第3話 嫉妬の炎と、突然のサヨナラ
「女の嫉妬は怖い」と、世の男性諸氏は口を揃えて言う。
だが、あえて言わせてもらおう。
男の嫉妬の方が、よっぽど陰湿で、粘着質で、たちが悪いと。
王都の学園に入学して数ヶ月。俺、グラス・ド・オネスティーの学園生活は、ある意味で充実し、ある意味で地獄の様相を呈していた。
原因は明白だ。
俺の周りにいる人間関係である。
公爵令嬢のマリー、大商会の令嬢クレア、そして聖女候補のエリッサ。
学園の三大美女と日常的に茶を飲み、談笑(俺の場合は主にいじられているだけだが)している男など、俺たち四人組くらいのものだ。
アルは辺境伯の子息で成績優秀。
チャーリーは法衣貴族で文武両道。
ボブは大商人の息子で金払いがいい。
彼らはスペックが高いので、男子生徒たちも簡単には手出しできない。
では、嫉妬の矛先はどこへ向かうか?
そう、金も権力も武力もなく、ただヘタレなだけの「成り上がり男爵」――俺である。
「おい、オネスティー。ちょっと面貸せや」
昼休み。
校舎裏に呼び出されるのは、もはや日課となっていた。
待ち受けているのは、決まって目が血走った男子生徒たちだ。
「この手紙をマリアンヌ様に渡せ。いいか、絶対に俺が書いたとバレないように、でも俺の魅力が伝わるように渡せ」
「クレア様の好きな花を聞き出せ。あと、今付き合っている男がいるかも調査しろ」
「エリッサちゃんが最近ハマっているお菓子は何だ! 答えろ!」
彼らは俺を恋のキューピッドか、あるいは使い走りのパシリと勘違いしているらしい。
俺は「嘘をつくと舌を抜かれる」というオネスティー家の家訓(嘘だ、今作った)に従い、彼らの要望にできるだけ誠実に応えることにしている。
しかし、その結果がこれだ。
「はあ……グラス君。また変な手紙を持ってきたの?
『君の瞳は宝石、僕の心は泥団子』って……ポエムのセンスが壊滅的ね。捨てておいて」
「私が好きなのは『金の花(硬貨)』よ。あと、好きな男のタイプは『私の邪魔をしない人』。そう伝えておいてちょうだい」
マリーとクレアには呆れられ、ゴミを見るような目で見られる。
そして寮に帰れば、サクラからのお説教タイムだ。
「お坊ちゃま。あなたは郵便配達員になるために学園へ来たのですか? 他人の恋路を応援する暇があったら、ご自身の春を呼び込む努力をなさい。一生冬のままで凍え死ぬおつもりですか?」
「努力はしてる! でも、俺には高嶺の花すぎて……」
「花は登って摘むものです。下から眺めて涎を垂らしているのは、ナメクジだけですよ」
サクラの言葉は鋭利な刃物だ。俺のメンタルは千切りキャベツのように刻まれていく。
◇
そんなパシリ生活ならまだ平和だったかもしれない。
問題は、俺たちを「面白く思わない」連中だ。
特に、選民思想に凝り固まった上流階級のボンボンたちである。
その筆頭が、入学初日に俺をボコったアルセニック・ド・アコニチン伯爵令息だ。
彼は取り巻きのリード(腰巾着A)とメルクリオ(腰巾着B)を引き連れ、事あるごとに俺に絡んでくる。
「おい、そこの成り上がり! 貴様の歩いた後は空気が汚れるんだよ!」
「平民上がりが貴族の学園に通うなど、王国の恥だ!」
アルやチャーリーがいれば「やめないか」の一言で散る彼らだが、俺が一人の時は容赦がない。
だが、俺もただ殴られるだけのサンドバッグから進化した。
王都の夜遊びで鍛えた「逃げ足」と、サクラから伝授された「土下座フェイント」を駆使し、彼らの攻撃をのらりくらりと躱す術を身に着けたのだ。
「待てコラァ! ちょこまかと逃げ回るな!」
「戦略的撤退です! 失礼しまーす!」
学園の入り組んだ回廊を、俺はネズミのように疾走する。
しかし、いかんせん運動神経は平凡以下。
逃げ回るうちに、階段を踏み外して捻挫したり、柱に激突して青あざを作ったりするのは日常茶飯事だ。
「痛ってぇ……またやっちまった……」
保健室代わりのベンチでうずくまっていると、天から光が降り注ぐ。
「グラス君! また怪我をして……じっとしててね、すぐに治しますから」
特待生のエリッサちゃんが現れ、聖女のような慈愛に満ちた表情で回復魔法をかけてくれるのだ。
温かな光が患部を包み、痛みが引いていく。それは至福の時間だ。
だが、その光景がまた、新たな火種を生む。
「見ろよ、あの野郎……!」
「わざと怪我をして、エリッサちゃんに触ってもらってやがる!」
「汚い! さすが商人の息子、やり口が汚い!」
茂みの陰から、アルセニックたちがハンカチを噛み締めながら見ているのだ。
違う、これは事故だ! 不可抗力だ!
