第14話 サクラのナビゲートと海の藻屑にならないための戦い
あれから十日後。
俺とサクラは、再び冒険者ギルドの喫茶スペースに鎮座していた。
周囲の空気は、前回とは少し違う意味で張り詰めている。
荒くれ者たちが俺たちの方をチラチラと見ているのだが、誰も絡んでこない。その視線は、俺を通り越して、背後に控える絶対零度の美女――サクラへと注がれていた。
透き通るような肌、完璧なプロポーション、そして見る者をゴミ虫と認識しているような冷徹な瞳。
見た目だけは、女神か傾国の美女だ。だが、その中身は猛毒と氷でできていることを、俺は骨の髄まで知っている。
(……あいつら、サクラの見た目に騙されてるなぁ。中身を知ったら裸足で逃げ出すぞ。性格はとてもじゃないが……)
「ご主人様」
不意に、背筋に氷柱を突き刺されたような寒気が走った。
「あ、な、何も考えていませんよ! 今日もいい天気だなぁ、ハハハ!」
「そうですか。思考が口からダダ漏れしているのかと思いました。あとで脳のネジを巻き直す必要がありますね」
「ヒィッ!」
俺が縮み上がっていると、ギルドの入り口が騒がしくなった。
「よう、待たせたな!」
現れたのは、歩く城壁ことイレブンさんだ。今日はフル装備のようで、歩くたびにガシャンガシャンと重厚な音がする。
その隣には、副リーダーのセブンさん。さらに後ろには、前回は見かけなかった四人のメンバーが続いていた。
「紹介しよう。こいつらが『暁』のフルメンバーだ」
イレブンさんが豪快に手で示す。
まず、小柄だが瞳に怪しい光を宿した女性が、魔法使いのファミーさん。
鋭い眼光で剣の柄に手を置いているのが、剣士のロームさん。
キョロキョロと周囲を警戒し、足音が全くしないのが、シーフのポプラさん。
そして、穏やかな笑みを浮かべ、神官服に身を包んでいるのが僧侶のエームさんだ。
「初めまして、魔導船の持ち主のグラスです。これからよろしくお願いします」
「よろしくねー、お兄さん。船、楽しみ!」
ファミーさんが無邪気に笑う。Aランクパーティーというからもっと殺伐としているかと思ったが、意外と個性豊かな面々のようだ。
俺たちは簡単な挨拶を済ませると、すぐに港へと移動した。
桟橋に停泊している俺の愛船――小型だが美しい曲線を描く魔導船を見て、冒険者たちが「おおっ」と声を上げた。
「こいつはすげぇな。見たことない形だ」
「古代の遺物ですからね。中身も快適ですよ」
俺は少し得意げに胸を張り、彼らを船内へと案内した。
出港してすぐ、俺は操舵室で奇妙なことに気がついた。
サクラが、海図を見ていないのだ。
事前にイレブンさんから大まかな場所を聞き、簡単な地図のようなものは受け取っていたはずだ。
だが、サクラはその紙切れをテーブルの隅に追いやったまま、迷いのない手つきで舵を操っている。
「おい、サクラ。地図を見なくていいのか? こっちは外洋だぞ。目印なんて何もないんだからな」
「必要ありません」
サクラは前を見据えたまま、淡々と答えた。
「波の形、風の匂い、そして魔力の潮流。すべてが道を示しています」
「……お前、詩人みたいなこと言うんだな」
「データに基づいた航行です。ご主人様の勘頼みの散歩とは次元が違いますので」
「一言多い!」
サクラの操船は完璧だった。
以前、ドラクマへ向かったときのような、内臓が口から飛び出そうな超加速(通称:弾丸ツアー)はせず、今回は「巡航速度」を保っている。それでも、並の帆船の二倍は速い。
風を切り、波を砕き、船は南へと突き進む。
驚くべきことに、王都からドラクマへ行くのと大差ない時間で、目的の島影が見えてきた。
「到着しました」
「は、早っ! まだお昼寝もしてないのに!」
ファミーさんが目を丸くしている。
目の前には、断崖絶壁に囲まれた孤島がそびえ立っていた。文明の匂いが一切しない、正真正銘の秘境だ。
「よし、ここからは我々の仕事だ」
イレブンさんたちが装備を確認し、上陸の準備を始める。
「グラス、契約通りここで三日待機だ。何かあったら信号弾を上げるが、基本的には三日後のこの時間にまた迎えに来てくれ」
「わかりました。お気をつけて」
彼らがボートで島へ渡っていくのを見送り、俺は大きく伸びをした。
