第15話 埋もれた記憶と魔導船の真の姿
チャリン、チャリン、と重厚な金属音がカウンターの上で響く。
それは、この世で最も美しい音楽だった。
「はい、今回の『暁』様への輸送任務、および待機任務の報酬。金貨7枚になります」
「ありがとうございます! いやー、重いなぁ。この重みがたまらない!」
カレンシーの商人ギルド。
受付の美しいマーガレットさんが並べてくれた金貨の塔を前に、俺、グラス・ド・オネスティーの顔は、これ以上ないほどに緩んでいた。
金貨7枚。銀貨に換算すれば700枚。日本円の感覚で言えば700万円近い大金だ。
たった一週間の仕事で、これだけの利益。しかも、燃料費は魔導機関のおかげでタダ。経費と言えば、俺とサクラの食費くらいのものだ。
これはもう、「濡れ手で粟」どころの話ではない。「濡れ手で金塊」だ。
「グラスさん、本当にお疲れ様でした。あのAランクパーティーの『暁』さんから、『また頼みたい』と指名が入るなんて凄いです!」
マーガレットさんが尊敬の眼差しを向けてくる。
俺は鼻の下を伸ばしながら、精一杯ハードボイルドな表情を作った。
「まあね。海の男として、当然の仕事をしたまでさ。荒れる海も、襲い来る魔物も、俺の操船技術にかかれば赤子の遊びみたいなもんだよ」
「素敵です……!」
「ご主人様」
背後から、絶対零度の声が聞こえた。
俺のハードボイルド空間が、一瞬で凍りつく。
「調子に乗って妄想を垂れ流すのはそのくらいにしてください。ギルドの床が腐ります。さあ、行きますよ」
「あ、はい……」
サクラの一言で、俺は借りてきた猫のように大人しくなった。
マーガレットさんが「あらあら」と微笑ましそうに見ているのが救いだが、俺の威厳は金貨とともに懐に仕舞われた。
ギルドを出た俺たちは、すぐに港へと戻った。
懐は温かいが、心は少し落ち着かない。
なぜなら、これから向かうのは再びあの危険な外洋だからだ。
「サクラ、本当に行くのか? お金も稼いだことだし、少しゆっくりしてからでも……」
「鉄は熱いうちに打て、と言います。記憶の断片が鮮明なうちに確認する必要があります」
サクラは問答無用で魔導船の舫いを解いた。
彼女が気にしているのは、前回の航海中に思い出した「岩礁地帯」のことだ。
自分の生い立ちに関わるかもしれない場所。
俺としても気になるし、サクラのモヤモヤを解消できるなら協力したい。したいのだが――。
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
船がカレンシーの港を離れ、沖に出たところで俺は切り出した。
「前回の航海のことだ。行きは全く魔物に遭遇しなかったのに、帰りは巨魚だのサーペントだの、魔物のオンパレードだったよな?」
「はい、そうでしたね」
サクラは涼しい顔で舵を握っている。
「あれ、不思議だと思わないか? まるで、行きは魔物を避けて、帰りはわざと魔物に突っ込んだみたいに……」
「ご名答です」
「……は?」
「わざとです」
俺は耳を疑った。
この美しすぎるホムンクルスは、今、とんでもないことをサラリと言ってのけた。
「わ、わざとって……どういうことだよ!」
「簡単なことです。私は魔導レーダーと自身の感知能力により、広範囲の魔物の位置を把握できます。ですので、魔物に遭遇しないルートを選ぶことも、逆に遭遇するルートを選ぶことも可能です」
「じゃあ、なんで帰りはあんな修羅場ルートを通ったんだよ! 俺、死ぬかと思ったんだぞ!」
「『暁』様の実力を測りたかったのです」
サクラは悪びれる様子もなく、淡々と言った。
「今後、彼らと長期的な契約を結ぶにあたり、彼らが海上での戦闘にどの程度対応できるか、実戦データが必要でした。結果、彼らは優秀な護衛になり得ると判断できました」
「お前……あいつらを試したのか……」
「はい。ついでに、ご主人様のヘタレ具合が改善されているかどうかも観測しましたが、こちらは絶望的でしたね。恐怖で腰を抜かす速度が、前回より0.5秒早くなっていました」
「うるさいわ!」
俺は頭を抱えた。
