第四話 エレッセアの呼び声 第五話 保健室にて
第四話 エレッセアの呼び声 第五話 保健室にて
エレッセアの呼び声
夢を見ている最中にはまったく疑問も持たず、どうしてこんな、ありえないシチュエーションを受け入れることができるのだろう。
さざ波ひとつ立たない、鏡のような海。
水平線は霞に覆われて、窺うことができない。
見上げれば満天の星空。
しかし見知った星座は一つもない。
月が出ていない代わりとしても、有り余るぐらいの光量の、まるで星のささやきが聞こえてくるような夜空。
波の無い水面は、寸分違わずその星空を写していた。
ここは地球ではないのであろう。
「浩平さん……」
煌々《こうこう》と照る星明りの下、俺と彼女は船に乗っていた。
直線がまったくない、風雅な作りの、いわゆる帆掛け舟。
波の高い海に浮かべたら、瞬く間に転覆しそうな、喫水の浅い、波のない海のために作られた船。
風はまったく感じられないのに、帆は張詰めている。
そして船は、すべるように鏡面の海を進む。
覆いも何もない狭い甲板に、俺と彼女は膝もくっつく様な向かい合わせで、据え付けられたベンチに座っている。
彼女の視線はまっすぐに俺に向けられている。
透き通るような白い肌も、一本一本がまったく見分けられない、まるでヴェールのような淡い金髪も、星明りに呼応したように内側から光を発していた。
小さいアーモンド形の顔に、少しとがった耳と大きな瞳。
彼女は、淡い緑色のゆったりとしたドレスのようなものを着ている。
胸元には、緑の大宝玉の首飾りが、星々の光を集めて輝いていた。
──そうか。ここは、失われた彼女の故郷なのか。
しかし、彼女の一族の没落は遠い昔の出来事のはずだ。
彼女らの思い出の中にしかない、すでに失われた故郷の風景の中に、俺は入り込んでしまったのか?
彼女は、このような幻想的な海も、息を呑むような夜空も無視し、俺の表情から心の内を読み取ろうとでもしているかのように、真剣な眼差しで俺だけを見つめている。
──そんなに思いつめた顔をしないでくれ。
しかし、口を開く事が出来ない。
忘れてしまったのだ。
言葉の出しかたを。
「浩平さんは覚えていてくれるかしら、この夢が覚めても」
──ああ、これはやっぱり夢なんだ。
「私たちが目指していたのは静かな海に浮かぶ島」
ここで彼女は言葉を切り、しばし夜空を見上げ、瞳を閉じた。
まるで失われかけた記憶を辿るように。
そのとき気付いた。
船の進む先の霞の彼方から、微かに、厳かな旋律が聞こえて来ることに。
遠い遠い岸辺からこの船を招くように奏でられる音楽は、地球のものではない。
その音は、はるか太古からの時の流れそのもののように、船まで届いていた。
船の帆を膨らませているのは、この、時の流れなのだろうか。
だとすると、この船は時の流れを進んでいるのだろうか。
旋律に乗せて彼女は静かに唄った。
俺には、彼女の発する言葉の意味は解らなかった。
その言葉は日本語でも銀河公語でもなく、おそらく彼女の故郷の言葉なのだろう。
言葉の意味はわからないが、聞いているうちに彼女の発する音が俺の頭の中で再構築され、意味合いを持った詩になっていった。
しかし、後にこの夢の記憶を取り戻し、歌詞を思い出せたのは、短くは無かったその歌のほんの一部だった。
星々の汀を過り、
西方の大島エレッセアの岸辺に、
波が打ち寄せることは無い。
神々の差し伸べられたる御手の、
枝分かれたるその先端が、
湾曲しないエレッセアの岸辺に、
届くことは無い。
星のかけらが落ちて、
すべては海に沈むから。
星は砕け黄金の塔はこぼたれた。
驕慢なディンギルは虚無に落とされた。
我らは、嵐の昊を渡り、ここに来た。
奴隷は戒めを解かれ、
初めて人と呼ばれた。
