第8話 欲望の三角貿易と、エルフの値段
「金で解決できる苦労は、進んで金で解決する。これこそが大人の流儀だ」
俺、グラス・ド・オネスティー(一五歳・アイアン級商人・実家追放済み)は、カレンシーの港で腕組みをしながら、さも名言を吐いたかのように頷いた。
視線の先では、ギルドが手配した獣人族の沖仲仕たちが、俺の腰を粉砕しかけたワイン樽を、まるで風船でも扱うかのように軽々と放り投げている。
「ほらよっ!」
「おうさ!」
飛び交う樽。
盛り上がる筋肉。
ほとばしる汗。
彼らの二の腕は、俺の太ももより太い。いや、俺の胴体くらいあるかもしれない。
前回、腰をさすりながら死にかけた荷下ろし作業が、わずか数分で終わろうとしていた。
「素晴らしい……。感動した。俺の軟弱な筋肉では一生かかっても到達できない境地だ」
「旦那様。感動しているところ申し訳ありませんが、口が開いています。間抜け面が三割増しです」
隣で涼しい顔をして伝票整理をしているのは、俺の従者(仮)であり、毒舌ホムンクルスのサクラだ。
「うるさいな。俺は今、資本主義の偉大さを噛み締めているんだよ」
「単に『楽ができて嬉しい』と言えばよろしいのでは? クーリー代を経費計上することで、利益率は下がっていますが」
「ぐっ……痛いところを」
そうなのだ。
楽をするには金がかかる。
だが、俺は決めたのだ。
あの地獄の肉体労働は、二度と御免だ。
俺は商人であって、運送屋ではない。
……まあ、やっていることは運送屋なのだが。
空になった魔導船『オネスティー号』に乗り込み、俺たちは一旦、隣村にある爺さんの屋敷を目指した。
実家を追い出された俺にとって、今はここが数少ない拠点の一つだ。
とは言え、ここには商売になるような物は特にない。
翌日、俺はカレンシーの街を這いずり回るように探索した。
狙いは『軽くて、高くて、儲かるもの』だ。
だが、現実は甘くない。
「やっぱり、オリーブオイルしかないか……」
カレンシーの特産品といえば、質の良いオリーブオイルだ。これは鉄板だ。
問題は、その先だ。
オリーブオイルを王都に運ぶ。
これはいい。
高く売れる。
だが、王都からカレンシーに戻る時、何を積むかだ。
前回は高級ワインで小遣い稼ぎができたが、マーガレットさんの忠告通り、あんなものは毎回売れるわけがない。
「ここカレンシーで需要があるのは、安くて強い『ラム酒』か……」
俺は羊皮紙にカリカリと計算式を書き殴る。
ラム酒は単価が安い。
利益を出そうと思えば、大型帆船で大量輸送するのがセオリーだ。
俺の魔導船でちまちま運んでも、クーリー代を払えば利益はスズメの涙。
「かといって、空荷で戻ってくるのは、サクラに『酸素を運ぶ慈善事業ですか?』と罵倒される未来しか見えない」
俺は頭を抱えた。
利益率の低いラム酒をシルヴェールで仕入れてカレンシーへ運ぶか。
それとも、王都へ直行してオリーブオイルを売り捌き、そこからシルヴェールへ何かを運ぶか。
俺が出した結論は、『三角貿易』だった。
カレンシーでオリーブオイルを積む→王都で高く売る→空荷でシルヴェールへ向かい、そこで何か探す→カレンシーへ戻る。
このルーチンワークだ。
「よし、とりあえずこの方針でいこう。手堅く稼ぐんだ」
「夢のないお顔ですね、旦那様。冒険心が死滅しています」
「うるさい! 生き残るのが先決なんだよ!」
こうして俺の『オリーブオイル行商人』としての生活が始まった。
順調だ。実に順調だ。
魔導船のスピードを生かして、カレンシー、王都、シルヴェールをぐるぐると回る。
計算通りの利益が出る。
ご飯も食べられる。
だが、不満があった。
「……儲けが、ショボい」
王都の酒場で、俺はエールを飲みながら愚痴をこぼした。
労力の割に、手元に残る金が少ない。安定はしているが、一攫千金の夢には程遠い。
そんなある日、王都でいつものように『バカ三人組』こと、悪友ボブ、親友アル、真面目騎士チャートと飲んでいる時のことだった。
そこに、あの御方が降臨した。
「あら、グラス君。また辛気臭い顔でお酒を飲んでいるのね」
鮮やかなドレスに身を包んだ、公爵令嬢マリー様だ。
後ろには、商会令嬢のクレアと聖女候補のエリッサも控えている。いつ見ても華やかすぎて、直視すると目が潰れそうだ。
「マリー様、お久しぶりです。辛気臭いとは心外な。これは『孤高の商人の憂い』というやつでして」
「ふーん。まあいいわ。ちょうど良かった。あなた、船を出してちょうだい」
「は?」
マリー様は優雅に扇子を開いた。
