第6話 魔導船、抜錨! そして商売の夜明け
「コロンブスの卵」という言葉がある。
誰でもできることでも、最初にやるのは難しいという例えだ。
だが、俺、グラス・ド・オネスティー(一五歳・アイアン級商人)の場合、その卵はとっくに腐っていたらしい。
「ふふん、どうですかマーガレットさん! これぞ『アイアン級』の特権を活かした、画期的な物流システムです!」
カレンシーの商人ギルド。俺はカウンターに肘をつき、ドヤ顔で報告書を提出した。
魔導船の修理を待つ間、俺はただ樽を運ぶだけの肉体労働者ではなかった。
港に停泊する顔馴染みの船長たちに交渉し、船の空きスペースに俺の商品(主に干物や塩漬け肉など)を積んでもらい、目的地のシルヴェール港にあるギルド支部で委託販売してもらう。
俺自身は動かず、商品は動き、利益が入る。
これぞ不労所得への第一歩。俺の商才が恐ろしい。
しかし、マーガレットさんは報告書を一瞥すると、聖母のような慈愛と、猛獣使いのような冷徹さが混在した笑顔で言った。
「ええ、素晴らしい利益率ですねグラス君。……でもね?」
「は、はい?」
「この『委託輸送販売』のシステム、別にアイアン級じゃなくても、ペーパー級(見習い)から利用可能ですけど?」
「……へ?」
俺の思考が停止した。
ペーパーから?
一番下のランクから?
「ギルドの教本、三ページ目に書いてありますよ。『相互扶助の精神に基づき、ギルド間の委託販売を推奨する』って。グラス君、一度も相談してくれませんでしたよね?」
「あ、あう……」
「わからないことがあったら、すぐに聞いてくださいね。……『報・連・相』は商人の基本ですよ?」
ニコリ。
背筋が凍る。
俺は「はいぃ!」と直立不動で敬礼した。
背後では、サクラが「プッ」と吹き出し、小声で呟いたのが聞こえた。
「無知は罪、知ったかぶりは恥。今のご主人様は、恥の上塗りミルフィーユですね」
「うるさいよ! 誰か教えてくれよ!」
悔し涙を流しながらも、懐は温まった。
恥をかいた分だけ、金貨が増えたと思えば安いものだ(と思いたい)。
◇
それから十日後。
夏の終わりを告げる風が吹き始めた頃、俺はカレンシーの港に立っていた。
王都へ帰る親友たちを見送るためだ。
「じゃあなグラス。お前が立派な商人になって戻ってくるのを待ってるぜ」
「ああ。王都に着いたら、マリーたちによろしく言っといてくれ」
ボブが白い歯を見せて笑い、アルが真剣な眼差しで俺の手を握る。
「グラス、無理はしないでね。何かあったらすぐに連絡するんだよ」
「わかってるよ、アル。お前こそ、勉強頑張れよ」
二人が乗り込んだのは、ボライソー船長の大型帆船だ。
ここカレンシーから王都へは、海路でシルヴェール港へ向かい、そこから運河を行くのが最短ルートだ。馬車だと山越えがあり時間がかかる。
ドラが鳴り、船が岸を離れていく。
甲板で手を振る二人。俺も腕がちぎれるほど振り替えした。
「……行っちゃいましたね」
「ああ。……寂しくなるな」
隣に立つサクラが、珍しくしんみりとした声を出した。
だが、すぐにいつもの調子に戻る。
「感傷に浸る時間は終了です。ご主人様、朗報ですよ。……アレの準備が整いました」
「アレって……まさか!」
俺たちは顔を見合わせ、急いで祖父の屋敷――の裏にある、船宿へと走った。
◇
ギギギ……と重い扉が開く。
暗がりの中に差し込む光が、その船体を照らし出した。
「うおおおおっ! すげえ!」
そこにあったのは、以前見たボロボロの遺物ではなかった。
磨き上げられた青白い金属の船体は、まるで宝石のように輝いている。
全長十メートル。帆柱のない流線型のフォルム。
古代の技術の結晶、魔導船だ。
「どうですか、旦那様。私の整備の腕前は」
「完璧だ……! 新品みたいじゃないか!」
「ふふん。当然です。この船は、私が生まれた時から一緒にある『揺り籠』ですから」
サクラが船体を愛おしそうに撫でる。
その横顔は、いつもの毒舌メイドではなく、どこか少女のようなあどけなさを帯びていた。
そうか。彼女はずっと、この船が再び海に出るのを待っていたんだな。
爺さんが大切に保管し、サクラが魂を込めて整備した船。
これを使うということは、オネスティー家の歴史を背負うということだ。
「ありがとう、サクラ。お前のおかげだ」
「……べ、別に。お礼を言われる筋合いはありません。私はただ、無能なご主人様が海で沈まないように、最低限の仕事をしただけです」
サクラがプイと顔を背けた。
耳が赤い。ツンデレか。
このホムンクルス、機能が豊富すぎる。
「よし! これで俺たちは自由だ! どこへでも行ける!」
「調子に乗らないでください。まだ試運転もしていないのですから」
◇
魔導船復活の翌日。
俺は商人ギルドへ向かい、事業計画の変更を申請した。
「えっ、魔導船!? あの伝説の船を使うの?」
マーガレットさんが目を丸くして驚いた。
周囲の荒くれ商人たちもざわめき立つ。
無理もない。
魔導船なんて、王家や大貴族の持ち物だと思われているからな。
