第十九話 阿知須覚醒
第十九話 阿知須覚醒
「アジス…、」
「アジスよ、それともタケミナカタなのか?」
生臭く生暖かい、臓物のスープの様な液体で満たされた水槽に、少女は浸かっている。
ここはエレヒの最奥部、『転生の間』。
「……父上」
少女は、ボンヤリと天井を眺めている。
次第に目の焦点が合い、意識がハッキリとする。
「父上。ここは?」
少女は虚空に呼び掛ける。
「ここがどこであるか判るか? 自分の名は?」
「?? 僕はタケミナカタ……。ここは、母上の宗廟ですか?」
水槽から出るために、滑る水槽の縁に手掛かりを探す少女。
「記憶は失っておるのか……。いや、元より記憶が無いのかも知れない。すまぬ、タケミナカタよ。二度目の再生は失敗したようだ……」
何処にいるのかは確認できない。薄暗い部屋の中、ナムジンの声だけが聞こえてくる。
「再生? 僕は死んだのですか?」
悪戦苦闘の末、どうにか水槽から脱出した少女は、身体にまとわりつくヌルヌルを取ろうと、あちこちを触る。
「あれ? 角が無い……」
触るうちに自分に角がないことに気付く。
「父上。角が無いです」
「う、うむ」
歯切れの悪い返事をするナムジン。
「それに、なんだか身体に違和感が…、」
少女は、自分の体のあちこちをまさぐる。
「なんだろう? 『吾が身は成り成りて成り合はざる処一処在り』」
ブツブツと独り言を言う少女。
「記憶樹に突然流入したデータを元に再生を行ったのだが……。すまぬ」
「???」
「ここはエレヒ。お前は記憶樹により再生、いや、複製されたのだ。何かの手違いで女の体になってしまったが……」
「……」
呆然と立ち尽くしていた少女の表情が、みるみる陰り、怒りと悲しみのない交ぜとなったものに変わってゆく。
「……どうして! ……どうして僕を、母上と一緒に眠らせてはくれないのですか? 父祖の安らう沈黙の館を遠く離れ、なぜ僕だけが、望みもしないのに、このような体を与えられ、父上と共に、永劫の地獄を這い廻らねばならないのですか?」
少女は顔を手で覆い膝をつき泣き崩れた。
「タケミナカタよ……お前の一度目の再生の時、私は余りにも心が急いていて、お前の嘆きを理解することが出来なかった。死した母の元、根の堅洲国を恋願うお前の心がな。しかし、その心を知っても尚、私はお前に、あの時と同じことを言わねばならない。……タケミナカタよ。レムル星統合王家女王スセリと、太陽系節士派レムル人ヤシン家当主ナムジンの子として、お主は私の業を引き継いでもらう。容易く逃れられるとは思うな! 私を! 私を残し、勝手に死ねると思うな!」
泣きじゃくる少女にかけるとしては、それは余りにも、心無い言葉だった。
───こんな思いをするのなら……。僕を縛り付け、母様と隔てるのならば。記憶樹なんて要らない!!
少女は暗い部屋で泣き続ける。
「あーあ。父上も、もうちょっと言い様ってのがあると思うんだよねぇ」
ナムジンとは別の、男の子の声がする。
「……だあれ?」
部屋の奥の隅。光の射さない闇の闇。鈍く光る 双眸が二組。
一つは炭火のように鈍く赤く。
もう一つは、猫のように青緑に。
実体は無い。
物の怪か亡霊のような影が二つ。
少女は目を凝らすが、幻のように存在感がない。
「僕は君だよ。君にこれを渡そうと思ってね…」
青緑の双眸が揺らぎ、一本足を踏み出す。
その一歩分存在感が増し、学生服の腕が前へ突き出される。
その手には何かが握られていた。
なにか、とても明るいの物なのだろう。
指の隙間から光が漏れ、掌を透かし赤く光っている。
少女が恐る恐る手を伸ばすと、闇の手は片手で少女の手を取り、もう片手で少女の掌に勾玉をのせる。
その途端、勾玉は猛烈な光が迸る
「タケミナカタよ! 何が起こっておる? 誰と話しておる? 誰かが居るのか?」
ナムジンからは闇の二人は確認できないらしい。
「宙鳴矢、乙織女の頸がせる、玉の御統御統に、穴玉はや、深谷 二渡らす……」
口を閉ざしていたもうひとつの人影が、不意に澄んだ声で吟う。
学生服の亡霊は、さらに一歩踏み出す。10歳くらいの金髪の少年。耳の後ろから、羊のような角が一巻き。それは星陵高校生徒会長、ヤシン・アンシャール・アジスである。
「僕はアジス。僕は君。君が死んで、僕は再生された。その時僕は、父上から新しい名を貰ったんだ。だから僕が死んだ今、僕から君にこれをあげる。僕の魂を、僕の記憶を、君にあげる」
勾玉の光が弱まるに連れ、アジスの亡霊も光が散じるように失われてゆく。
「あんまり父上を責めないんだよ。それから母様の事も。タキリの継母様は、僕の事を本当の子供のように愛してくれたんだ。シタテルだって…」
アジスの亡霊は消えていった。
「ありがとう。アジス……」
少女の瞳には新たな意思が宿っていた。
「ジェ・ヴォーダン君。ありがとう。僕の記憶を運んできてくれたんだね」
複製されたタケミナカタの女性体に、アジスの記憶は受け継がれた。
「記憶の継承は、学園生活に支障が無いようにとの、私からの計らいだ。女体化は、……地球の漫画やゲームに感化され過ぎ、血気に逸った結果、命を散らせたお主への戒めか、」
先ほど澄んだ声で、唄を吟った時とは似ても似つかぬ、しわがれた声が、部屋の隅の暗闇から聞こえる。
「ジェ・ヴォーダン君……、」
「まったく、今回は肝を冷やしたが、この星と、あの学校に興味を寄せる者が、この銀河には真に数多いるようじゃ」
暗闇の中でジェ・ヴォーダン君の鬼灯の様な赤い両目がぼんやり見える。
「私は、この星に流星が降る夜からやって来た。私からの願いは一つ。お主は今まで通り学校に行きなさい。日々の中にこそ、真の幸いと、御大切が有るのだから」
微かに認めることのできた赤い輝きも薄れ、消え行こうとしていた。
「あれ? 今はまだ、戦いが終わってないの? タイムトラベル的な事になってるの?」
アジスは暗がりに向かい問いかける。
「艦隊の消失は一週間先。お主は艦隊と通信しないように。自分と会話したりすると、どちらかを殺さねばならん」
「怖っ!!」
「それから、宇宙の英雄気取りも程々にの。お主の柄ではない。エリドゥにでも任せておくがよい………」
ジェ・ヴォーダン君の気配の消えたのを確認したアジスは、着るもの探すため、裸で部屋をうろうろする。
「女化したお主に新しい名前を送ろう」
「わ!」
床から再びジェ・ヴォーダン君がニョッキリ顔を出す。
「……。御統…。ヤシン、アンシャール、ミスマル、と名乗るが良い」
「う、うん。わ、わかったからさ、あのー、服を探してきてくれないかな、」
胸元を隠しながらアジス、改めミスマルは言う。
「ヌハ! し、失礼した! 私は実体が無いので、ナムジンを呼ぶとしよう」
ジェ・ヴォーダン君は慌てて退出した。




