第12話 ハードボイルドは続かない、あるいは恩送りの酒宴
王都のギルド長室を出た俺、グラス・ド・オネスティーの胸には、かつてないほどの熱い炎が渦巻いていた。
親父が目指した『新航路』。
それはガセネタだったのか、それとも誰かの陰謀だったのか。
温厚で慎重だった親父が、なぜそんな危険な賭けに出たのか。
夕日に染まる王都の街並みを見下ろしながら、俺は拳を握りしめた。心の奥底から湧き上がる怒りと義憤。まるで三文芝居の復讐劇の主人公になったような気分だ。俺の瞳には、きっと修羅の如き決意が宿っているに違いない。
「……ふっ。待っていろよ、親父。俺が必ず真実を暴き出してやる」
俺は低い声で呟き、髪をかき上げた。
背中で風が鳴る。完璧だ。今の俺は、間違いなくハードボイルドだ。
「ご主人様」
背後から、絶対零度の冷気が漂ってきた。
「似合わないハードボイルドごっこは、そのへんで切り上げてお仕事に戻りますよ。見ていて痛々しいので」
「ヘイヘイ」
俺のハードボイルドは、わずか三秒で終了した。
振り返ると、サクラがゴミを見るような目……いや、腐りかけた生ゴミを見るような目で俺を見下ろしていた。
「あのさ、サクラ。もう少しこう、主人の感傷に寄り添うとか……」
「感傷で飯は食えません。それより、ギルドから追加の依頼です」
サクラはピシャリと言い放ち、一枚の依頼書を突きつけてきた。
内容は、王都のギルドに納めたローズオイルのうち一樽と、追加の高級ワインをシルヴェールへ輸送するというものだった。
「なんだ、こんなことならドラクマから戻ってきた足で直接シルヴェールに運べばよかったじゃないか」
「物流とはそういうものです。必要な時に、必要な場所へ。さあ、行きますよ。カビが生える前に」
かくして俺たちは、再び魔導船に乗り込み、王都を後にした。
王都からシルヴェールまでの運河移動は、すっかり俺の担当になっていた。
サクラは「効率的な航行データの整理」という名目で、奥の部屋に引っ込んでいる。
多分、お茶を飲んでサボっているだけだと思うが、口に出したら海に突き落とされそうなので黙っておく。
舵を握りながら、俺は再び親父のことを考えていた。
怒りの炎は、サクラの氷魔法(毒舌)で鎮火されたものの、燻るような熱は残っている。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。
思考がぐるぐると渦を巻くせいで、うっかり操船ミスをして運河の壁に激突でもしたら洒落にならない。
「……集中、集中」
俺は頭を振って雑念を追い払い、慎重に船を進めた。かつてないほどの安全運転だ。カメが散歩するような速度で進む俺の船を、アヒルが追い越していく。屈辱的だが、事故るよりはマシだ。
シルヴェールに到着すると、俺は手慣れた様子で荷下ろしを済ませた。
ローズオイルとワインを引き渡し、代わりにいつものラム酒を大量に仕入れる。
王都でオリーブオイル、シルヴェールでワイン、カレンシーでラム酒。この「欲望の三角貿易」も、すっかり板についてきたものだ。
そして俺たちは、ラム酒を満載して故郷カレンシーへと向かった。
カレンシーの港。
生まれ育ったこの街の潮風は、どこか懐かしく、そして少しだけ切ない匂いがする。
いつものように商人ギルドへ顔を出すと、受付カウンターには見慣れた笑顔があった。
「あら、グラスさん。お久しぶりですね」
栗色の髪を揺らして微笑むのは、マーガレットさんだ。
王都のギルドにいたキャサリーさん(激似)も美人だったが、やっぱり本家本元のマーガレットさんの安心感は格別だ。