「今度、シルヴェールで『開港祭』があるのを知っているでしょ? 私たち、それに行きたいの」
「えっ、シルヴェールの開港祭ですか?」
聞いたことはある。公爵領であるシルヴェール港が、大規模な交易拠点として解放されたことを祝う、年に一度の大祭りだ。
「ええ。陸路だと馬車で何日もかかるけれど、あなたのその……カヌーみたいな船なら、すぐなんでしょう?」
「カヌーじゃありません、由緒ある魔導船です! ……まあ、日帰りも可能ですけど」
「決まりね。明日の朝、出発よ。もちろん、お友達のみなさんも一緒よ」
マリー様はニッコリと微笑んだ。拒否権など最初から存在しない笑顔だった。
ボブが「よっしゃ! マリー様との船旅だ!」とガッツポーズをし、サクラが「やれやれ、託児所の開園ですね」と呟いた。
◇
翌朝。
満員のオネスティー号は、王都を出港し、海路を爆走してシルヴェールへと到着した。
さすがは公爵令嬢だ。
港に着いた瞬間、俺たちが宿の手配をする必要などなかった。
「こちらが当家の別邸ですわ」
案内されたのは、海を見下ろす丘の上に建つ、白亜の豪邸だった。
「……マリー様。これ、別邸っていうか、俺の実家よりデカいんですが」
「あら、狭くてごめんなさいね。掃除が行き届いているか心配だわ」
これが上級貴族の感覚か。
俺の「自立」とか「商売の苦労」が、ままごとのように思えてくる。
だが、落ち込んでいる暇はない。祭りは待ってくれないのだ。
シルヴェールの街は、開港祭の熱気に包まれていた。
屋台が並び、大道芸人が舞い、色とりどりの旗が風にはためく。
俺たちはマリー様の招待で、一日中祭りを堪能した。
そして、祭りのメインイベント――特設巨大テントで行われる『大オークション』の時間がやってきた。
「うへぇ、すごい人だ」
会場の入り口には長蛇の列ができていた。
本来なら、俺のような駆け出し商人が入れる場所ではない。
整理券をもらうだけで日が暮れるレベルだ。
だが、俺たちのパーティにはチート級のコネがある。
「こちらへどうぞ。特別席をご用意しております」
騎士団の正装をした衛兵が、敬礼をして案内してくれた。
この地を治めるシルヴェール公爵家の娘であるマリー様はもちろん、代々騎士団長を輩出している名門ブラウン家のチャートがいるからだ。
「持つべきものは、権力者の友人だな」
「旦那様、その発言はあまりに品がありません。せめて『友人の恩恵に感謝』と言い換えてください」
サクラに脛を蹴られつつ、俺たちは会場を見下ろす貴族席(VIPボックス)に座った。
ふかふかのソファ。
運ばれてくる高級シャンパン。
眼下では、一般参加者たちがすし詰めになっている。
なんという優越感。
「さあ、始まるわよ」
マリー様が扇子を揺らすと同時に、会場の照明が落ちた。
オークションの目玉は、例年なら迷宮から発掘された『宝具』だ。
だが、今年は様子が違った。
「本日のメインイベント! 各地から集められた、選りすぐりの『労働力』の紹介です!」
司会者の甲高い声が響く。
今年は宝具の不作年らしく、その代わりに大規模な奴隷オークションとなっていた。
この国では、人種を中心とした運営がされているため、他種族の奴隷はそれほど多くない。
だが、港湾都市シルヴェールでは、力仕事ができる獣人族の需要が高いのだ。
「最初は、港湾作業に最適! 屈強な熊人族の登場だ!」
鎖に繋がれた熊人たちが舞台に上がる。
その筋肉を見て、俺は思わず身を乗り出した。
「おおっ……! あれがいれば、クーリー代が浮くのでは?」
「維持費と食費、それに逃亡のリスクを計算に入れましたか? 旦那様の管理能力では、三日で脱走されて終わりです」
サクラが冷水を浴びせる。
確かに、あんな筋肉ダルマに睨まれたら、俺は泣いて謝る自信がある。
会場の商人たちは熱心に入札していたが、俺たち一行(特に女性陣)の反応は薄かった。
「むさ苦しいわね」
マリー様が一蹴する。
だが、次の瞬間、会場の空気が一変した。
「お待たせしました! 本日の真の目玉! 滅多に市場に出回らない、森の貴族! エルフ族の登場です!」
どよめきが走る。
舞台袖から連れられてきたのは、ほっそりとした手足と長い耳を持つ、男女のエルフだった。
まずは女性エルフ。
透き通るような白い肌、金色の髪、そして憂いを帯びた碧眼。
ボロボロの服を着ていても隠しきれない、圧倒的な美貌。
「……っ!」
俺は息を呑んだ。
美しい。
なんだあれは。
同じ知的生命体とは思えない造形美だ。
思わず身を乗り出し、オペラグラスを覗き込もうとした、その時。
ドゴォッ!
