第二十話 崖の下の韃靼人
第二十話 崖の下の韃靼人
「ショックだわ……」
郷土の誉れ、銀河級の神童とまで謳われた宇宙に咲くヤマトナデシコ(以上すべて自己申告)市川天音ともあろうものが、不覚にも学習机に突っ伏して朝まで爆睡してしまうなんて!
しかも『勉強しながらつい寝ちゃった』とかならば、神童の神童エピソードに加えるものやぶさかではないが、ノートに悪戯書きをしている最中に失神するとは。
「……なにこれ?」
ノートの端、失神する直前に書いていたメモのような走り書きを見る。
『崖の下の韃靼人……』
「?」
──なんなの?
──何の暗号?
こうノートに書くに至った経緯を全然思い出せない。
『崖の上の何とやら』なら先日テレビで拝見したが、崖の下の韃靼人には面識が無い。
──どういうこと?
──この文章は続くの?
──しかし『韃靼』ってよく書けたなぁ自分。
「???」
ひとしきり首をひねり、謎の一文とにらめっこをしていても答えは出ない。
昨日の嵐がウソのように爽やかな朝だし。
今日は土曜日だし。
こんな所で寝たのに、奇跡的にも首は寝違えず、気分は上々。
謎の一文はとりあえずほっといて、着替えることにした。
「答えなしもまた答えなり!」
元気に言う。
授業が早く終わったら、『魔獣の森』のえりりんの小屋に行ってみよう。
コンビニでえりりんの好きな豆パンをたくさん買って。
そんな事を考えていたら携帯が鳴った。
シタテルからの電話だ。
「はいはーい、天音デース。おはよう、おはよう、おはよう! え? いたって元気だよー。うん、スンゴイ雨だったねー。そして晴れたねー。あっ、そうそう! 浩平どうしてる? 昨日泊まったんでしょ。……え! 副会長の部屋で寝たの! ちょっとー! 大胆ねー! ええっー?! なになにー? 詳しく聞かせよー!」
『天音さん。あのね。あのね。突然なんだけどね。来週の土曜日、うちに泊まりにきませんか?』
シタテルがモジモジと告げる。
「ええー!! いいの? いくいく! 確実に行くよ! さてはお主、やっぱりなにかありましたな! 一晩中ガールズトークしようぜ! 寝かさないよー!……? えっ? 来週?」
『では、浩平さんもお誘いしますね』
「へ?………」
『お嫌ですか?』
「いやー、嫌じゃないんだけっどもねぇ。ほら、……ガールズトークがねぇ」
『どうせならみんなでやりましょうよ、ガールズトーク』
「………」
シタテルには、わかっていないようだ。ガールズトークというものが。
「……まあ、いいわ。じゃあ、学校で詳しく計画を練りましょう。じゃあねー!」
ぴっ、電話を切る。
「おかーさーん! 来週友達んとこ泊まりにいくからー。いいでしょ。いやね、先に言っとくけどオ・ン・ナ・ト・モ・ダ・チ」
母親にそう告げると天音は食卓につき元気いっぱい朝食を食べはじめた。
「…………」
浩平は見慣れぬ天井を眺めながら必死に昨日の事を思い出そうとしていた。
記憶と記憶の間にかなりの質量の喪失部分があるように思える。
まるで半年ぶりに本を手にし、栞の先を読むように、これまでの記憶があやふやだ。
たしか生徒会の会議中に寒気がして保健室に行き、夕方になっても悪寒が治まらず、アジスの家に泊めてもらったのだ。
風邪は治ったようだ。
頭も痛くない。
気分も良いが………。
『……ぐぎゅるるるるぅー』
「…………」
「おなか…空きました?」
至近距離から優しい声がする。
「!!」
浩平は慌てて辺りを見回す。
目覚めてから天井しか見ていなかったので、すぐ横にシタテルが座っているのに気が付かなかったのだ。
「ふ、副会ちょ……、」
「はい!」
元気に返事をするシタテル。
その爽やかな笑顔は、今なら確実に男を殺せる。
「熱も下がって、顔色も良くなりましたね。ああ、よかった!」
そっと浩平の額に手を当てるシタテル。
「どうでしょう、学校に行けそうですか? もし、まだ気分がすぐれないのであれば、今日はお休みしますか? 私、お世話いたしますわ」
間近に顔を寄せ浩平を覗き込むシタテル。
両手で浩平の頬を包む。
「だ、だだだ、だだだ大丈夫! ……元気です」
真っ赤な顔をして、されるがままの浩平。
シタテルはくすっと笑う。
「では、起きて着替えてくださいまし。制服は乾いています。朝食を用意しますね。あっ、浩平さんのお母さんにもメールしなくっちゃ」
窓を開け放ち、爽やかな空気を部屋に招くシタテル。
朝日を浴び、少し背伸びをし、空気を胸いっぱい吸い込み、
「ああ、いい気持ち!」
振り向いてにっこりと微笑む。
美の女神は、いつの間にか健康的な殺人級の笑顔を手に入れていた。
浩平は、出会ってから今まで、ずっとシタテルを覆っていた霞が不意に晴れ渡り、今、初めてシタテルの姿をはっきり確認できたかのような驚きで、その笑顔を見返した。
「おっはよう! 浩平くーん!」
ドアが急にバタンと開き、アジスがベッドめがけて飛び込んでくる。
「おはようございます会長。ありがとうございました。おかげさまですっかり元気になりました」
「浩平君! 浩平君! 浩平くぅーん!!!」
アジスは、浩平にダッコちゃんよろしくしがみ付き、顔をスリスリする。
「か会長! どうしたんスか?」
面食らう浩平。
「…ありがとう、こ、……浩平君。本当に、本当に」
アジスの顔は涙でクシャクシャだ。
浩平にしがみ付いたまま泣き出したのだ。
「本当にどうしちゃったんですか? 会長」
困惑した浩平は、助けを求めるようにシタテルをみる。
だが、シタテルは微笑むばかりだった。
「???」
浩平はアジス体の異変に気付く。
普段からスキンシップ過剰のアジスだから、抱き付かれたり、揉みしだかれたりは日常茶飯事だ。
だが、今朝のアジスの抱き心地はひと味違う。
こじんまりとまとまっている体つきのなかに、まろやかさが加わり、キュッと引き締まったウエストから徐々に盛り上がりをみせるヒップにかけての曲線が……、
「うぎゃーーー!!」
浩平は、目の前の人物の抱擁を半ば強引に引き剥がし、両手両足を駆使しシャカシャカと後ずさる。
───誰? この人誰?