ディンギルは蛇に姿をかえ、
我らを打ち据える。
人々が立ち上がろうとするたびに、
星のかけらを投げつける……。
気がつけば歌は途切れ、彼女は再び俺の顔を見つめていた。
「この船の行く先はエレッセア。呼ばれているのは私。私は行かなくては行けないの。だけど、たどり着けないの」
彼女の瞳には悲しみが宿っている。
「年月を数えたてることなく生きてきた私の傍らを、足早に通り過ぎて行った人たち。あの音楽は、きっと私を招くためにあの人たちが奏でているのだわ」
生きる事への倦怠感と罪悪感に彼女は捕らわれている。
「私は行かないといけない。頭を垂れ許しを請うために。でも、今はもう進めない」
ポツリポツリと彼女は言葉を発する。
「浩平さんは連れて行ってくださいますか?いつか私をエレッセアに……」
俺はやっとの事で一言だけ言葉を発する。
「きみは行きたいのかい?本当に」
彼女は俺のその問いには答えず、船の行く先に視線を向ける。
俺は覚えていられるのだろうか、この夢の事を。
彼女のためにも覚えていたかった。
そんな気がした。
「あなたはもうすぐ目覚めてしまう。さようなら、浩平さん」
そのような言葉を聞きながら、俺は他愛無い別の夢に迷い込んでいった。
保健室にて
「あのー、お晩ですぅ、はい、シタテルですぅ、はい、いつも浩平さんにはお世話になって、いえいえ、とんでもないですぅ。ええ、お熱があるみたいで、ええ、そうなんです、この天気ですし、私の宿舎の方で一晩お休み頂こうかと、いえいえ、とんでもございません、……」
保健室の扉の向こう、廊下で電話をかけているのだろう、微かにもれ聞こえる、シタテルの妙にオバちゃんくさい会話をボンヤリと聞きながら、浩平はベッドから起き上がった。
ベッドの周りをぐるりと巡っているカーテンの合わせ目を、足で少しずらすと、壁に掛かっている時計が目入る。
「午後6時30分」
窓の外は暗く、激しい雨がガラスを叩いていた。
──副会長に連れられて、保健室に来たのは午後4時30分頃だったはず。
「二時間寝ちまったか」
二枚重ねの布団のおかげで悪寒は幾分遠退いたが、頭が重怠く、眼球の裏側から圧力のようなものを感じる。
浅い眠りの中、なんだか夢を見ていたような気がしたが、起き上がった拍子に脳みそが混ざってしまったらしい、もう思い出せなくなってしまった。
廊下からシタテルの会話が漏れ聞こえてくる。
「えす、あい、てい、いー、…あのー違うんですぅ、えいびいしいでーいーのいーです…、あ、すいません! そうですよね、えーでした、うふふふふ…」
前後関係と話の内容から察するに、シタテルは浩平の自宅に電話を掛けているようだ、そしてなぜか浩平の母親とメアドの交換をしているらしい。
さらに浩平は宿舎に泊まることになったらしい。
星陵学園には、星陵大学付属幼稚園から星陵大学までの教師、学校関係者の宿舎や、地球内外の学生向けの『星雲寮』という巨大な学生寮が併設されている。
アジス、シタテル兄妹もそこから星陵高校に通っている。
浩平の家は『島』の中心にある『中央シャフト建設現場』をはさんで向こう側だ。
さすがにこの荒天の中、この体調で帰宅を試みるのは気が引けた。
山の上の学園から市街へ向かうバスの停留所までは下り坂だとしてもかなりの道程。
能天気な浩平も、途方にくれていたところだった。
──しかし、会長の家に泊まるってことになるとは…。
外星人の家にお泊まりとか初めてだし、当然副会長も一緒だろうし、……嬉しいやら、気が重いやら、複雑な心境だ。
「…そうですね、ゆくゆくは、まあ、そうは思っているのですけど、こればっかりは私一人の考えでは、ええ、はい、とんでもないですぅ…いやですわ志津恵様ったらぁ」
──いったい何を話しているんだ?