さて、ここからが俺のボーナスタイムだ。
今回の契約は、往復の輸送費に加え、待機料として一日につき金貨一枚が支払われる。三日で金貨三枚。銀貨に換算すれば三百枚だ。
ただ船で寝ているだけで、サラリーマンの月収の数倍が転がり込んでくる。
「冒険者バブル、万歳!」
俺は甲板で小躍りした。
しかし、暇というのは恐ろしいもので、半日もすれば飽きてきた。
釣りをするにも、こんな外洋で変な怪魚が釣れたら怖いし、魔導船の掃除もサクラが日頃から完璧にこなしているため、やることがない。
二日目の夕暮れ。
茜色に染まる海を眺めながら、俺は珍しくサクラとしみじみと話をしていた。
「なあ、サクラ。お前、本当にここに来たことないのか?」
ふと、気になっていたことを聞いてみた。あの迷いのない操船は、ただのデータ分析だけとは思えなかったからだ。
サクラは紅茶を淹れる手を止め、水平線の彼方を見つめた。
その横顔には、いつもの冷徹さとは違う、どこか憂いを帯びた色が浮かんでいた。
「……私は、ここを知っています」
「そりゃ知っているだろう。案内なしで一発で来れたんだから」
「いいえ、ご主人様。この島ではなく、このすぐ近くにある岩礁地帯のことです」
「岩礁?」
「はい。私のメモリの奥底に、断片的な映像が残っているのです。黒い岩肌、打ち付ける波、そして海底に沈む構造物……」
サクラは自身の胸元に手を当てた。
「ひょっとしたら、私はそこで見つけられたのではないか……そう思えてなりません」
俺は息を呑んだ。
サクラは、曽祖父さんの代に海中洞窟から魔導船と一緒に発見されたホムンクルスだ。その正確な発見場所や、誰が作ったのかといった詳細は、家の記録にも曖昧にしか残っていない。
「行きたいか?」
俺が聞くと、サクラは少し驚いたようにこちらを見た。
「……契約では、ここでの待機になっています」
「だから、『暁』さんの依頼が終わったら、だ。帰りにもう一度寄ってみようか」
「ですが、燃料の無駄ですし、危険も伴います」
「バーカ。俺だって商人の端くれだ。自分の相棒のルーツくらい、知っておきたいだろ」
俺は照れ隠しに鼻を鳴らした。
「それに、お前がモヤモヤした顔してると、入れるお茶の味が落ちそうだしな」
「……生意気ですね、ご主人様のくせに」
サクラはフッと小さく笑った。その笑顔は、いつもの毒を含んだものではなく、年相応の少女のような(年齢不詳だが)柔らかいものだった。
「わかりました。では、機会があれば」
三日目の朝。
約束の時間通りに、『暁』の面々が戻ってきた。
誰一人として怪我をしていない。さすがAランクパーティーだ。鎧の汚れすら最小限に抑えられている。
「どうでした、迷宮は?」
「うむ、今回はあくまで様子見だからな。浅い階層の構造と、出現する魔物の傾向を探ってきた」
イレブンさんが満足げに頷く。
「手応えは十分だ。未発見の宝具が眠っている可能性が高い。一度カレンシーに戻って、装備と物資を整えてから本格的に攻略したい。また依頼を受けてくれるか?」
「ええ、是非に!」
上客の確保だ。俺は二つ返事で承諾した。
全員を乗せ、船はカレンシーに向けて出港した。
行きと同じく順調な航海になる――はずだった。
翌日。
操舵室にいたサクラの眉が、ピクリと動いた。
「……来ます」
「え? 何が?」
俺が聞き返す間もなく、甲板にいたシーフのポプラさんが鋭い声を上げた。
「魔物だ! 右舷前方、水中から接近!」
空気が一変した。
和やかに談笑していた『暁』のメンバーが、瞬時に戦闘態勢に入る。
俺は慌ててサクラを見た。
「ど、どうする!? 避けることもできそうか?」
「回避運動は可能ですが、相手は高速です」
ポプラさんが叫ぶ。
「やばくなったら逃げてもらうが、大丈夫だろう! 巨魚のたぐいだ。最悪でもサーペントだろうが、この距離ならやれる!」
「よし、迎撃する!」
イレブンさんが決断を下した。
「サクラ、船はどうする!?」
「進路維持。揺らさないようにしますので、ご主人様は邪魔にならないよう隅っこで震えていてください」
「わかった、全力で震えてる!」
俺が操舵室の隅に退避すると同時に、海面が爆発した。
ザッパァァァン!