顔は見馴れたアジス会長だが、角がない。
浩平に突き飛ばされ、仰向けに転がり、少し大きめのシャツに隠されていた、水色と白色の、目にも鮮やかな横縞も可愛らしい、どこをどう見ても女物の下着が露になる。
そして、
「いやぁぁーん、浩平くぅーん、がっつかないでぇ、そんな風に焦らなくても、ミ、セ、テ、ア、ゲ、ル、ゾ⭐」
キャルルルーン、ピラッ⭐。
「お、お兄様! ちょっとやめてください! その下着は、あの、そのぉ、わたしの、、お貸しした、……、」
シタテルが『お兄様』と言っているのだから、やはり会長か。
だとしたら、妹の縞パンを盗み履き、後輩にピラリンチョをかます会長……。
「…………成敗しなくっちゃ、成敗しなくっちゃ……、」
焦点の定まらない視線を泳がせ、浩平がうわごとのように『成敗、成敗』と繰り返す様を目の当たりにし、さすがにおふざけが過ぎたと、ミスマルは反省した。
「今まで隠していてゴメン!実は僕、女の子だったの。男の娘じゃないよー」
長い睫毛をしばたたかせ、ミスマルが言う。
「だ、だって、………今まで散々、朝の生理現象についてとか、女体の神秘についてとか、…女性のアレは、大きめが良いとか、小振りなのも趣があるとか、……語りあってきたじゃあないっスか」
シタテルが目の前にいる手前、囁き声で反論する浩平。
「季節の変わり目だし、性別くらい変わることもあるさ、宇宙の神秘だねぇ」
シタテルが使う姿見の前で、セクシーポーズの練習を始めるミスマル。
「じ、じ、じゃあ、副会長も明日あたり男に?」
青い顔で浩平は呻く。
「ナイナイ、」
声も、手を左右に振るしぐさも完全に同調するヤシン家姉妹。
「さあ、浩平さんもお兄様も、そして私も寝坊しちゃいました。急いで朝食をいただきましょう。生徒会長が遅刻するわけにはいきませんわ」
シタテルは、浩平とミスマルを居間に追い立てていき、ちゃぶ台に座らせると。
台所に軽い足取りで消えていった。
「浩平君は寝ていたから判らなかっただろうけどね、昨日の夜中にエレヒが外星人に緊急避難勧告を出してね。結局朝方解除されたんだけど、島中が発着するシャトルで一時騒然となったんだ。」
シソで巻いた焼き味噌を頬張りながらミスマルは言う。
「へーそうなんですか。全然気が付かなかったな」
昆布で出汁をとった大根の味噌汁を啜り浩平が答える。
「僕も、ちょっと野暮用で、エレヒにエリドゥと行って……。ついさっき帰ってきたんだ」
味噌汁をご飯にぶっかけながらミスマルは言う。
「学校はちゃんと授業あるのかしら?」
梅干をご飯にのせて、しょうゆをかけてグルグルやりながらシタテルは言う。
「話は変わるけど浩平君、どうだい? 来週の土曜日、また泊まりに来ないかい? 昨晩は寝ていただけで、なんにも覚えていないだろう? 僕、……私もゴタゴタしてろくにおもてなし出来なかったし。………初めてだったんだ、うちに地球人が来たの。一回やったら、なんというか『招き欲』みたいなものがふつふつと湧き上がってね。実はシタテルに頼んで天音君にも声をかけたんだ。それでみんなで……、」
「…ガールズトークしましょう!」
屈託ない殺人笑顔で、シタテルがミスマルの言葉を継ぐ。
「はあ……」
浩平は力なく答えた。