「久しぶりなもんか。一ヶ月も空いてないよ」
俺は少し照れ隠し気味に答えた。
「ふふ、そうでしたっけ? 毎日顔を見ていた頃と比べると、随分とご無沙汰な気がしますけど」
マーガレットさんは小首を傾げ、それからパァッと表情を明るくした。
「そういえば聞きましたよ! おめでとうございます、ランクが『カッパー』に昇格されたそうで!」
「ああ、うん。おかげ様で……と言えばいいのかな」
俺はポリポリと頬をかいた。
「なーんですか、その自信なさげな態度は。もっと胸を張ってくださいよ。一年も経たずにカッパー級なんて、快挙なんですから」
「まあ、船とサクラが優秀だからな……」
「謙遜もそこそこに。ランクが上がったということは、外国への交易も視野に入りますね。次はどこの国へ冒険に行かれるんですか?」
マーガレットさんが目を輝かせて聞いてくる。
冒険、か。
俺の脳裏に、ギルド長から聞いた「新航路」の話がよぎる。
「……まあ、良い案件があれば考えるよ」
俺はお茶を濁すように答え、周囲を少し警戒してから身を乗り出した。
「それよりマーガレットさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「はい? 何でしょう」
「親父の……オネスティー商会の『最後の航海』について、ここのギルドに残っている記録を見せてもらえないかな」
マーガレットさんの笑顔が、ふっと曇った。
彼女は困ったように眉を下げ、声を潜める。
「……やはり、気になりますか」
「そりゃあね。カッパー級になって、やっと調べる資格ができたと思ってさ」
「わかりました。ですが、詳細な閲覧にはギルド長の許可が必要です。……奥の応接室へご案内します」
本日二回目、通算何度目かわからない「奥の応接室」への招待である。
カレンシーのギルド長室は、王都のそれよりも少し狭いが、使い込まれた調度品が歴史を感じさせる部屋だった。
ここのギルド長とも昔からの顔なじみだ。親父が健在だった頃は、よく頭を撫でてもらったものだ。
「グラスか。大きくなったな。いや、今はカッパー級のグラス商会長と呼ぶべきか」
白髭を蓄えたギルド長は、感慨深げに目を細めた。
「ギルド長、親父の話を聞かせてください」
俺は単刀直入に切り出した。
ギルド長は深く溜息をつき、椅子に深く腰掛けた。
「王都でも聞いてきたのだろう? だが、残念ながら、ここカレンシーのギルドには、お前さんが期待するような情報は残っていないんじゃ」
「どういうことですか?」
「お前の親父さん、オネスティー男爵は、最後の航海に際して、ここのギルドを通していなかったのだ」
「えっ?」
俺は耳を疑った。
親父は几帳面な男だった。商売のほとんどをギルドを通して行い、組合のルールを遵守していた。それが、一番大事な、しかも危険な航海において、地元のギルドを通していない?
「不思議だろう? ワシも不思議でならんのだ」
ギルド長は天井を仰いだ。
「あんなに慎重だった男が、なぜ……。『なんであんな無茶な冒険なんかしたんかなぁ』と、今でも酒を飲むたびに思うよ」
ギルド長の言葉には、嘘偽りのない悔恨が滲んでいた。
親父はこの街一番の大店の主であり、ギルドへの貢献度も高かった。その失踪は、俺以上に彼らにとっても大きなショックだったようだ。
「……そうですか。ありがとうございます」
結局、謎は解けるどころか、ますます深まっただけだった。
親父は何かを隠していたのか? それとも、ギルドを通せないような「裏の事情」があったのか?
