魔道の基礎
◇(レイジ視点)
走っている。無我夢中に、時折途切れそうになる意識を何とか保ちながら。
真っ赤な空間の中、夢か現実なのか分からない。ただ、俺は存在の危機に瀕しているという謎の確信があった。
白い影はそんな俺を追う。その手のようなものが伸びては、俺を捕まえようとする。
しかし、俺の体に触れると、灰となり緩やかに崩壊していく。
「くそ! なんなんだよこれ!」
ずっと、こんなことを繰り返している気がする。
こんな異常事態の中、自我を保つのは大変だった。
いや、大丈夫だ。まだ覚えている。名前は……そう、レイジだ。苗字は……
「忘れ、た? いや、そもそも——」
走りながら、自分の存在を半分失った気持ちになる。自分の証明である名前、その中でも家族の存在を表す、大切な苗字、それが分からない。
「クソ……!」
それでも止まることは出来ない。だって約束したから。
誰と?そんなことは覚えていない。
ボロボロの裸足で床を蹴り、血だらけの手を握りしめて振り、カラカラの喉に空気を目いっぱい取り込む。
その繰り返しを続ける必要がある。そうしなければいけないのだ。
「なっ!」
白い影が一つ、これまでと違って灰になることなく俺に触れてくる。
ずっと変わらなかったはずの影との距離が無くなっている。息が止まる。この動かない心臓はすでにただの肉塊なのか?
迷いを中断するように白い手が伸びる。
そして俺の身体を引き裂き——
「ッッッ!」
そこで目を覚ました。
「またか……」
なんとも寝覚めの悪い朝だった。
体は気怠く、汗がダラダラと首をつたう。喉の奥がもやもやするような気持ち悪さだ。
「なんかやな夢みたな……」
そうだ。昨日は激動の一日だったんだ。だから疲れであんな夢を見たんだ。
昨日は依頼の後に事務所へと戻ると、建物内の別の階にある、天草によって用意された部屋に入ってあっという間に眠ってしまった。
なぜか二段ベッドだったが、疲れていたため下の段にダイブしてからは気にすることはなかった。
「顔洗おう……」
朝の気持ちを切替えるには顔を洗うのが一番。
ひとり呟くと洗面台へと向かう。すると、バスルームと併設されたその一室の電気がついている。
そこには人の気配もあった。
「あれ……?」
思わず声を出すと、足音がすたすたとこちらへ近づいてくるのが分かった。
「お……! お前、新人か!」
——俺は全裸の男と出くわした。まだ夢なのか?
男は濡れた赤髪をかきあげ、仁王立ちで俺を見る。
茶色い瞳がワクワクを隠さないほどに好奇の視線を向けてくる。
『俺は稲垣陽樹! おまえがかつきが言ってた新人だよな! よろしくな!』
『え、はい、レイジです。よろしく……』
全裸で登場した変質者はそれだけ言い残して部屋を出て行った。
俺も瞼をこすりながら事務所に向かうと、所長がいた。
所長は軽く手を振ると、椅子をくるりと回して俺に体を向けた。
「レイジ君は昨日よく眠れたかい? 陽樹に関してはすまないね。相部屋って伝え忘れてたよ」
「あー、まぁ、はい。どっちも平気です」
「ならよかった」
正直あんま熟睡できてないけど適当に返事して、あくびが出そうになるのを必死に我慢した。
「そうか、ならよかった」
「おはようレイジ」
すると、事務所の奥から美玲が湯気の立つコーヒーを2つ持って歩いてきた。
近づくにつれコーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。
「おはよう……」
「おはよう。はいコーヒー」
俺、特に何も言ってないよな?