つまり、俺たちはサクラの手のひらで転がされていたわけだ。
Aランク冒険者を実験台にし、主人を恐怖のどん底に突き落とす従者。
美しい顔をして、やることがエグい。
「今回は、ご主人様があまりに情けないので、魔物避けルートで進みます。感謝してください」
「くっ……! 見逃してやるってなんだよ……!」
悔しいが、魔物に会わずに済むのはありがたい。俺は複雑な心境のまま、サクラの背中を睨みつけた。
二日後。
俺たちは再び、あの海域に戻ってきた。
目的地は、前回『暁』さんたちを下ろした無人島ではない。そこから船で一時間ほどの距離にある、危険な岩礁地帯だ。
「おいおいおい、マジかよ……」
目の前に広がる光景に、俺は絶句した。
海面から無数の鋭い岩が突き出し、波が激しく打ち付けて白波を立てている。
あんなところに船で突っ込むなんて、自殺行為だ。タイタニック号の船長でも回れ右するレベルだ。
「サクラ、ここは無理だろ! 座礁するぞ!」
「問題ありません。私を信じてください」
「お前を信じるのが一番怖いんだけど!?」
俺の悲鳴を無視して、サクラは魔導船を岩礁地帯へと進めた。
ゴゴゴ……という波の音と、岩がすぐ脇を掠める気配。
俺は手すりを握りしめ、「南無三、南無三」と祈り続けた。
だが、サクラの操船は神業だった。
波のタイミングを読み、岩と岩の隙間を縫うように、船は滑らかに進んでいく。まるで、迷路の正解を知っているかのようだ。
「……着きました」
やがて船は、岩礁地帯の中央付近にある、比較的波の穏やかな入江のような場所で停止した。
「ふぅ……寿命が三年縮んだ……」
俺がへたり込んでいると、サクラはさっさと錨を下ろし、甲板から岩場へと飛び移っていった。
「ご主人様、少し待っていてください」
「え? おい、一人で行くのか?」
止める間もなく、彼女は岩の陰へと消えていった。
取り残された俺は、ただ波の音を聞きながら待つしかない。
十分ほど経っただろうか。
ズシン、ズシン、と何か重いものを引きずる音が聞こえてきた。
「お待たせしました」
戻ってきたサクラの肩には、彼女の華奢な体には似つかわしくない、巨大な金属の塊が担がれていた。
フジツボや海藻がびっしりと付着しているが、その下には鈍い輝きが見える。
「な、なんだそれは?」
「これは、魔導船の『武器』です」
「武器??」
「はい。私と一緒に発掘された先々代様――ご主人様の曽祖父にあたる方ですが、これ魔導船から外れていたことに気づかず、私と船体だけを持ち帰ったようですね」
サクラはその金属塊を、軽々と甲板に降ろした。
ドスン、と船が揺れる。
「私はこれを使った記憶があります。すぐに取り付け作業に入ります」
「取り付けって……ここでするのか?」
「はい。専用の接続端子が船首部分にあります。ご主人様は邪魔なので、そこで大人しくしていてください……あ、いえ」
サクラはふと手を止め、周囲の岩場を見渡した。
「ご主人様、暇そうですね。鼻毛を抜いている時間があるなら、少し働いてください」
「抜いてないよ! まだ抜くほど伸びてないよ!」
「あちらの岩場を調べてください。私の記憶が正しければ、そこに何かあるはずです」
サクラが指差したのは、少し離れた場所にある大きな平たい岩だった。
言われた通りに、俺はおっかなびっくり岩場へ降り立った。
足元が滑る。転んで頭を打ったら、ここでカニの餌だ。慎重に歩を進める。
サクラに指名された岩の前に立つと、そこには奇妙なものがあった。
自然にできたとは思えない、正方形の石板が岩肌に埋め込まれている。そしてその中央には、くっきりと「手形」のような窪みがあった。
「おーい、サクラ! なんか四角い石があって、真ん中に手形がついてるぞ!」
船の方へ大声で報告する。
サクラは巨大な武器の錆を落としながら、こちらを見ずに答えた。
「その手形に手を合わせて、魔素を注いでください」
「魔素!? 俺にそんなもんあるのか!?」
「生きていれば誰にでもあります。気合を入れて念じれば出ます。便秘のときと同じ要領です」
「例えが最悪だな!」
とはいえ、やるしかない。