ゆっくり立ち上がり、カーテンを開く。
目ん玉が飛び出さないように慎重に歩く。
保健の先生は、浩平が担ぎ込まれた時点で、既に帰った後だった。
今、浩平以外保健室には誰もいない。
第三校舎の、主に外星人が利用する方の保健室なので、作りは極力学校の保健室風に作られているが、本土の学校の教室くらいの大きさがあり、見慣れない機械があったり、何に使うのか解らない道具が置いてある。
保健室の扉を開ける。
「うふふふふ」
廊下の壁際で正座し、電話片手に楽しげに笑っていたシタテルと目が合う。
「…うふふふふ? …!! ふ、う、ぅぅ、」
途端に笑い声はトーンダウン。
ため息とも、呻き声ともつかぬ、音となって消えていった。
「「あらいやだ、どうしたの? シタテルさんったら…」」
人気の絶えた静かな校内。
廊下に響く電話越しの浩平の母、杉田志津恵の声。
「こ、こ、こ、こ、こ、こ、?」
──鶏?
シタテルの顔がみるみる赤色化してゆく。
色白なのでピンク化と云った方が良いかもしれない。
「すんません、副会長、学校に残っててくれたんですね。ありがとうございます」
なんとなく、電話の会話は聞かなかったことにした方が良いような気がした浩平は、シタテルに頭を下げる。
「………! これ……」
シタテルは突然携帯電話を突きつけてきた。
──電話に出ろということかな?
シタテル所有、お年寄りに人気の、操作が簡単なタイプの携帯電話を受け取る。
「あー母ちゃん、おれおれ」
「「あれ? 浩平かい? あんたやっぱり風邪だったのかい? それよりちょっと! いつの間に彼女できたのさ!」」
開口一番問題発言をかます母。
「……………、彼女!? いやー、母ちゃん。こちらに御座す御方は生徒会の副会長で………、」
「「『シタテル』さんって、もしかして、大使の娘さんじゃないの?! 結婚を前提にって…、あんた…… 」」
──誤解だ。何か誤解している、誤解するような情報を、この野次馬な母に与えたのは誰だ? ……ってこの人だろうな。
シタテルは、会話を遮るべきか、この場から逃げ出すべきか、逡巡しているのか、顔を赤らめたり青ざめたりさせながら、オロオロと浩平の周りを彷徨っている。
「「……浩平、あんた相手がどういう方か、わかっているの!?…」」
「ピッ、」
「ツー、ツー、ツー、」
なにか話を続けていたが、事の成り行きを落ち着かなげに聞いている副会長が目前にいる手前、異常興奮状態の母とこれ以上会話を続けて、おかしな方向に話しが行く前に、浩平は電話を切ってしまった。
──事情は後で説明しとこう。
「………、すんません、うちの母が、なんか、勘違いしているようで」
「こ、こうへい………さん?」
真っ赤な顔をして俯くシタテル。
浩平はつくづく思う。
──かわいいなぁ、
と。
【浩平A】───先ほどの電話でのやりとりといい、もしかしたら、副会長は…
【浩平B】───そこまで自惚れちゃいけない。なんの取り柄もない、地球人の俺に、好かれる要素なんてこれっぽっちも無いじゃないか。
【浩平A】───しかし、放課後こんな時間まで付き添ってくれたんだ、好意がないわけは無いじゃないか。
【浩平B】───いやいや早計だ。生徒会副会長としての責任がそうさせているだけだろう。
浩平の頭の中で浩平Aと浩平Bが口論している。
【浩平C】───まてまて俺達!彼女の考えはひとまず置いておいたとして、俺自身の意思はどうなんだ?
浩平Cがさらに考えをややこしくするような発言をする。
──俺は副会長を好きなのか?
──好きなんだろうな。
ただ俺はまだ十七歳だし、相手は地球人じゃないし、リアリティをもって先のことを考えられないだけだ。
【浩平A】───じゃあ好きってことでハッスルしていいですね?
【浩平B】───いやいや早計…、ってかハッスルって何?