水しぶきと共に飛び出したのは、俺の魔導船の半分はあろうかという巨大な魚だ。鋭い牙がびっしりと並び、その眼はギラギラと殺意に満ちている。
「うわぁぁ! デカい! マグロの化け物だ!」
俺が悲鳴を上げる中、魔法使いのファミーさんが杖を振った。
「燃えちゃえー!」
ドォォォン!
放たれたファイアボールが、空中の巨魚に直撃する。
爆炎に包まれ、巨魚が苦悶の声を上げて軌道を逸らした。
「そこよ!」
間髪入れずに、セブンさんが弓を引き絞る。
ヒュンッ!
放たれた矢は、風を切り裂き、巨魚の目玉に深々と突き刺さった。
巨魚は絶命し、ドスーンと甲板……ではなく、海面スレスレの空中で失速して落ちていく。
「おっと、素材は頂きますよ」
そこへ、神官のエームさんが慣れた手つきで大きなカバン――マジックバッグを広げた。
巨大な魚体は、まるで吸い込まれるように小さなカバンの中へと消えていった。
「……は?」
一瞬の出来事だった。
俺が震えている間に、巨大な魔物が料理(物理)され、収納されてしまった。
「ふぅ、いい運動になったわ」
セブンさんが髪をかき上げる。
「おいグラス! 大丈夫か?」
イレブンさんが心配そうに声をかけてくれたが、俺は腰が抜けて立てなかった。
「あ、ああ……すげぇ……これがAランク……」
外洋の恐ろしさを、俺は甘く見ていた。
ボライソー船長のような沿岸航路なら、海賊や魔物の危険は少ない。だが、一歩外へ出れば、そこは魔物の領域なのだ。
船長の決断一つ、冒険者の腕一つで、生死が決まる世界。
親父も、こんな危険な海を渡っていたのだろうか。
その後も、帰路は修羅場だった。
巨魚の襲撃が二回。
さらに、リトルサーペントとかいうウミヘビの親玉みたいな魔物の襲撃が一回。
だが、『暁』の面々は眉一つ動かさずに処理していった。
ファミーさんの魔法が炸裂し、ロームさんの剣閃が水を切り裂き、セブンさんの矢が急所を貫く。イレブンさんは……えっと、甲板で仁王立ちして威圧していた(主に俺を守るように立っていてくれた、さすがタンク)。
全ての魔物は、エームさんのマジックバッグに吸い込まれていき、夕食の食材や換金素材へと変わった。
遠距離攻撃の手段が豊富で、連携も取れている。
彼らが最強と呼ばれる理由がよくわかった。逆に言えば、遠距離攻撃手段を持たないパーティーが外洋に出れば、ただの餌だということだ。
カレンシーの港が見えてきた頃、俺はすっかり憔悴していた。
「なぁサクラ……」
「はい」
「今後、こういう荒事になったら、俺はどうすればいいんだ?」
俺には剣の才能も魔法の才能もない。ただのヘタレ商人だ。
サクラは操舵輪を握ったまま、こちらを振り返り、美しくも冷酷な微笑みを浮かべた。
「ご主人様は、その素晴らしい逃げ足で私の後ろに隠れていてください。あと、報酬の計算だけ間違わなければ、それで十分です」
「……つまり、金づる兼荷物ってことか?」
「理解が早くて助かります」
反論できない自分が悔しい。
こうして、俺の初めての本格的な冒険(輸送任務)は、Aランク冒険者の凄まじさと、サクラの生い立ちへの小さな手がかりを残して、無事に幕を閉じたのだった。
港に着いたときの安堵感といったら、もう、陸の土を食べたいくらいだった。