「ぐえっ!?」
横っ腹に強烈な衝撃が走った。
サクラの肘鉄だ。
「旦那様。眼球が飛び出ています。下品ですのでおやめください」
「い、いいじゃんか! 見るだけ、見るだけだから!」
「その鼻の下の長さは、『見るだけ』の長さではありません。入札を検討する顔でもありません。ただの発情期の猿の顔です」
女性陣からの冷ややかな視線が突き刺さる。
ボブでさえ、鼻の下を伸ばしているものの、俺ほどあからさまではなかったらしく、軽蔑の眼差しは俺に集中していた。理不尽だ。
続いて、男性エルフが紹介された。
こちらもまた、絵に描いたような美青年だ。
中性的な顔立ちに、切れ長の瞳。
その瞬間。
「キャアアアアアッ!」
隣から黄色い悲鳴が上がった。
マリー様、クレア、エリッサ、その他会場の女性たちが、一斉に身を乗り出していたのだ。
「な、なんて美しいのかしら……!」
「まるで物語の王子様みたい!」
「尊い……! 鎖に繋がれた姿がまた、庇護欲をそそりますわ……!」
さっきまでの冷静さはどこへやら。彼女たちの目は、獲物を狙う肉食獣のようにギラギラと輝いている。
まるで王都で人気の吟遊詩人アイドルを見る、思春期の少女そのものだ。
「……おい、なんだよあれ」
俺は呆気にとられた。
「ふん、優男じゃねーか。俺の方が筋肉あるぜ」
ボブが自身の力こぶ(脂肪多め)を作って見せるが、女性陣は見向きもしない。
「悲しい現実ですね、ボブ様。種族値という絶対的な壁の前では、個人の努力など無意味です」
サクラが容赦ない事実を告げる。
オークションが始まった。
価格は跳ね上がった。
「金貨五百枚!」
「六百枚!」
「八百枚!」
飛び交う数字の桁が違う。
俺がオリーブオイルをちまちま運んで稼ぐ利益が、駄菓子代に思えるような金額だ。
特にエルフ族は魔法への適性が高く、容姿も優れているため、愛玩用としても護衛としても需要が高いらしい。
「……高い。高すぎる」
俺は愕然とした。
これが、各種族の「相場」というやつか。
今回の最大の成果は、自分の商売の規模がいかに小さいかを思い知らされたことかもしれない。
「はあ……俺には高嶺の花か」
俺はため息をついて、椅子に深く沈み込んだ。
だが、想像するのは自由だ。
もし、あんな美しいエルフの奴隷を手に入れたら……。
朝、「おはようございます、ご主人様」と、あの透き通るような声で起こしてもらい、魔法で温かいお茶を淹れてもらう。
夜は……ムフフ。
いや待て、エルフは長命種だから、知識も豊富だろう。
商売の相談相手にもなるかもしれない。
知的な美女と、二人三脚で成り上がる商売道。
そしていつかは……。
「ムフフ……へへへ……」
俺の口から、締まりのない笑い声が漏れた。
その時である。
スパーンッ!!
乾いた音が貴族席に響き渡った。
「あべしっ!?」
後頭部に走る激痛。
振り返ると、サクラがハリセン(どこから出した?)を構えて仁王立ちしていた。
「旦那様。妄想が音漏れしています」
「お、音漏れってなんだよ! 俺は何も言ってないぞ!」
「顔面が『ムフフ』と言っていました。その顔は、間違いなく不純異性交遊を妄想していた時の顔です。教育的指導を行いました」
「理不尽だ! 思考の自由さえ許されないのか!?」
「身の程を知らない妄想は、身を滅ぼします。まずはオリーブオイルの在庫管理からやり直してください」
周りを見渡すと、マリー様たちは男性エルフの落札価格に一喜一憂し、ボブたちはエルフ美女が誰の手に渡るのかを固唾を飲んで見守っていた。
そんな中、俺だけが従者にどつかれ、頭を抱えている。
華やかな開港祭の裏で、俺は悟った。
自立への道は遠い。
そして、エルフの奴隷よりも、まずはこの毒舌ホムンクルスをどうにかしないと、俺に春は来ないのだと。
「……帰ったら、仕事しよう」
「賢明な判断です。さあ、明日は早朝から出航ですよ、船長」
シルヴェールの夜景は、涙で滲んで少しだけ綺麗に見えた。