浩平はシタテルの顔を凝視したまま長考モードに入ってしまう。
ポクポクポクポクポクポクポク、チーン。
「はい、保留!」
「『保留』じゃ困るんだよねぇ、浩平君」
電灯の消えた廊下の奥からパタパタパタと足音が近づいてくる。
「お兄様…」
シタテルは顔が上げられない。
俯いたまま、浩平の制服の袖をつかむ。
学生服の上に大きめのレインコートをマントのように羽織ったアジスがやってきた。
容姿が容姿だけに悪の黒幕の登場シーンとしか思えない。
若干小さいのが残念。
アジスは浩平の前で立ち止まる、背が低いので浩平を見上げる格好になるのが残念。
「シタテル。いよいよ作戦を発動するぞ! もろもろの覚悟はできているかい?」
「何の話です?」
「浩平君。実はね、今度生徒会で新しい地球人と外星人の交流プロジェクトを立ち上げようと思うんだ」
腕を組み、浩平とシタテルの周りを歩くアジス。
悪魔顔はますます凶悪化し、もはや『熱光線』とか『空を飛び』とか『地獄耳』とかそんな単語が浩平の頭に浮かんでくるレベルに達していた。
「今までは僕が個人的『趣味』としてやっていたんだが、なかなか成果が出なくてねぇ」
「だから何の話です?」
悪寒がまた足元から這い上がってくる。
悪寒の原因は風邪のせいばかりではなくなった。
「名付けて、『異種族カップル大量生産プロジェクト!』最初は天音・エリドゥ組。次は君達だ。科学の力で強制的に出来上がってもらうよ。うひひひひひひー!」
いけない。何かされる。何かせんと欲する会長に何かされんとす。
浩平は乙女のように身震いした。
「あのー、会長、話が見えんのですけど、俺はどうなっちゃうんですか?」
「兄としては、妹の地球式恋の始まりを、生暖かーく見守ってやりたいところだったがねぇ」
アジスの後ろに音も無く黒い影が近づく。
「こちらも早く成果がほしいんだ。ここは地球式から天音式に変更してもらうぞ、エリドゥ! やーっておしまい」
アジスの後ろから突然エリドゥが現れ、浩平とシタテルをそれぞれの手でつかみ上げた。
「きゃあ!」
悲鳴を上げるシタテル。
とうとう暴悪外星人エリドゥが本性を表し、襲いかかってきたのか?
エリドゥは人形で遊ぶ子供のようにムギューっと浩平とシタテルをくっつけた。
「オダギリサーマト、オキナサマー、フータリナランデ、スガシカオー」
おめでたい節回しで歌うアジス。
「っちょっと、会長! エリドゥ! やめてくれ!!」
エリドゥはアジスの歌に合せ、合体状態の浩平とシタテルを、左右に振ったり上下させたりしている。
「男女七歳にして席を同じうせず。昔の人はよく言ったものだ。席を同じうするとどうなっちゃうのか? それがこの答えだ」
得意気にいい放つアジス。
「ぷむむむむむむー」
真っ赤になってされるがままのシタテル。
ちょうどシタテルの胸元に顔がくっつく格好になった浩平。
シタテルのさらさらヘアーにまみれ、呼吸するたびにシタテルの匂いが肺を満たす。
「遠からん者は音に聞け、近くばよって目にも見よ。これぞ宇宙世紀の恋愛形態、名付けて『近くにいたら自然にくっついちゃった方式』なのだ!」
まるで、未来の世界の猫型ロボットが道具をポケットから出したときのような声色でアジスが自慢気に叫ぶ。
「こ、これが科学のちか…ら?」
チーン。
「三分たったかな? エリドゥ、もう下ろしていいよ」
アジスに促され、浩平とシタテルはエリドゥからやっと開放される。
髪を乱し廊下に両手を突いてヨヨヨとうなだれるシタテル。
ひどい事された感、満載だ。
「お、お、お兄様、あんまりです…」
肩を震わせるシタテル。
へたり込んだまま、真っ赤な顔で恨めしげにアジスを見る。
「どうだい? 浩平君、なにか心境に変化はあったかい?」
二人の顔を見比べるアジス、今度ばかりは本当に悪魔なんじゃないかと、浩平は思った。
