第10話 公爵令嬢の無茶ぶりと、地獄の弾丸ツアー
人間、慣れとは恐ろしいものだ。
カレンシー、王都、シルヴェールを結ぶ『欲望の三角貿易(と俺が勝手に呼んでいるルート)』を確立してから、俺の商いは順調に推移してきた。
アイツラと久しぶりに会って楽しかった開港祭から早一ヶ月。
最初は心臓が飛び出るほど緊張していた魔導船の運航も、今ではあくび交じりのルーチンワークになり果てていた。
王都でオリーブオイルを売り、シルヴェールでワインを積み、カレンシーでラム酒を横目に見つつ次の商材を探す。
順調だ。実に順調だ。
資金もわずかづつだが貯まりだし、懐も温まってきた。
だが、俺、グラス・ド・オネスティー(一五歳・アイアン級商人)の心には、一抹の虚しさが去来していた。
「平和だ……。平和すぎて、思考回路がカビてしまいそうだ」
「贅沢な悩みですね、旦那様。カビが生える前に、そのだらけきった顔を洗ってください。ギルドに着きますよ」
相変わらず辛辣な従者(毒舌ホムンクルス)、サクラに背中を蹴られ(精神的に)、俺は王都の商業ギルドの扉を開けた。
その瞬間だった。
「あ! いたわ! 確保ーっ!」
ギルドのロビーに、場違いなほど華やかなソプラノボイスが響き渡った。
反射的に身をすくませた俺の視界に飛び込んできたのは、鮮やかなドレスを翻して突進してくる公爵令嬢マリー様と、その後ろで申し訳なさそうに苦笑いしている幼馴染のチャーリー(ブラウン男爵家四男・騎士志望)だった。
「えっ、マリー様? なんでこんなむさ苦しい場所に?」
「なんでって、あなたを探していたに決まっているじゃない!」
マリー様は俺の腕をガシッと掴むと、そのまま奥の応接室へと引きずり込んでいく。
「ちょ、ちょっと! 俺、まだ受付もしてないんですが!」
「話は通してあるわ。緊急事態なのよ!」
チャーリーが「すまん、グラス。逆らえなかった」と口パクで伝えてくる。知ってる。このお嬢様に逆らえる人間なんて、この国には国王陛下くらいしかいない。
応接室に押し込まれると、マリー様は開口一番、とんでもないことを言い放った。
「グラス君、あなたに公爵家の使者を運んでほしいの。それも、今すぐに!」
「……はい?」
「行き先は『ドラクマ港』よ」
ドラクマ港。
その名を聞いた瞬間、俺の頭の中にある世界地図が高速で展開された。
カレンシーは西の端。王都は中央。
そしてドラクマ港は――遥か東、国の反対側の端っこだ。
「無理です!」
俺は即答した。
「マリー様、地図を見てください。ドラクマなんて、ここからどれだけ離れていると思ってるんですか! 普通の帆船なら片道一週間、下手したら十日はかかりますよ!」
「だからこそ、あなたの船が必要なのよ」
マリー様は真剣な眼差しで身を乗り出した。
「外交上のトラブル……コホン、少し事情があって、一刻も早く現地に使者を送り届けないといけないの。あなたの魔導船の足なら、間に合うはずよ」
「いやいや、俺はドラクマなんて行ったことないですし、航路も知りません。岩礁があるかもしれないし、海流だって……」
俺が必死に断る理由を並べ立てていると、それまで沈黙を守っていたサクラが一歩前に出た。
「お受けしましょう、ご主人様」
「えっ?」
「ドラクマ港への航路なら、私のデータベースに詳細な情報があります。海流、暗礁、海賊の出現ポイントまで完璧です」
「いや、でも……」