「はい。これを使って、カレンシー特産のオリーブオイルを王都へ直販します」
「なるほど……。魔導船のスピードなら、鮮度も保てるし、運賃コストも浮くわね」
マーガレットさんはすぐに商売の計算をし、太鼓判を押してくれた。
手続きはスムーズに進み、俺はいよいよ「船持ち商人」としての一歩を踏み出すことになった。
だが、現実は甘くない。
最初の試練は、「仕入れ」だった。
「ぐっ、ぬおおおお……! 腰が! 腰が砕けるぅ!」
カレンシー港から少し離れた場所にある船宿。
俺は必死の形相で、オリーブオイルがたっぷりと詰まった樽を魔導船に積み込んでいた。
その数、十樽。
今まではボライソー船長の手伝いで二、三樽運ぶのがやっとだった。それを一人で、しかも足場の悪い船宿から船へ運び込むのだ。
「ひぃ、ひぃ……! サクラ、手伝って……!」
「お断りします。私は精密機械です。重労働は保証対象外です」
サクラは優雅に紅茶を飲みながら見学している。
鬼だ。悪魔だ。ホムンクルスだ。
「……旦那様。この商売が軌道に乗ったら、沖仲仕を雇いましょう。見ていて痛々しいですし、効率が悪すぎます」
「ぜ、ぜったいに雇う! 給料ははずむから!」
最後の樽を積み終えた時、俺はその場に大の字になって倒れ込んだ。
だが、休んでいる暇はない。時は金なりだ。
「出航準備完了! 魔導船『オネスティー号(仮)』、抜錨!」
「名前のセンスが皆無ですね。まあいいでしょう。魔力回路接続。出力安定。……行きますよ、ご主人様」
サクラが操縦席――船尾にある複雑な計器盤に手を触れると、船体がブォンという低い唸り声を上げた。
次の瞬間。
ドッッッギュアアアアアン!!
「うわあああああああ!?」
凄まじいGが俺を襲った。
船は矢のように加速し、船宿から海へと飛び出した。
速い。速すぎる!
水面を滑るように疾走するそのスピードは、帆船の比ではない。
風待ち?
潮流?
そんなの関係ねえ! と言わんばかりの暴力的加速だ。
「ちょ、ちょっとサクラ! 速すぎないか!?」
「これでも巡航速度の五割です。全開にしたら、旦那様は海の藻屑ですよ」
「五割でこれかよ!?」
カレンシー港を出て、外洋へ。
波を切り裂き、風を置き去りにして進む。
途中、昨日出航したはずのボライソー船長の船を追い抜いた。
甲板にいた船長が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを見ていたのが見えた。
「ははっ! 見たかサクラ! 船長があんな顔してる!」
「性格が悪いですよ、旦那様。……まあ、気分は悪くありませんが」
通常なら丸一日かかるシルヴェール港への道のりを、魔導船はわずか半日で走破した。
これが、古代文明の力……!
俺は震える手で拳を握りしめた。これなら、勝てる!
◇
シルヴェール港に到着した俺たちは、息つく暇もなく商業ギルドへ向かい、運河の通行許可を取得した。
魔導船の珍しさもあって手続きに時間はかかったが、マーガレットさんの紹介状(という名の威圧状)のおかげで、なんとか通過できた。
そこからは運河の旅だ。
波のない穏やかな水面を、魔導船は滑るように進む。
両岸に広がる田園風景。遠くに見える山々。
王都へ向かうこの景色を、数ヶ月前は馬車から、不安な気持ちで眺めていた。
だが今は違う。
自分の船で、自分の商品を載せて、自分の意志で向かっている。
「……着きましたよ、旦那様」
サクラの声に顔を上げると、夕焼けに染まる巨大な城壁が見えた。
王都セルフィニシュだ。
王都の水門をくぐり、商業区の船着き場に船をつける。
俺はすぐにギルドの取引所へ駆け込んだ。
「カレンシー産、最高級オリーブオイル! 十樽納品だ!」
取引所の係員が品質を確認し、提示された金額を見て、俺は思わず息を呑んだ。
カレンシーでの仕入れ値の、約三倍。
そこから関税やギルド手数料を引いても、手元に残る利益は……。
「……勝った」
俺は取引所の出口で、夕日に向かってガッツポーズをした。
肉体労働の疲れも、サクラの毒舌も、すべてが報われた瞬間だった。
「おめでとうございます、ご主人様。初めての『ちゃんとした』商売、成功ですね」
サクラが背後から声をかけてきた。
振り返ると、彼女はまた、あの少し照れたような、優しい笑顔を浮かべていた。
「ああ。これも魔導船と……お前のおかげだ」
「ふん。調子に乗らないでください。これはまだ第一歩。これから、失った男爵位を取り戻し、実家を買い戻し、私に最高級のオイルメンテナンスを施せるくらい稼いでもらいますからね」
「最後のが本音だろ!」
俺たちの笑い声が、王都の空に響いた。
無一文から始まった、ヘタレ商人と毒舌ホムンクルスの逆襲劇。
その第一章が、今ここで完結し――そして、新たな冒険が始まろうとしていた。
待ってろよ、まだ見ぬ世界!
そして、いつか見返してやるぞ、俺を追い出した連中!
……あ、その前に帰りの荷物探さなきゃ。空荷で帰ったら赤字だ。
俺は慌ててギルドへとUターンしたのだった。




