第11話 薔薇の香りと、父の背中と、新たな航路
胃の中身がまだ無重力状態を訴えている気がする。
マリー様の無茶ぶりによる「地獄の弾丸ツアー」でドラクマ港に放り出された俺、グラス・ド・オネスティーは、よろめく足で現地のギルドカウンターにしがみついていた。
目的は、帰りの荷物だ。
さっき、サクラから「まさか、ここまで来て空荷でお帰りになるおつもりではありませんよね?」と、零度以下の微笑みと共に脅されたばかりである。
空荷で帰ろうものなら、帰りの船旅が「訓練モード」どころか「処刑モード」になりかねない。
「え~、珍しい商品、ですかぁ?」
ドラクマのギルド受付嬢は、王都のテキパキした職員とは違い、南国特有というか、えらくのんびりした口調で首を傾げた。
「うーん、干物とかぁ? あとは、なんか貝殻とかぁ?」
……ダメだ。商売人としてありえない選択肢しか出てこない。
正直、もう何でもいいから適当に積み込んで帰りたい。貝殻でいいじゃないか。綺麗な貝殻、王都の子供が喜ぶかもしれないし。
俺が妥協という名の敗北を選ぼうとしたその時、背後から「チッ」という小さな、しかし鋭利な刃物のような舌打ちが聞こえた気がした。
背筋が凍る。振り返らなくてもわかる。サクラだ。
俺は必死に受付嬢に食い下がった。
「た、他には!? もっとこう、王都の貴族が飛びつきそうな、高価で、嵩張らなくて、利益率の高いものは!?」
「ええ~、そんな都合のいいもの……あ、そういえば」
受付嬢がぽんと手を打った。
「この時期ですと、『ローズオイル』あたりが王都からの依頼であったりしますかねぇ」
「ローズオイル?」
「ええ。この地方特産の薔薇の花から、香りの成分を抽出したオイルですよぉ。なんでも、高級な香水の原料になるとかで」
それだ!
俺はカタログを見せてもらった。
……高い。目玉が飛び出るほど高い。
今まで俺が運んだ中で最高額だった、シルヴェールのヴィンテージワイン。あれの五倍以上の値がついている。
一樽買うだけで、俺の全財産が吹き飛びそうな価格設定だ。
だが、ここで俺の商人としての勘(というか生存本能)が告げていた。
今回のマリー様からの依頼、報酬額を確認していないのだ。
あの時、サクラが強引に受けさせたのだから、きっと報酬は弾んでいるはずだ。だが、万が一ということもある。「公爵家の名誉」とかいう実体のない報酬だったらどうする? 俺の懐は寒いままだ。
もし俺がサクラに「今回の儲け、少ないんだけど」などと言おうものなら、どんな毒舌を浴びせられるか。
『あら、ご主人様。頭の中までカビが生えて計算ができなくなりましたか?』とか言われるに決まっている。ブルッ、想像しただけで悪寒がした。
「か、買えるだけください!」
俺は震える手で財布の中身と、ドラクマのギルド口座の残高をすべて叩き出した。
購入できたのは、ローズオイルの樽が八つ。
俺の全財産が、たった八つの樽に変わった瞬間だった。
「まいどあり~」
呑気な受付嬢の声に見送られ、俺たちは王都への帰路につくことになった。
◇
「復路の設定を行います」
魔導船の操舵席で、サクラが淡々と計器を操作する。
「往路は緊急事態でしたのでリミッターを解除しましたが、帰りは積荷の品質管理も考慮し、巡航速度で参ります」
「そ、そうか! よかった……!」
俺は心底安堵した。あの地獄のG(重力)体験をもう一度味わわなくて済むのだ。
「それでは、出力五〇パーセント。微速前進(当社比)」
ドォォォォォン!!
……速い。
いや、確かに来る時よりはマシだ。来る時は「崖から落ちる」速度だったが、帰りは「坂道を転がり落ちる」くらいの速度だ。
景色が線になって流れていくのは変わらないが、少なくとも窓に張り付いたまま動けなくなるほどではない。
「サクラさん、これ本当に巡航速度?」
「ええ。ご主人様も、これなら優雅にティータイムを楽しめるでしょう?」
「カップの中身が遠心力で斜めになってるんだけど!」
結局、行きに五~六日はかかる航路を、帰りは三日で走破してしまった。往復で四日。
これはもう、商船の速度ではない。ミサイルだ。
◇
王都の港に滑り込むと、ギルド関係者が目を丸くして出迎えてくれた。
「グ、グラス商会!? もう帰ってきたんですか!?」
そりゃ驚く。出港してから四日しか経っていないのだから。
俺はふらつく足でギルドへ向かい、ドラクマで仕入れたローズオイルの処理を依頼した。
対応してくれたのは、いつもの美人受付嬢、マーガレットさんによく似た女性だ。
「こ、これは……! 最高級のローズオイルじゃないですか!」
検品を終えたマーガレットさんが、興奮気味に声を上げた。
「しかも八樽も! 今、王都では香水ブームが来ていて、どこの商会も喉から手が出るほど欲しがっていたんですよ! それが、こんなに早く、しかも大量に!」
どうやら大当たりのようだ。
俺がドラクマから運んできたローズオイルは、鮮度(?)も抜群ということで、信じられないような高値で買い取ってもらえることになった。
さらに、マリー様からの依頼報酬も確定した。
予想通り、サクラの交渉術……もとい、マリー様の太っ腹な計らいにより、公爵家からの報酬額も破格のものだった。
「おめでとうございます、グラス様!」