「それにご主人様。先ほど『平和すぎてカビが生える』と仰っていましたよね? これがカビ取りの特効薬ですよ。冒険の時間です」
サクラはニッコリと微笑んだ。その笑顔は「拒否権はない」と雄弁に語っていた。
俺がなおも躊躇していると、今度はギルドの奥から恰幅のいい男性が現れた。ギルドの受付主任だ。
「グラス商会様。今回の依頼は、公爵家からの直々の指名依頼となります」
主任はもみ手をしながら、俺の耳元で悪魔の囁きをした。
「この依頼を成功させれば、ギルドへの貢献度は計り知れません。特例として、商会ランクの昇格を約束しましょう」
「――やります」
俺は食い気味に答えた。
ランクアップ。その甘美な響き。
アイアン級からカッパー級に上がれば、扱える金額の桁が変わる。融資の枠も増える。
何よりカッパークラスとなると、自国だけでなく、親父のように外国とも商売ができるようになるし、それこそ新航路の探索や新たな商材探しなど、色々と冒険ができる。
冒険、それはとても甘美な響きだ。
自立への道が、高速道路に変わるのだ。
それに何より、そろそろ親父が魔見込まれたあの事件も調べに行けるようになるし、これは受けない選択肢はないな。
「ありがとう、グラス君! あなたならそう言ってくれると信じていたわ!」
マリー様は満面の笑みで手を叩き、すぐに付き人へ指示を出し始めた。
俺はと言えば、昇格の喜びに浸りつつも、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
……また、厄介ごとに首を突っ込んでしまった気がする。
◇
「じゃあ、よろしく頼むわね」
ギルドでの手続きを終え、マリー様から紹介されたのは、三名の使者だった。
初老の男性外交官、護衛らしき鋭い目つきの騎士、そして書類を抱えた女性事務官。
三人とも、「なんでこんな子供の船に?」という疑いの眼差しを隠そうともしない。
「オネスティー男爵の御子息とか。……本当に大丈夫なのかね? 我々は一刻を争っているのだが」
外交官の男性が、俺の顔と魔導船を交互に見比べて溜息をつく。
「ご安心ください。速度に関しては、この国で右に出る船はありませんから」
俺は営業スマイルで答え、彼らを船内へと案内した。
実は出発までのわずかな時間、ギルドの資料室でドラクマの特産品や商材を調べようとしたのだが、資料が古すぎて「干物が美味い」くらいしかわからなかった。
まあいい。行けばわかるさ。商人は足で稼ぐものだ。
出航の時。
まずは王都から海へと出るための運河移動だ。ここは俺が舵を握る。
制限速度ギリギリまで加速し、他の船をごぼう抜きにしていく。
「ほう……」
船窓から外を見ていた騎士が、感心したように声を漏らした。
「確かに速い。公爵家の快速船よりも一、二割は出ているか」
「ええ、運河の中ではこれ以上出せませんが、海に出れば本領発揮ですよ」
俺は得意げに鼻を鳴らした。
事務官の女性も、揺れの少なさに安堵した様子で書類を整理し始めている。
ここまでは、よかった。
そう、ここまでは。
運河を抜け、広大な外洋に出た瞬間、操舵席の空気が変わった。
「交代です、旦那様」
サクラが冷徹な声で告げる。
「ここからは私が担当します。最短ルートで、最大戦速にて航行します」
「お、おう。頼んだぞ。俺は客室で……」
「いえ、旦那様はここにいてください。シートベルトをしっかりと」
「え?」
カチャリ。
サクラがレバーを倒した。
次の瞬間、世界が後ろへぶっ飛んだ。
ドッゴォォォォォンッ!!