しかし、そんな言い訳が通用するはずもない。
俺へのヘイト値は、回復魔法の光量に比例して上昇していく一方だった。
そんな様子を、校舎の窓から優雅に見下ろしている人物がいた。
サクラだ。
彼女は時折、俺を追い回す連中が通りかかると、わざとハンカチを落としたり、意味深な視線を送ったりして、彼らの興奮を煽っている節がある。
「ふふっ。走れ走れ。止まればただのクズですが、走ればリサイクル可能なゴミくらいにはなれますよ」
絶対に楽しんでいる。
あいつは俺の学園生活を、コメディ映画か何かだと思っているに違いない。
◇
そんなドタバタ劇も、夏が過ぎる頃には日常の一部となっていた。
俺は相変わらずヘタレで、友人たちは相変わらず優秀で、サクラは相変わらずドSだった。
悪所通いも板につき、夜の街のお姉様方とは「いいカモ」としての信頼関係も築けていた。
だが、楽しい時間は唐突に終わりを告げる。
それは、秋風が吹き始めたある日の夕方のことだった。
寮の俺の部屋に、一通の手紙が届いた。
宛名は俺ではなく、サクラ。
差出人は、故郷カレンシーにあるオネスティー商会の番頭からだった。
「……お坊ちゃま。座ってお聞きください」
いつもなら「正座して聞きなさい」と言うサクラが、妙に静かな声で言った。
嫌な予感がした。
背筋に冷たいものが走る。
「ご実家の商会から、緊急の連絡です。……旦那様、オネスティー男爵夫妻を乗せた船団が、南方海域で遭難しました」
「え……?」
思考が停止する。
遭難?
あの親父が?
あのお袋が?
親父はしぶとい男だ。
「海に落ちても鮫を説得して戻ってくる」と言われるほどの商魂の塊だ。
そんな簡単に死ぬわけがない。
「安否は不明です。ですが、問題はそれだけではありません」
サクラは淡々と、しかし残酷な事実を告げた。
「船団には、商会の全財産とも言える積荷が載せられていました。その喪失により、オネスティー商会は巨額の負債を抱えました。そして……隣国のライバル商会がその負債を即座に買い取り、商会の経営権を奪取。事実上の倒産です」
倒産。
その二文字が意味することは、貴族社会において一つしかない。
「爵位の維持条件である資産を失ったため、男爵位は剥奪。……つまり、旦那様。あなたは今日からただの『グラス君』です」
あまりの急展開に、俺は笑うしかなかった。
成り上がり貴族が、一夜にして無一文の平民へ逆戻り。
ジェットコースターも裸足で逃げ出す急降下だ。
◇
翌日、俺は退学届を提出し、荷物をまとめた。
親友たちに事情を話すと、反応は様々だった。
「そんなのあんまりだ! 遭難しただけで、家も爵位も取り上げるなんて!」
アルは激昂し、机を叩いて怒ってくれた。本当にいい奴だ。
だが、これはオプティヌゾン王国の貴族法で定められた厳格なルールだ。
金のない新興貴族に価値はない。
「仕方ないさ、アル。元々、海の上で稼いだ金で買った爵位だ。海に返したと思えばいい」
俺は努めて明るく言った。
チャーリーは沈痛な面持ちで、ボブは……何やら考え込むような顔をしていた。
王都を去る日。
俺とサクラは、カレンシーへ向かう運河船の乗り場にいた。
見送りに来てくれたのは、アルとボブだ。
マリーたちは泣き出しそうだからと、寮で見送ってくれた。
「グラス、絶対にまた会おうな! 僕が家を継いだら、必ず君を雇うから!」
「ああ、期待してるよアル。好待遇で頼むな」
アルと硬い握手を交わす。
そしてボブ。彼は俺の肩をポンと叩き、商人らしい鋭い目で囁いた。
「なあグラス。お前の親父さん、そんなヘマする人じゃないだろ?」
「……まあな。悪運だけは強い人だった」
「貿易船一隻や二隻の遭難で、老舗の商会が即座に潰れるか? しかも、ライバル商会が負債を肩代わりするタイミングが良すぎる。……キナ臭いぜ」
ボブの言葉に、俺はハッとした。
言われてみればそうだ。親父は常にリスクヘッジを欠かさない男だった。
全財産を一つの船団に乗せるなんて、あの守銭奴がするはずがない。
裏がある。
誰かが、オネスティー家を陥れたのか?
「ありがとう、ボブ。……帰ったら、調べてみるよ」
「おう。何か分かったら連絡しろ。俺の家のルートを使って協力してやる」
ボブはニカっと笑い、いつもの軽い調子で手を振った。
ドラが鳴る。
俺とサクラを乗せた船が、ゆっくりと岸を離れていく。
煌びやかな王都。
楽しかった学園生活。
美人の同級生たち。
すべてが遠ざかっていく。
「さて、お坊ちゃま。いえ、今日からお坊ちゃまはオネスティー家の主になりますので、御主人様とお呼びしましょう」
甲板で風に吹かれながら、サクラが涼しい顔で言った。
「御主人様、無一文、家なし、職なし。見事なまでの転落人生ですね。これぞ『三方よし』ならぬ『三方損』」
「うるさいな……これからどうするんだよ、サクラ。お前も自由の身だぞ?」
「何を仰いますか。私はオネスティー商会のものではなく、先々代様により新たな命をいただいたもので、オネスティー家の家宝です。商会がなくなっても、あなたがいる限り、私はあなたの従者ですよ」
サクラは初めて、毒のない、本当に綺麗な笑顔を見せた。
……いや、待て。
「それに、あなたがお家を再興して次代に私を引き継ぐまで、逃がすつもりはありませんから。地獄の底まで付き合って、骨まで絞り取って差し上げます」
「やっぱりそっちかよ!」
俺のツッコミが、川風に吸い込まれていく。
こうして、俺の短い学園生活は幕を閉じた。
だが、これは終わりではない。
ヘタレな元貴族と、毒舌ホムンクルスの、再起をかけた冒険の始まりだった。
「待ってろよ、故郷! そして、俺の家を潰した黒幕!」
俺は王都に向かって拳を突き上げた。
……その直後、船が揺れて派手に転び、サクラに「ダサい」と踏まれたのは、言うまでもない。