すべての処理を終えた後、マーガレットさんが満面の笑みで言った。
「今回の依頼達成と、取引の功績により、グラス商会のギルドランクが『アイアン』から『カッパー』へ昇格いたしました!」
「えっ、本当に?」
俺は渡された新しいギルドカードをまじまじと見つめた。
鈍く輝く銅の色。
ペーパー級から始まり、一年も経たずにカッパー級まで駆け上がった商人など、大店の子弟を除けばまずいないらしい。
周りの商人たちからの「あいつ、何者だ?」「オネスティー男爵の息子らしいぞ」「あの魔導船、反則だろ」というヒソヒソ話が聞こえてくるが、今の俺には心地よいBGMだ。
「ふふん、これぞ実力……」
「魔導船と私の性能ですね、ご主人様」
横からサクラが冷水を浴びせてくるが、聞こえないふりをした。
懐も温まり、ランクも上がった。
カッパー級になれば、外国への商いも許可される。名実ともに、一人前の冒険商人の仲間入りだ。
俺はふと、心に引っかかっていたことを聞いてみることにした。
「あの、キャサリーさん。俺の親父……オネスティー男爵の『遭難』について、何か詳しい記録って残ってないですか?」
俺の父は、商売のために海へ出て、そのまま行方不明になった。
遭難と処理されているが、詳しい事情はよく分かっていないのだ。
キャサリーさんは少し表情を曇らせ、周りを確認してから小声で言った。
「その件については……私では判断しかねます。ギルド長にお繋ぎしますので、奥の応接室へどうぞ」
通されたのは、以前マリー様の「公爵家のご威光(物理)」をお借りした時に使った、豪華な応接室だった。
王都のギルド長とサシで話すなんて初めてだが、不思議と緊張はしなかった。あの弾丸ツアーに比べれば、ふかふかのソファに座っているだけで天国だ。
現れたギルド長は、白髪の混じった厳格そうな老人だった。
「よく来たな、グラス・ド・オネスティー。若くしてカッパー級への昇格、見事だ」
「あ、ありがとうございます」
「さて、父君の件だったな」
ギルド長は前置きもそこそこに、本題に入った。
「君の父君が目指していたのは、『新航路』だ」
「新航路……ですか?」
「ああ。この国から大洋を挟んだ真南に『ズビエ王国』という国があるのは知っているな?」
「はい。香辛料の輸入元ですよね」
我が国の食卓に欠かせない香辛料。その多くは、南のズビエ王国との貿易で入手している。
「だが、香辛料はズビエ王国で生産されているわけではない。実は、ズビエからさらに東南にある『シェリド国』からの交易品なのだ」
ギルド長はテーブルに地図を広げた。
「現状のルートだと、香辛料はシェリド国からズビエ王国へ運ばれ、そこで中間マージンを乗せられて我が国へ来る。だから高価になる」
指が地図の上を滑る。
「だが、もし我が国から直接シェリド国へ行ける航路……つまり『新航路』が確立されれば、香辛料の価格は劇的に下がり、莫大な利益を生む」
「それが、親父が目指した航路……」
「そうだ。当時、新航路が発見されたという情報が流れ、君の父君の商会が初の交易団として向かった。……だが、それは罠だったのかもしれん」
ギルド長の顔が険しくなる。
「その航路は、凶暴な海洋魔物の巣窟を通るルートだったのだ。現在、その航路は『使用禁止』となっている」
「そんな……じゃあ、親父はガセネタを掴まされたってことですか?」
「新航路の話自体がガセだったのか、あるいは誰かの陰謀だったのか……。それは現在も調査中だ。だが、普通ならあんな危険な海域、ベテランの君の父君が選ぶはずがない」
俺は拳を握りしめた。
親父は、一攫千金だけを目指すような無謀な男じゃなかったはずだ。何か、確信があってそこへ向かったのではないか?
「……俺が、調べに行ってもいいですか」
口から、自然と言葉が出ていた。
サクラの方をちらりと見る。彼女は静かに頷いた。
ギルド長は俺の目をじっと見つめ、やがてふっと息を吐いた。
「君のその魔導船なら、あるいは……かもしれん。だが、まだ早い」
「えっ?」
「今の君は、ただ船が速いだけの若造だ。カッパー級になったとはいえ、外交や荒事、魔物への対処、すべてにおいて経験が足りん」
ギルド長は俺の肩に手を置いた。
「調べたいという気持ちは止めん。だが、くれぐれも短気だけは起こすなよ。力をつけろ。そして、準備が整った時、改めて挑めばいい」
「……はい。肝に銘じます」
ギルドを出た時、空は赤く染まっていた。
親父の背中は、まだ遠い。
だが、その背中を追うための道筋は、少しだけ見えた気がした。
それに何より、俺には最強(最恐)のパートナーがいる。
「さて、ご主人様。感傷に浸るのも結構ですが」
サクラが冷ややかな声で俺の思考を断ち切った。
「今回の利益の計算と、次回の商材の選定、それから魔導船のメンテナンス費用の計上がまだ終わっていませんよ」
「うっ……現実に戻すのが早くない?」
「商人に停滞は許されません。さあ、稼ぎますよ。冒険資金を貯めるのでしょう?」
「はいはい、わかってますよ!」
俺、グラス・ド・オネスティーの冒険商人への道は、まだ始まったばかりだ。
まずは、この毒舌ホムンクルスに言い負かされないくらいの度胸をつけるところから始めないといけないかもしれないけれど。