まるで巨人の背中を蹴り飛ばされたような衝撃が船全体を襲った。
魔導エンジンが唸りを上げ、船体が海面から浮き上がるかのような加速を見せる。
「ひぎゃあああああああっ!?」
俺の悲鳴は、風切り音にかき消された。
速い。速すぎる。
今まで俺が操船していた速度が「ジョギング」だとしたら、これは「崖から落ちている」速度だ。
波を割るのではなく、波の上を滑走している。水しぶきが弾丸のように窓を叩く。
「サ、サクラさん!? これ、速すぎない!? 分解する! 船が分解するって!」
「問題ありません。船体強度は計算済みです。魔力充填率一二〇パーセント。安定しています」
サクラは表情一つ変えず、むしろ楽しげに舵を操っている。
恐る恐る客室の方を振り返ると――。
使者たちの顔面が、恐怖で引きつっていた。
外交官の男性は手すりを握りしめて石のように固まり、騎士の男性は「敵襲か!?」と剣に手をかけたまま腰を抜かし、事務官の女性に至っては、整理していた書類が舞い散る中で白目を剥きかけている。
「も、申し訳ありません! 少々急いでおりますので!」
俺は必死に叫んだが、彼らに届いたかどうかは怪しい。
通常、王都からドラクマまでは、どんなに急いでも四、五日はかかる。
だが、この魔導船には「疲労」という概念のない操舵手がいる。
夜になっても速度は落ちなかった。
真っ暗な海を、魔導灯の光だけを頼りに、サクラは全速力で突っ走る。
「障害物感知。右舷一五度、回避」
ギュンッ!
船体が鋭角に曲がる。遠心力で俺の頬肉が窓ガラスにへばりつく。
「おえぇ……もう勘弁してくれ……」
「何を言っているのですか。まだ半分ですよ。さあ、眠気覚ましに歌でも歌いましょうか」
「悪魔! ここにお茶汲み人形の皮を被った悪魔がいるぞ!」
そして、翌日の昼下がり。
俺たちはドラクマ港に到着した。
所要時間、約二六時間。
伝説的な記録である。いや、もはや怪奇現象と言ってもいい。
港に接岸した船から降りてきた使者たちは、一様に足元がおぼつかない様子だった。
「つ、着いた……のか?」
外交官が、陸地の感触を確かめるように地面を踏みしめる。
「信じられん……。まだ一日しか経っていないだと?」
騎士が青ざめた顔で太陽を見上げる。
事務官の女性は、乱れた髪を直す気力もないようで、虚ろな目で遠くを見つめていた。
俺はといえば、三半規管が完全にバグを起こしており、地面が揺れているような錯覚に襲われていた。
「ほら、旦那様。シャキッとしてください。依頼完了の手続きに行きますよ」
唯一、涼しい顔をしているサクラに背中を叩かれ(物理)、俺はよろめきながら歩き出した。
ドラクマの冒険者ギルドへ向かい、使者たちと共に到着の報告を行う。
現地のギルド職員は、日付の記載ミスではないかと何度も書類を確認していたが、使者たちの「身分証」と、彼らの憔悴しきった顔を見て、ようやく納得したようだった。
「た、確かに、公爵家の使者様ご一行と確認いたしました……。王都からの急行、ご苦労様でした」
手続きが終わると、すぐにギルドが手配した馬車がやってきた。
外交官の男性は、馬車に乗り込む直前、俺の方を振り返って言った。
「グラス殿……。君の船は、確かに速い。速すぎるほどにな」
「は、はあ。お役に立てて光栄です」
「だが、次はもう少し……心臓に優しい速度で頼むよ。寿命が三年は縮んだ気がする」
そう言い残し、彼らは去っていった。
多分、この近くの貴族の屋敷へ外交に向かったのだろう。彼らの任務が無事に終わることを祈るばかりだ。主に胃腸の具合的な意味で。
「さて、旦那様。依頼は完了しましたよ」
サクラが達成感など微塵も感じさせない事務的な口調で言った。
「これでランクアップは確実ですね。おめでとうございます」
「ああ……うん。ありがとう……」
俺は港のベンチに座り込み、まだ揺れている視界の中で呟いた。
「でもサクラ、一つだけ言わせてくれ」
「何でしょう?」
「帰りは……もう少しゆっくり帰ろうな。俺、ドラクマの特産品とか、まだ何も見てないから」
「承知しました。では、帰路は観光モードで参りましょう。ただし――」
サクラは不敵に微笑んだ。
「商材が見つからなかった場合は、訓練モードに切り替えますので、そのつもりで」
俺は深くため息をついた。
自立への道は、どうやらまだまだ波乱万丈のようだ。
ドラクマの潮風は、王都とは違う、少し荒っぽい匂いがした。