俺は恐る恐る、その手形の窪みに自分の右手を合わせた。サイズはぴったりだ。まるで、俺のためにあつらえたかのように。
「魔素よ……出ろ! うおおお……出ろぉぉぉ!」
俺は腹に力を入れ、顔を真っ赤にして念じた。
サクラの言う「便秘の要領」を忠実に守りすぎたかもしれない。危うく別のものが出そうになったその時。
カチリ。
石板の奥で、小さな音がした。
次の瞬間、ゴゴゴゴ……という低い音とともに、石板が左右にスライドして開いた。
中から現れたのは、古びているが保存状態の良い、金属製のチェスト(宝箱)だった。
「うわっ! 出た! サクラ、なんか出たぞ!」
俺が素っ頓狂な声を上げると、いつの間にか背後にサクラが立っていた。
「やはり、ありましたか」
「うおっ! いつの間に!?」
「ご主人様の『うおおお』という汚い叫び声を聞いているのが不快だったので、こちらに来ました」
サクラはそう言うと、俺が見つけたチェストをひょいと担ぎ上げた。
「さあ、船に戻って中身を確認しましょう」
船内のテーブルの上に、チェストが置かれた。
俺とサクラ、二人で中を覗き込む。
中には、羊皮紙の束と、布に包まれたいくつかの道具が入っていた。
「これは……」
サクラが丁寧な手つきで布を解く。
現れたのは、真鍮で作られた精巧な機械たちだ。
「羅針盤に、六分儀ですか……」
サクラの声に、珍しく興奮が混じっている。
「これがあれば、魔力潮流だけでなく、正確な位置情報に基づいた航行が可能になります」
「へぇ、すごいな。俺の勘より当てになりそうだ」
「ご主人様の勘と比較するのは羅針盤に失礼です」
さらに、チェストの底から、黒光りする筒状の物体が出てきた。
持ち手がついていて、引き金のようなものがある。
「あ、魔法銃までありましたね」
「魔法銃?」
「魔力を弾丸として撃ち出す武器です。護身用としては最高峰のものです」
サクラはそれを手に取り、慣れた手つきで動作確認をした後、
「これは私が管理します。ご主人様が持つと、自分の足を撃ち抜く未来しか見えませんので」
と言って、背面のロッカーの奥深くにしまい込んだ。
俺だって男の子だ。銃なんて格好いいアイテム、ちょっと触ってみたかったが、サクラの判断は常に正しい(そして辛辣だ)。
「それよりも、羅針盤です」
サクラはチェストから取り出した羅針盤を、操舵室の中央にある台座――今まで何のための台座かわからず、俺が花瓶を置いていた場所――に設置した。
カチャン、と心地よい音がして、羅針盤が嵌まり込む。
その瞬間、羅針盤の針が淡い光を帯びて回転し始め、ピタリと北を指した。
「接続確認。システムリンク、正常」
サクラが小さく呟く。
続いて彼女は、先ほど回収した「武器」の整備に戻った。
どうやら、船首の下部に取り付けるパーツらしい。俺には手伝いようがないので、ただぼんやりと彼女の作業を眺めていた。
サクラの手つきは、まるで一流の時計職人のように正確で、そして美しかった。
油にまみれたその姿ですら、絵になる。
一時間ほどして、作業が終わったようだ。
「接続完了。……ふぅ」
サクラが額の汗を拭い、こちらを振り返った。
「ご主人様、一旦カレンシーへ帰りましょう」
「お、おう。わかった。いい収穫だったな」
俺は立ち上がり、舵の方へ向かおうとした。
その時だった。
「……」
サクラの様子がおかしい。
いつもなら、「何をチンタラしているんですか、足が退化しましたか?」くらいの減らず口が飛んでくるはずだ。
だが、今のサクラは無言だ。
それどころか、どこかぼんやりとしている。
立っているのも辛そうで、ゆらりと体が揺れた。
「おい、サクラ? 大丈夫か?」
俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせた。
そして、ゆっくりと顔を上げたのだが――その瞳には、いつもの冷徹な光がなかった。
あるのは、不安げに揺れる、弱々しい光。
まるで、迷子の子供のような表情だった。
「サクラ……?」
俺は恐る恐る近づいた。
彼女は俺を見つめ、唇を震わせた。
毒舌が来るか? 罵倒が来るか?
俺は身構えた。




