉田浩平の状態をスキャンして」
途端に浩平の寝ている部屋の襖の隙間から眩しい光が漏れる。
「「コロナウイルスに感染しています。銀河惑星連合製、アップデートウイルス、DNAの書き換え進行中。階梯基準四四五」」
くぐもった声が部屋の中に響く。
箸を咥え、おかわりの冷飯をオヒツからよそいながらオペレーターの報告を聞くアジス。
温泉旅館によくある、プッシュ式ではない本体を傾けて注ぐタイプのポットで、お茶碗にお湯を注ぐ。
「オペレーター、状態をスクリーンで出して」
アジスの目の前にベットで寝ている浩平の立体映像が現れる。
その小さい映像の浩平の上に、人体を簡略化した映像と細かい文字とグラフが何個か現れる。
「すごい勢いでデフラグされているな。かなり大きな因子を組み込むつもりか。……これでは地球人ではいられなくなる」
輝く画面を見詰め、アジスの瞳孔は細くなる。
「お兄様……、」
心配げな表情で画面の中の浩平を見つめるシタテル。
アジスはちらりと妹の顔を見る。
「心配するなシタテル」
「私が…、私が浩平さんに…、接触してしまったから………」
「普通は地球人には感染しないんだけどね。調子が悪かったみたいだし、シタテルの記憶樹での接触から、目をつけられていたな。それに……」
アジスは立体映像の浩平を見詰める。
「彼にはレムル人の血が入っているからね」
「太陽系古王家レムル人による、レムリア人の星間種族への昇華計画と銀河惑星連合法による『アンプラグド』反惑星連合からの地球保護計画……」
アジスは考え込む。
「お兄様……?」
「銀連の評議会が艦隊の編成にも難色を示しているらしい。このタイミングで浩平君が寝込んだとなると………」
アジスの眼前に別のスクリーンが現れる。
銀河系が画面中央に小さく浮かび上がる。
その銀河の一角をズームする。
縮尺を表す記号がめまぐるしく変わる。
銀河の一角で、恒星と恒星の間を縫うように何匹もの『蛇』がものすごい速さで絡み合いながら進んでいる画像が映る。
蛇に見えるのは、小惑星の集まりを簡略化した記号だった。 まるで、生きている蛇のように画面の中をのたうつ。
突然画面の枠が赤色化した。
『ビー、ビー、ビー、』
警告音が鳴り響く。
『アルビレオ観測所より緊急通信!』
アジスは息を呑む。
蛇達は恒星のひとつにギリギリまで接近し、恒星の重力の影響を受け急に進路を変えた。
アジスは絶句しながら画面を見つめ続ける。
警告音は止まらない。
「管制官!軌道を計算して下さい!」
シタテルが叫ぶ。
「計算するまでも無い。評議会の予告通りだ。……狙い澄ましたかのようなタイミングだな」
冷ややかな声でアジスが言う。
「こうなる事は分かっていた。ただ、いつこうなるかが知らされていなかっただけだ。」
突然警告音が大きくなった。
『島』全体に鳴り響くような大音量で警告音が鳴る。
音量が大きくなったのではなくて、音源の数が増えたのだ。
居間のいたるところにスクリーンが出現する。
どの画面にも銀河公語で『エレヒ危機管理センターからのお知らせ』という文字が浮かぶ。
『小惑星群が太陽系への接近コースをとりました。地球上の銀河惑星連合市民は百二十時間以内に大気圏外に退避してください。繰り返しお伝えします。小惑星群が太陽系への……』
アナウンスが繰り返される中、アジスは二杯目の湯漬けを食べ始める。
「ふやけちゃった」と呟きながら。
「このままのコースをとれば最接近まで一週間って所かな」
茶碗に口をつけたままアジスが言う。
「また、全てを失ってしまうのですか?」
体温計のぬくもりが消えないようにシタテルは必死にそれを握っている。
「評議会は、今の地球を『アンプラグド』の版図と見なしたんだ。だから蛇神を遣わした。浄化のために」
いつものおどけた表情はアジスの顔から消えていた。
外見は子供だが、今のアジスは彫刻に刻まれたギリシャの神像のように、年齢の無い、心情をうかがい知る事のできない、揺るがない存在になっていた。
「僕の考えは違う。まだ望みはある。目覚めるには、まだ、何個ものハードルを超えなくてはならないのは確かだ。時間が必要なのだ。ならばこそ今回は我等『旧地球人』が出陣する。独力で蛇神を退ける事が出来れば、銀河惑星連合評議会も、口出しは出来なくなる」
「私は、………」
シタテルは途方にくれアジスの前に跪く。
アジスは箸と茶碗を置いて、シタテルの頭を優しく撫でてやる。
神像のような表情は和らぎ、元のいたずら小僧顔に戻る。
「浩平君と生きて行く。これからもね」
「私は、浩平さんと、この世界で、生きてゆく……」
