第7話 商売の甘い罠と、労働者の赤い血
「英雄、凱旋す」
そんな大層な言葉が頭をよぎるほど、俺、グラス・ド・オネスティー(一五歳・アイアン級商人)の気分は高揚していた。
王都でのオリーブオイル直販作戦は大成功。懐にはズシリと重い金貨の袋。
これぞ商売。
これぞサクセスストーリーだ。
「旦那様。鼻の下が伸びすぎて、地面を引きずっていますよ」
「放っておいてくれサクラ。今は勝利の余韻に浸らせてくれ」
王都の商業ギルドを出た俺は、久しぶりに空を見上げた。青い。王都の空も、俺の心も晴れ渡っている。
だが、ここで調子に乗ってすぐに帰らないのが、学習した元貴族の慎重さだ。
せっかく王都まで来たのだ。懐かしい顔ぶれに会わない手はない。
俺はギルドを通じて、学園に連絡を取ってもらった。
すると翌日、王都のオープンテラスには、懐かしい面々が勢揃いしていた。
「グラス! 会いたかったぜ!」
「元気そうでよかった。少し逞しくなったんじゃないか?」
駆け寄ってくるのは、悪友ボブと親友アル。
それに生真面目なチャーリー。
そして、テーブルには華やかな三輪の花――公爵令嬢マリー、商会令嬢クレア、聖女候補エリッサも座っていた。
「あらグラス君。なんだか野性味が増したわね。前は茹でたモヤシみたいだったのに」
「ちょっとマリー様、褒めてるんですかそれ?」
「グラス君、無事でよかったです……!」
エリッサちゃんが涙ぐんでいる。
ああ、癒やされる。
荒んだ商売人の心に、聖女の慈悲が染み渡る。
「みんな、急に呼び出して悪かったな」
「何言ってるんだよ。水臭いなあ」
俺たちは久しぶりに旧交を温めた。
話題は尽きない。
学園の噂話、俺の商売の苦労話(だいぶ脚色して「荒波を越える海の男」風に語った)、そして相変わらず俺に向けられる男子生徒たちの嫉妬について。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
別れ際、ボブが俺の肩を叩いた。
「グラス、また来いよ。商売、応援してるからな」
「ああ。次はもっとビッグになって戻ってくるさ」
友人たちに見送られ、俺は王都の街へと戻った。
さて、ここからが商人の本番だ。
行きはオリーブオイルで満載だったが、帰りは空荷だ。これでは片道分の利益しか出ない。
サクラからも厳命されている。
「空気を運ぶために燃料を使うバカはいません」と。
俺は王都の市場を歩き回った。
珍しい果物、流行りの布地、魔道具のパーツ……。
だが、どれもピンとこない。
カレンシーで売れるのか?
利益は出るのか?
そもそも仕入れ値が適正なのか?
素人の俺には判断がつかなかった。
「……はあ。やっぱり俺にはまだ早いか」
すごすごとギルドの王都支部に戻ると、受付のお姉さんが声をかけてくれた。
「あら、グラスさん。ちょうどいい依頼がありますよ。シルヴェール港まで、高級ワインの輸送案件です」
「ワインですか?」
「はい。全部で六樽。沖仲仕の手配も込みです」
渡りに船とはこのことだ。俺は二つ返事で引き受けた。
さらに、俺の商売人としての勘(という名の山っ気)が囁いた。
六樽運ぶなら、魔導船の積載量的にはあと四樽いける。
「あの、もしよければ、同じワインを四樽、私個人に売ってもらえませんか?」
「ええ、構いませんよ。在庫はありますから」
結構な値段だったが、王都の高級ワインだ。
地方に行けば高く売れるに違いない。
ギルド職員に「どこで捌くんですか?」と聞かれ、「カレンシーで売ります」と答えると、彼女は目を丸くした後、にっこりと微笑んだ。
「それは……いい商売になりそうですね」
その言葉に、俺は確信した。これは勝てる!
やはり俺には商才があるのかもしれない。
◇
翌朝、船着き場。
俺は呆然と立ち尽くしていた。
目の前では、ギルドが手配してくれた獣人族の沖仲仕たちが、作業をしていた。
「ほいよっ! 次、頼むわ!」
「おう!」
彼らは、俺があれほど苦労して、腰を破壊しかけたワイン樽を、まるで空の弁当箱でも扱うかのように軽々と担ぎ上げていた。
片方の肩に一樽。
いや、人によっては両肩に担いでいる。
筋肉の質が違う。生物としてのスペックが違いすぎる。
「……俺の苦労は一体」
「種族差という現実ですね。彼らにとっての重労働は、旦那様にとっての『死の行軍』です。お金を払ってプロに任せる。これこそが商売の基本ですよ」
サクラが涼しい顔で言う。
悔しいがその通りだ。
十樽の積み込みは、わずか数十分で完了してしまった。
俺が一人でやっていたら半日はかかっていただろう。
「よし、出航だ!」
魔導船『オネスティー号(仮)』は、王都の運河を滑るように下った。
流れに乗っていることもあり、行きよりも速い。
昼前にはシルヴェール港に到着し、ここでも手配していたクーリーたちが瞬く間に六樽を荷下ろしした。
依頼完了。
サイン一つで決済終了。
スマートだ。これだよ、俺が求めていた商人の姿は!