「グラスよ。焦るな。真実は海のように深くても、時が来れば浮かび上がってくるものだ。……くれぐれも、無茶はするなよ」
ここでも釘を刺されてしまった。
俺は深々と頭を下げ、ギルドを後にした。
◇
日が傾きかけたカレンシーの港町。
俺はとぼとぼと、船宿のある隣村の方へ歩いていた。
本来なら魔導船で寝泊まりするのだが、今回はそうもいかない。
「メンテナンスを行います」
船に戻るなり、サクラが宣言したのだ。
「ドラクマ往復の弾丸ツアーで、魔導機関に微細なズレが生じています。それに、カビが生えそうなご主人様を乗せ続けたせいで、船内の浄化も必要です」
「後半、絶対にいらない理由だよね!?」
「とにかく、整備中は立ち入り禁止です。三日ほどかかりますので、その間、ご主人様は外の空気を吸ってきてください。街へ出て相場観でも養ってくるといいでしょう」
そう言って、サクラは俺を船から追い出したのだ。
しかも、俺の実家であるオネスティー家の屋敷(現在は使用人が管理している)ではなく、「ボロいけど居心地が良い」と評判の祖父の隠居先だった船宿を宿舎に指定された。
そんなわけで、俺はやることもなく、カレンシーの街をぶらついていた。
実家に帰ってもいいのだが、一人で広い屋敷にいても気が滅入るだけだ。
活気ある商店街、香辛料の匂いが漂う路地、船乗りたちがたむろする広場。
子供の頃、悪友たちと駆け回った場所だ。
「おう! そこを歩いている貧相な若造は、グラス坊ちゃんじゃねぇか!」
突然、背後から雷のような怒声……じゃなくて、呼び声が飛んできた。
ビクッとして振り返ると、そこには岩山のような巨体が立っていた。
潮焼けした赤銅色の肌、丸太のような腕、そして顔の半分を覆う豪快な髭。
「ボ、ボライソー船長!?」
カレンシーとシルヴェールを結ぶ定期船の船長であり、シルバー級商人のボライソーさんだった。
俺が商人になる前から、いや、俺がオムツをしていた頃から知っている、親父の盟友だ。
「ガハハハ! やっぱり坊ちゃんか! なんだその辛気臭い顔は! 海に財布でも落としたか?」
「いえ、ちょっと色々あって……」
「色々? 男がグチグチ言ってんじゃねぇ! 聞いたぞ、カッパー級に昇格したってな! めでてぇじゃねぇか!」
ボライソー船長は、俺の背中をバシバシと叩いた。背骨が数本折れたかもしれない。
「い、痛いです、船長」
「おう、すまんすまん! よし、祝いだ! 飲みに行くぞ!」
「えっ、いや、俺はまだ……」
「問答無用! 連行だ!」
俺の首根っこは、巨大な手にガシッと掴まれた。
抵抗する間もなく、俺は港近くの酒場へと引きずり込まれた。
夜のカレンシーの酒場は、熱気とアルコールの匂いで充満していた。
ボライソー船長は一番奥の大きなテーブルを占領し、店員に酒樽ごと持ってくる勢いで注文した。
「ほら飲め! 今日は俺の奢りだ!」
「そ、そんな、悪いですって。俺みたいな若造に……」
俺が恐縮していると、船長はジョッキをドンとテーブルに置き、真剣な眼差しで俺を見た。
「バカ言え。これは『順番』なんだよ」
「順番?」
「ああ。俺もな、若い頃はお前の親父さんや、その先代の爺様に、今の倍は世話になったんだ。金がない時は飯を食わせてもらい、失敗した時は尻を拭いてもらった」
船長は目を細め、琥珀色の液体を見つめた。
「俺が今こうしてデカい船の船長をやってられるのは、オネスティー家のおかげなんだよ。だから、お前がその恩を感じているのなら、次にその恩を返せばいい。……お前の爺様が、そう教えてくれたんだ」
「爺ちゃんが……」
「そうだ。『恩は返すものではなく、送るものだ』とな。だからお前は、俺に遠慮なんてするんじゃねぇ。その代わり、お前が立派な大商人になったら、今度は次の若造に良くしてやれ。それでチャラだ」
俺の胸に、じわりと温かいものが広がった。
親父や爺ちゃんが築いてきたものは、金や船だけじゃなかった。
こうして、人と人との繋がりの中に、確かに生き続けている。
俺は、親父や爺ちゃんの「徳」によって生かされているんだ。
「……ありがとうございます、船長」
「おう! わかったら飲め! 今日はとことん付き合うぞ! ガハハハ!」
「お手柔らかにお願いします……」
賑やかな喧騒の中、俺はジョッキを傾けた。
親父の謎はまだ解けない。新航路の危険も、ギルドの裏事情もわからない。
けれど、俺は一人じゃない。
サクラがいて、マーガレットさんがいて、そしてこんな風に背中を押してくれるボライソー船長たちがいる。
カレンシーの夜は、騒がしく、そして温かく更けていった。
俺の冒険商人への道は、まだまだ波乱含みだが、きっと悪くない旅になる。
そんな予感と共に、俺はボライソー船長の豪快な笑い声に耳を傾けていた。