その言葉は、陽炎のように揺らめいて、暗くあいまいになってゆくシタテルの現実世界をあたたかく照らす、まだ消えないで残っていた、たった一つの灯火だった。
「地球鎮守府エレヒコマンダー、『ヤシン・ラフム・ナムジン』に繋いでくれ!」
アジスが再び天井に怒鳴る。
「アンシャールか」
即座に音声の返答があった。
「父上、時間管理局に迎撃シミュレーションの申請してください。先日のレポートでリストアップしてある地球人と、ビロク義勇兵、『空間騎士団』を召集。戦闘艦に搭乗する地球人用の義体の手配するように銀河惑星連合賢神院に伝えてください」
「すまぬなアンシャール、キシャールも近くにおるか?」
「こちらに居ります父上」
シタテルは答える。
「危険な仕事をさせてしまうな。面目ない」
「『アンプラグド』の動向も警戒が必要です。父上はエレヒで指揮をとってください。マーナガルムに動きは?」
「加勢をするから封印を解けと言ってきておるようだ。モレヤがなだめているようだが、どうやら彼らは独自に観測をしていたようだ。……まあ、詳しい事はエレヒで打ち合わせるとしよう」
「はい」
音声通信は終了した。
警告アラームは音量が小さくなったが未だ鳴り止まない。
シタテルは雨戸を少しだけ開けて散り散りに飛び去ってゆく暗闇の雲の切れ間に星を探した。
「お兄様……」
「お前は記憶樹を経由し、先に父上と会っておいて。生身で行くのはお兄ちゃんとビロク兵だけでいい。生身の地球人が一人だけだとしても銀連との約定には違反しないだろう」
「ですが!」
学生服に着替えるアジスにシタテルはすがる。
「……もしも僕が帰ってこなかったとしても、お前は気に病むことはない。どうせ僕の個人の記憶なんて、十年分に満たない。その数年分だって、僕が死んだら『記憶樹』が受け取ってくれるだろう」
にっこりと笑うアジス。
その時、カーテンの隙間から光が居間の中に差し込む。
中庭から強力なスポットライトで照らされているようだ。
アジスは、シタテルが少し開けた雨戸を、さらに開ける。風が吹き込んで、カーテンは大きく捲れ上がった。
目も眩むような光が家の中に射し込む。だが、その光は、中庭に立つ、巨大な人影によって遮られた。
『アジス皇子!! おわすか?!』
翻訳機のマシンボイスが響く。
「エリドゥ!!」
『アジスよ! 狩りの季節じゃ!!』
有角の悪魔、エリドゥ・アギラは凄惨な笑みを浮かべそこに立っていた。
「………、」
アジスがエリドゥと共に兵員輸送機で、飛び出していった後、暗くなった部屋にシタテルは戻った。
降りしきる雨でずぶ濡れになってしまった割烹着とセーラー服を脱ぐと洗濯機に入れ、雨で濡れた床を拭く。
そのままシャワーを浴びてバスタオルで体を拭き、いざ服を着ようと思った時点で、浩平が自分の部屋で寝ているのを思い出した。
生憎、洗濯物はすべてタンスにしまっていた。
浩平が寝ていることを確かめて、シタテルは自分の部屋に入る。
浩平が今夜自分の部屋に来ることも、自分の家に来ることすらも、シタテルは想定出来ていなかった。
───こんな事になるのなら、今朝、ちゃんとお掃除しておけばよかった。
後悔先に立たず。
浩平は、熱で朦朧とし、多分、寝ているのがどこなのかも判らない状態ので床に入ったはずだ。
シタテルは、音をたてないように気を付けながら、たいして散らかっていない部屋の片付けを始めた。
明日浩平が起きたときに、絶対に見られたくない品の数々を隠すため。
特に本棚。
タンスから下着や寝巻きを出す前に始めてしまったので、その姿を見られた方が、何倍もイタイ事になることにシタテルは気付いていない。
「お願い、積み荷を燃やして…、」気分はペジテ市の王女様。
ボーイがボーイにミーツしている特殊なお話が掲載されている小説や漫画、薄い本の数々を、押し入れに詰め込んだ。
ヤシン・キシャール・シタテル。
銀河惑星連合においては、地球文化の紹介者、又は地球書籍の翻訳家として知られている。
「ふう、」
一通り隠蔽工作を終えたシタテルは、その仕上がりに満足すると、裸であることを思い出し、慌ててタンスから下着を取り出す。
パジャマ姿になったシタテルは、浩平の眠るベッドの横に立ち、浩平の顔を見、暫く思い悩んだ後、ため息をつき、ベッドの横に布団を敷いた。
一旦部屋を離れ洗面台で歯を磨く。
トイレに行った後、居間に行き、戸棚からカチューシャのような物を二つ取り出す。
自室に戻り、ベッドで眠るの浩平頭に、そっとカチューシャのような器具を取り付ける。
「銀河の神様、どうかお守りください。お兄様、エリドゥ、浩平さんや天音さん、学園の皆さん、この星にすむ全ての生き物逹を………、」
自分も器具を着け、シタテルはベッドの下の布団に入る。




