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【魔導船】で始める大逆転貿易録 ~無一文から始める、最強毒舌メイドとの冒険商人ライフ~  作者: へいたれAI
第二章 相続と自立

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第5話 汗と涙と、紙切れ一枚の商売人




 かつて、偉大なる先人は言った。「労働は神聖なものである」と。

 だが、あえて言わせてもらいたい。

 いきなり高負荷の肉体労働を課せられた元・温室育ちのボンボンにとって、それは神聖というより「地獄の責め苦」に近い、と。


「ぐ、ぐぬぬ……重い! なんだこの樽! 中身は鉛か!?」


「いいえ、ご主人様。それは上質な赤ワインです。落とせばあなたの労働三ヶ月分がパーになりますから、気をつけてくださいね」


 カレンシーの港。照りつける太陽の下、俺は必死の形相で樽を抱えていた。

 ボライソー船長から借りた、手漕ぎの古びたボート。通称「オネスティー丸(仮)」。


 俺の記念すべき再出発の第一歩は、沖に停泊するボライソー船長の大型帆船へ、補給物資を運ぶ「艀(はしけ)仕事」だった。


 仕事内容は単純明快。

 一、桟橋で水や食料、酒の入った樽を受け取る。

 二、揺れる小舟に積み込む。

 三、オールを漕いで沖の船まで運ぶ。

 四、ロープで荷揚げする。


 文字にすればたった四行。

 だが、この四行には俺の悲鳴と絶望が凝縮されていた。


「ひぃ、ひぃ……! 手、手のひらが……!」


「皮がむけましたか? 大丈夫、人間には『再生』という便利な機能が備わっています。続けてください」


 桟橋の上で日傘をさし、優雅に見下ろすサクラ。彼女は現場監督だ。

 手は貸さない。口は出す。

 俺は血の滲む手でオールを握り、波に逆らってボートを進める。

 飲料水の入った樽が三つ。

 ワイン樽が二つ。

 バランスを崩せば転覆。波を被れば荷物が台無し。


 貴族時代、重いものといえばティーカップと羽ペンくらいしか持ったことのない俺の筋肉繊維は、断末魔の悲鳴を上げてブチブチと千切れていった。


「おーいグラス! 遅いぞ! 日が暮れちまう!」


 甲板からボライソー船長の怒鳴り声が飛ぶ。

 俺は涙目で叫び返した。


「い、今いきますぅぅぅ!」


 ◇


 初日の仕事を終えた俺は、廃屋同然の祖父の屋敷――の、床に転がっていた。

 死体ではない。かろうじて生きている。


「……手が、動かない……」


 手のひらは豆だらけで、いくつかは潰れてグロテスクな状態になっていた。

 布を巻いて保護したが、焼け石に水だ。

 全身の筋肉が熱を持ち、指一本動かすのも億劫だ。


「お疲れ様でした、旦那様。本日の売上は、銅貨二十枚です」


 サクラがチャリンと硬貨を鳴らす。

 銅貨二十枚。宿代と食事代を払えば消える額だ。

 だが、今は家(廃屋)があるし、食事はサクラが海で釣った魚や、裏山で採った山菜で賄える。

 つまり、純利益だ。


「……たったこれだけか……」


「『ペーパー(紙級)』商人ですからね。港内での小間使いができるだけマシです」


 サクラは冷たいおしぼりを俺の顔に乗せた。

 アメとムチの使い方が絶妙すぎて怖い。


「明日と明後日は、ボライソー様の船がシルヴェールへ向かうため、お仕事はありません。ゆっくり休んで、筋肉を超回復させてください」


「……二日も休みかよ。稼げないじゃん」


「今のあなたの体たらくでは、連勤すれば過労死します。オネスティー家再興の前に、墓石を建てることになりますよ」


 悔しいが図星だ。

 俺は泥のように眠った。

 夢の中でも樽を運んでいた。

 その後、俺の労働サイクルは「一日働いて二日死ぬ」という、ニート一歩手前の状態からスタートした。


 ボライソー船長の船が戻ってくるまでの二日間、俺は屋敷の修繕(という名の破壊工作)をしたり、サクラにマッサージ(という名の関節技)をされたりして過ごした。


 当然、稼ぎは少ない。

 いただいた見舞金や支援金を使うという手もあったが、それは「魔導船」の修理費に消える運命にあった。


「いいですか、旦那様。あの船こそが、一発逆転の切り札です。あれが動けば、外洋へ出て莫大な利益を生み出せます。先行投資です」


「わかってるよ……」


 かつて、俺の曽祖父も、この場所から魔導船一隻で成り上がったという。

 サクラ曰く、曽祖父も俺に負けず劣らずのヘタレだったらしい。

 親父もそうだ。

 家ではサクラに頭が上がらず、母さんの尻に敷かれていた。

 なのに、なぜ彼らは成功したのか?