「サクラ! このままカレンシーへ戻るぞ!」
「承知しました。残りの四樽、早く現金化したいという旦那様の浅ましい欲望が透けて見えますね」
「うるさい! 時は金なりだ!」
シルヴェールからカレンシーへの海路も順調そのものだった。
魔導船のスピードは圧倒的だ。
夕日が水平線に沈む頃には、懐かしきカレンシーの港が見えてきた。
入港手続きを済ませ、俺は意気揚々と商人ギルドへ駆け込んだ。
受付には、いつものマーガレットさんがいた。
「ただいま戻りました、マーガレットさん! 王都からの直輸入、最高級ワインを四樽仕入れてきましたよ!」
俺の報告に、周囲の荒くれ商人たちが「おおっ?」とどよめいた。
マーガレットさんも目を輝かせた。
「お帰りなさい、グラス君。仕事が早いわね。すぐにクーリーを手配して、査定しましょう」
ここでもクーリー(今回は人族だったが、屈強な男たちだ)が荷下ろしをしてくれた。
かつて自分が汗水垂らして運んでいた樽を、他人が運んでくれる。それを指示する側になる。
なんとも言えない優越感が、背筋をゾクゾクさせた。これが「経営者」の視点か。
査定の結果は上々だった。
輸送コスト、関税、手数料を引いても、かなりの利益が出た。
俺は決算書にサインをしながら、ニヤニヤが止まらなかった。
「へへっ……チョロい。商売って、意外とチョロいぞ」
「あら、景気がいいわねグラス君」
マーガレットさんが決算書を受け取りながら、不敵に微笑んだ。
「で、次も高級ワインを仕入れるつもり?」
「もちろん! 王都で買ってここで売るだけで、こんなに儲かるんですから!」
俺が即答すると、マーガレットさんは人差し指をチッチッと振った。
「残念だけど、当分は高級ワイン、買い取れませんよ?」
「えっ……?」
俺の笑顔が凍りついた。
買い取れない? なぜ?
「ここはカレンシーよ? 辺境の港町。顧客のメインは誰だと思う?」
「えっと……船乗りや、港湾労働者……?」
「正解。彼らが仕事上がりに飲むのは、繊細な香りの高級ワインかしら? それとも、喉が焼けるような強い酒かしら?」
ハッとした。
そうだ。王都の貴族ならいざ知らず、ここの荒くれ者たちが、チマチマと高いワインを飲むわけがない。
今回の四樽は、たまたま物好きな領主館や高級宿が買ってくれるかもしれないが、継続的な需要などあるはずがないのだ。
「市場調査不足ですね、旦那様。王都のギルド職員が言った『いい商売になる』は、『(たまになら)いい小遣い稼ぎになる』という意味ですよ」
サクラが追い打ちをかける。
俺はガックリと項垂れた。
商売の神様は、すぐに調子に乗る若者に厳しい。
「じゃ、じゃあ何を仕入れれば……」
「ここなら、『ラム酒』ね」
マーガレットさんが即答した。
「サトウキビから作る蒸留酒。安くて、強くて、甘い。船乗りたちの血液みたいなものよ。シルヴェールあたりなら安く仕入れられるし、ここでは水のように売れるわ」
「ラ、ラム酒ですか……」
「ただし」
マーガレットさんは真剣な目で付け加えた。
「単価が安いの。利益を出そうと思ったら、四樽や十樽じゃ話にならないわ。大型船で百樽、二百樽と運んで、初めて旨味が出る商材よ」
「ひゃ、百樽……!?」
想像して、俺はめまいがした。
百樽の積み下ろし? いくらクーリーを雇うと言っても、管理だけで死にそうだ。魔導船の積載量的にも厳しい。
つまり、俺のような個人商人は、手を出しても労多くして益少なしということか。
「商売って……難しいですね」
「ふふ、だから面白いのよ。グラス君、あなたの魔導船の強みは何?」
「えっと……速さと、小回りが利くこと?」
「そう。だったら、『重くて安いもの』を大量に運ぶより、『軽くて高いもの』を素早く運ぶのが合ってるんじゃない?」
軽くて高いもの。
俺の脳内で、黄金色に輝く何かが閃いた気がした。
そうだ。俺が目指すべきは「薄利多売」の肉体労働型商人ではない。「一攫千金」のトレジャーハンター型商人だ!
……いや、それが一番難しいんだけど。
「ありがとうございます、マーガレットさん! 俺、勉強になりました!」
「ええ、期待してるわよ。次は珍しいものを持ってきてね」
ギルドを出た俺は、夜空を見上げた。
カレンシーの風は、ラム酒と潮の香りがした。
「サクラ、方針変更だ」
「ほう。また突拍子もないことを?」
「ラム酒も扱うが、メインじゃない。俺たちは『軽くて高い』商材を探す旅に出る」
「具体的には?」
「……それを探しに、またシルヴェールや王都へ行くんだよ! 市場調査だ!」
サクラは呆れたようにため息をついたが、その表情はどこか楽しげだった。
「やれやれ。また私の操縦テクニックで、旦那様の三半規管を鍛える日々が始まるわけですね」
「お手柔らかに頼むよ!」
こうして、俺の商売は「とりあえずやってみる」段階から、「考えて動く」段階へと、少しだけ進化した。
目指すは、クーリー要らずの高級商材。
俺の(主に肉体的な)平穏な生活を目指して、魔導船オネスティー号は、明日も海を駆けるのだ。