「か、会長、シタテルに風邪がうつったらどうするんですか!」
「お、呼び方が、『副会長』から『シタテル』にランクアップしたぞ! 成功かな?」
「いいかげんにしてください!」
浩平は思わず怒鳴った。
目玉が飛び出しそうなのもかまわず、頭を両手でごしゃごしゃかきむしり立ち上がる。
「何がしたいんですか会長は!」
浩平は怒っていたが、子供の頃から喧嘩や口論が苦手で、迫力のある台詞が咄嗟に出てこない。
「相手は、『相手は』って俺のことですけど、田舎の惑星の原始人ですよ。いやいや、貴方達から見れば、動物園のサル山のサルみたいなものじゃないですか! たまたま兄妹で動物園に来た貴方がですねぇ、そのー、妹を身包み剥いでサル山に突き落とすような真似をしてはいけません!」
「……浩平君? どうしちゃったんだい?」
「会長! 前々から思ってたんですけどねぇ……、げほっ、げふっ」
浩平は床に両手をついて咳き込んでしまった。
「浩平さん……!」
シタテルは腰を抜かしたまま、ハイハイで浩平のもとにやって来ようとしているところをアジスに捕捉された。
「シタテル、事務局に保健室の鍵を返してきなさい」
「え? ですが……」
「お兄ちゃん達は先に職員通用口に行っている。ね、ね」
有無を言わさぬ口調でそう言うと、アジスはシタテルをそっと抱き起こす。
シタテルは「……はい」と一言云うと、保健室に鍵を取りに行き、二階の事務局に向かった。
「さ、行こうか浩平君。歩けるかい? 肩を貸してあげようか?」
エリドゥは先に玄関の方へ行ってしまった。
保健室の廊下には浩平とアジスの二人が残った。
「すんません会長…。歩けます」
「ごめんね浩平君、なんか強引で」
「副会長が居ない間に何か俺に話でもあるんですか?」
「おっ、案外鋭いねぇ浩平君。『彼氏』である君に伝えておくことがあってね」
「会長、会長は俺を認定してくれるんですか? その、副会長の……」
「気付いていないのは君くらいだよ。まったく、シタテルが可愛そうだ」
心底あきれた様子でアジスは言う。
「まあいいや、それより時間が無い。話というのは、シタテルが罹っている病気についてなんだ」
いつになく真剣な表情でアジスは浩平の顔を見ながら話す。
「病気?!」
浩平は驚きアジスに向き直る。
「そう驚かないで。地球人が罹る感染症とかの疾患とかとは違うんだ。そうだねぇ、なんと説明したらいいのか、彼岸への憧れと言ったらいいのかな。我々『レムル人』はね、現実に倦み疲れてしまった時、内的世界に閉じこもり帰ってこなくなってしまうことがあるんだ」
「はあ、」
「我々『レムル人』は、というか君たち地球人だってそうなのだが、生命体というものは、この現実世界を生きる肉体と、それにそっくり寄り添うように『霊』といったらいいか『精神』といったらいいか、現実世界では認識が難しい物とで出来ているんだ」
片方の手のひらにもう一方の手のひらを重ねる仕草をするアジス。
「地球人は現実世界の肉体にかなり偏って依存しているが、レムル人は現実世界と精神的世界、両界の狭間に存在する。それはどういうことかというと、夢や想いや想像といったものが現実と同じようなリアリティを持っているという事なんだ。ちょっと難しいかな?」
理解度を確かめるように顔を覗き込むアジス。
「星間文明を持つ種族は寿命がとても長い。病気に罹る事もない。実際に事故や凶行に巻き込まれでもしない限り、死なないんだ。しかも僕の一族『レムル人』は特殊でね。死んだとしても、生前の記憶を引き継いで再び生まれてくる場合がある。ここら辺の説明は難しいので省略するけどね。そうやって記憶を保持したまま現実世界で長く過ごしているうちに、憂いや悲しみが体の中に澱のように降り積もってゆく。そうすると自分の想像で創造した『夢の世界』で休息するんだ。普通ならば、その『夢の世界』の中でしばし憩い、癒され、現実世界で生きてゆく活力を取り戻すんだけど、身に降りかかる悲しみがあまりにも大きくなってしまったとき、現実を顧なくなってしまうことがある。夢の世界にとどまり、夢はどんどん現実味を増してくる。逆に現実世界はまるで夢の中の出来事のように、どんどんあやふやになっていくんだ」