「……しぶとさ、か?」


 ギルド長も辺境伯も、親父のことを「タフだった」「しぶとかった」と評していた。

 ヘタレとしぶとさは、紙一重なのかもしれない。

 今の俺にできるのは、諦めずに樽を運ぶことだけだ。


 一ヶ月が過ぎる頃には、俺の手の皮は厚くなり、豆も固まってきた。

 労働サイクルも「二日働いて一日休む」くらいには改善された。

 それでも、目標とする「十日のうち八日働いて二日休む」には程遠い。


 ◇


 季節は巡り、夏が来た。

 カレンシーの海が、一年で最も青く輝く季節だ。

 俺はいつものように、作業着にねじり鉢巻という、元貴族とは思えないスタイルでボートのメンテナンスをしていた。


「おい! そこの小汚い漁師! オネスティー商会の屋敷を知らないか!?」


 桟橋の方から、聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、そこには派手な夏服を着た二人の青年が立っていた。

 一人は金髪の真面目そうな青年。もう一人は、チャラチャラした軽薄そうな青年。

 間違いない。王都の学園時代の親友、アルとボブだ。


「……アル? ボブ?」


「えっ、その声……グラス!?」


 二人は目を丸くして俺を凝視した。

 無理もない。日焼けして肌は黒くなり、筋肉も少しついた。何より、貴族特有の「ひ弱なオーラ」が消え失せ、「生活に疲れたおっさんオーラ」が出ているはずだ。


「お前、なんだその格好! 現地に馴染みすぎだろ!」


「グラス……本当に大変だったんだね……」


 二人は駆け寄ってきて、再会を喜んでくれた。

 だが、すぐにアルの表情が曇り、俺の胸ぐらを掴んだ(優しく)。


「なんで手紙の一通も寄越さないんだ! 心配したんだぞ!」


「そうだぜ! 僕らがどれだけヤキモキしたか! マリー様たちなんて『もしかして、どこかの港女と駆け落ちしたんじゃ』って泣いてたんだぞ!」


「えぇ……それはごめん……」


 俺は素直に謝った。

 正直、生きるのに必死すぎて、手紙を書く余裕なんてなかったのだ。

 それに、屋敷を追い出されていたから、住所も不定だったし。


「屋敷も差し押さえられたんだ。今は祖父の古い別荘に住んでる」


「そうだったのか……。ごめん、責めて悪かった」


「いいってことよ。……あ、そういえば」


 俺はある重大な事実に気づき、青ざめた。


「俺……ギルドにもしばらく顔を出してない」


「はあ? 商人になったんだろ? 連絡とかどうしてんだよ」


「いや、仕事はボライソー船長から直接もらってたし、サクラが何とかしてくれてるかと……」


 ボブが呆れた顔をした。

 俺たちは急いで商人ギルドへ向かうことにした。


 ◇


 ギルドの扉を開けると、そこには冷房が効いたかのように涼しい笑顔のマーガレットさんがいた。


「あら、グラス君。お久しぶりですね」


 ニッコリ。

 その笑顔の裏に、般若が見える。


「ひぃっ! ご、ご無沙汰しております!」


「二ヶ月ぶり、ですね? 『ペーパー』ランクの新人が、報告も連絡も相談もなく、独自のルートで仕事をしている。……ギルドの規定、覚えていますか?」


「は、はい! 忘れておりません!」


 マーガレットさんの説教タイムが始まった。

 カウンター越しに正座させられ(心の中で)、コンコンと諭される。


「ご友人が来ているから手短にしますけど、次は除名処分も検討しますからね」


「肝に銘じます……」


 横で見ていたボブが「うわぁ、美人の説教とかご褒美じゃん」と小声で言ったが、アルに脇腹を突かれて黙った。


 一通りの説教が終わると、マーガレットさんはふぅと息を吐き、表情を和らげた。


「でも、頑張っているようですね。ボライソー船長から報告は上がっていますよ」


「えっ?」


「『あいつは根性なしだが、逃げ出しはしねえ。最初は一個しか運べなかった樽を、今じゃ二個同時に担いでやがる』って」


 ボライソー船長……!

 あの強面の船長が、そんなことを報告してくれていたなんて。


「それに、他の船からも指名が入っています。『丁寧で、真面目な運び屋がいる』って評判ですよ」


 マーガレットさんは一枚の羊皮紙を取り出した。


「おめでとうございます、グラス君。ギルドの審査が通りました」


「審査?」


「ランクアップです。『ペーパー(紙級)』から、『アイアン(鉄級)』への昇格を認めます」


 渡されたのは、銀色に鈍く光る鉄製のプレートだった。

 アイアンランク。

 それは、港の中だけでなく、近隣の港との交易が許される証。

 一人前の商人としての、最初のステップだ。


「やった……! 俺、上がったぞ!」


「おめでとうグラス! すげえじゃん!」


「努力が報われたんだね。さすが僕の親友だ」


 アルとボブが背中を叩いてくれる。痛いけど、嬉しい。

 手の豆が、筋肉痛が、すべて報われた気がした。

 その時、ギルドの入り口から「チッ」という舌打ちが聞こえた気がした。


 見ると、サクラが立っていた。

 彼女は俺たちの様子を遠くから眺め、呆れたように、しかし口元には微かな笑みを浮かべていた。


「……ふん。ようやくスタートラインですか。予定より三日遅れですね」


 聞こえてきた毒舌も、今日ばかりは祝辞に聞こえる。


「よし! 今日は祝いだ! 俺が奢るぞ!」


「おっ、太っ腹! 何食わせてくれんだ?」


「港の屋台の焼き魚定食だ! 一番高いやつ!」


「……お前、まだ金銭感覚は庶民レベルだな」


 こうして、俺の「自立」への第一章は、最高の友人たちと、ほんの少しの自信と共に幕を開けた。

 ボロボロの手には鉄のプレート。

 心には「しぶとさ」という名の種火。

 そして隣には、俺の財布を握りしめる最強の従者。


 さあ、次は外の世界だ。

 アイアンランクのグラス・ド・オネスティー、いざ出航!

 ……あ、その前に魔導船の修理費稼がなきゃ。 


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