「言われてみれば副会長は言動や行動がちょっとあやふやですね」
真顔で答える浩平。
「……ちょっと間違っているが、まあいいか。……ところで浩平君は見た事があるかな、シタテルと船に乗る夢を」
浩平はアジスにそう言われて、先ほど保健室で眠っている時に見て、今まですっかり忘れていた夢の内容をはっきりと思い出した。
「会長! さっき正に見ましたよ! 船に乗る夢を! 確か『トルティーヤ』だか『メソポタミア』だかという所に向かっているけど、たどり着けないって夢の中の副会長は言ってました!」
浩平は夢の中の哀しげなシタテルの表情を思い出す。
「そうか、見たのか。僕も見た事がある。『トルティーヤ』じゃなくて『エレッセア』と言ったはずだ。エレッセアとはレムル星…、僕やシタテルの一族が、遠い昔に住んでいた星の言い伝えにある、死者が死後に赴くとされる、波のない海に浮かぶ島の名前。日本風に云えば正に『彼岸』とか『黄泉の国』だな。シタテルの『夢』が現実味を増して近しい人に影響を与え始めているんだ」
「要するに副会長は……、死にたがっているって事ですか?」
「自覚症状は無いようだが、現実世界にシタテルを留めている理由を、すべて失ってしまったら、そういう答えに行き着くだろうね」
「一体どうしたら……」
浩平は激しく後悔した。
普段のシタテルの浮世離れした行動を、浩平はシタテルの個性のようなものと勝手に良く(あるいは悪く)解釈していた。
しかし実際の彼女は浩平の気付かぬうちに悲しみに捕らわれ、生きていく事に疲れてしまっていたのだ。
現実世界の全てを放棄しようをしていたのだ。
そうやって彼女の感じる現実世界が現実味を失っていったのだ。
「絆が必要なんだ。こちらの世界との。こんな事を急に頼むのも本当に申し訳なく思うんだけどね、シタテルと楽しい思い出を作っておくれ。この世界でこれからも生きてゆけるような大切なものが増えていったら、シタテルもこちらの世界にとどまると思う」
「思い出……、ですか」
「まあ、僕はもう安心してもいいと思っているよ。今日、やっとシタテルは、一部ではあるが君に想いを伝えることができた。君がいる限り、シタテルはこの世を見棄てる事は無いと思う。君から心が離れない限りね」
「……会長。なんか俺、すごい脅迫を受けているような気がしてきましたが……」
「してるよ。脅迫。浩平君、もしかして今、気が付いたの?」
「会長……」
「安心はしているけど一応警告しておくよ。浩平君。君はこれからもエレッセアに向かう夢を見るかもしれない。シタテルの想いが君のほうを向いている時。そしてシタテルが大きな悲しみに沈んだ時」
「注意したまえ! もしも夢の中の船がエレッセアにたどり着いてしまったとしたら、シタテルは二度とそこから戻らないかも知れないから。エレッセアの岸辺に辿りついた時、もしも君も一緒にその岸辺に降り立つ事があったとしたならば、そのときは君も選択することになる。シタテルを諦めるか、現実世界で生きる事を諦めるか」
「何故ならば、シタテルは君を選んだのだから」
アジスは浩平を見つめる。
レムル人の瞳は、過去と未来を見通すといわれている。
都市伝説の類だ。
「長く引き止めてしまったな。具合はどうだい?また顔色が悪くなってきたようだ。今晩は私の家でゆっくり休んでいきなさい」
やさしくアジスは笑う。
先ほどの生徒会室でのアジスと天音のやり取りをもし浩平が聞き及んでいたら、身の危険を感じてしまいかねない程口ぶりだ。