美玲はすっとコーヒーカップを差し出すと、俺の顔をじっと見つめる。
「なんだかあまり眠れなかったようね。これ飲んでシャキッとしなさい。ミルクが必要なら、それは自分で取りに行って」
「おう……ありがとう……なんで眠いのバレたんだ? 俺顔に出ないと思うんだけど」
俺もまた美玲の目をまじまじと見ると、美玲は肩をすくめる。
「そう? 見ればわかるでしょう?」
無意識のうちに人の些細な変化などを感じ取れるのだろう。美玲はそのまま、大したことないといったふうに悠然と近くの椅子に座った。コーヒーカップを両手で持ち、息を吹きかけている。こいつの観察眼やら気遣いはすげえな。
カップを傾けると、事務所のドアが勢いよく開き、陽樹がすたすたと歩いてきた。
「おはようレイジ! かつき! お、美玲! 俺にもコーヒーくれよ!」
「おはよう」
俺が挨拶を返すと、陽樹はニパーと笑いながら机に手をついた。
さっき顔を合わせたばかりだが、こいつは底抜けに明るい。多分いいやつ。
「自分でやりなさい。バカ」
「はぁ!? なんでだよ! いいじゃんか!」
2人は面と向かいあって言い合っている。
昨日だけの印象で、結構言うやつだとは思っていたが、陽樹に対しては特に語気が強いな。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
所長は、書類を机に置くと、そのまま机に手をつく。
「綾崎、とりあえず私にもコーヒーを」
「所長、冗談は存在だけにしてください」
「存在から!?」
二人に厳しいようだ。何となく分かった。おそらく普段からふざけているのだろう。俺にはまだ新人だから優しい。なんだかうれしいけど、三人の時間との差を見せつけられているようで、少し羨ましく胸に穴の空いたようになる。
「ま、まあいいよ。私は自分で入れるから。ああそうだ、レイジ君、今日は綾崎に魔道を軽く教わってから魔法の基礎練を陽樹とやってもらうからよろしくね。急ピッチだけど頑張ろう」
所長はそう言い残してコーヒーを淹れると部屋から出て行った。
「じゃああとでよろしくな!」
陽樹はそのまま外へと飛び出していった。軽快な足音がする。ランニングでもするのだろう。
二人がいなくなると、美玲が苦い顔で冷凍庫から氷を取り出してきながら、肩をちょんとつついてきた。
「もう魔道の授業に入れるけどどうする?」
「じゃあやるわ…………猫舌なのか?」
「……少し、熱くしすぎただけよ」
美玲は少し舌を引っ込めながらそう主張した。
◆
「——じゃあ、魔法は結局イメージが大事、魔術はその魔導文字とやらの暗記と正確さが大事ってことか」
「そうね、魔法は体で覚える必要がある。魔術は頭で覚えて術式を正確に刻印する必要がある感じね。あ、ただのインクだったり刻むだけじゃだめよ。刻印液を使ったり、魔力を込めることが大事ね」
「待ってくれ、今詰め込まれるとやばい。暗記苦手なんだよ……」
マジでヤバイ。開いて最初に文字の表があるんだもん。俺は教科書に載っている様々な形をした文字を見つめながら、机にだらんと横になった。
「教科書にあるこの魔導文字ってやっぱ覚えなきゃいけない?」
すっと見上げると、美玲は呆れた様子もなく、淡々と自らも教科書を覗き込んでいる。
「魔術を扱ううえでのABC、アルファベットにあたるものだから、前提にはなるわね。あなた、漢字もひらがなもなしに日本語を話すの?」
「数は少なくないけれど、どんな魔術の系統でも基本的に扱うのはこれらだけだから頑張りなさい。召喚魔術だとか、特異なものですら、これを踏襲することが多いわ」
「位置関係を利用するような例外もあるけれど、今は基礎ね」
まだ他にもあるのかと見つめていると、美玲は少し頬を緩めて教科書を閉じた。
「大丈夫よ、最低限はやっていればできるようになるわ……ただ、あなたのあの魔法については謎が多すぎる。今は基礎的なものに専念なさい」
「そうだな……」
事務所の空き部屋にて始まった魔道の授業は分かりやすく、頭にすんなりと入っていった。
だが、得体のしれない魔法を思い出し、少し気持ちが重くなる。
あれは、今学んでいる魔道から見たら異常……危険なのだ。
もし、基本的な魔法も使えなかったら、俺は本当に意味がわからない存在なんじゃないか。
「じゃあ次は実践ね。まずは魔法の出し方から」
そんな俺の気持ちをぬり変えるように、美玲は自分の指先から赤い炎や、水の球体を作り出してみせた。
……俺もちょっとセンチすぎたな。
「とりあえず昨日みたいな目に集中するだけじゃなくて、体全体で魔力を自覚しないといけないわね。手、出して」
「ほい」
美玲が手に触れると、体内になにかが巡る感覚を覚えた。止まっていた血の流れが動いた時に暖かくなるのに似ている。
「これが魔力の流れ、わかった?」
「なんかわかったかも」
「よし、次はとりあえずやってみましょう」
気を引き締めて手に力を込める。開ききったまま、指を全部真っ直ぐ伸ばしてみる。
「まずは自分の発動する魔法のイメージをして、体が魔法を発生させる装置だと思い込みなさい。最初は水を出してみましょう」
「イメージ」
「私たちの体内の魔力を導線に、体という媒体を通して、世界に現象として発生させるの」
魔力があるのは分かったが、流れを把握してもそれを操作できる訳ではない。まったくコツをつかめずになんか力が出そうなポーズを取り始めると美玲がたとえを教えてくれた。
「自分をウォーターサーバーだと思ってみて。魔力は電気で、出てくる水が魔法ね。出てくるとこは手のひらで」
俺はウォーターサーバー、俺はウォーターサーバー……
なにかカチッとハマった感覚がした。その瞬間、手のひらから水が溢れ出し、魔法を使えたことを確信した。
「……筋がいいわね。1度魔法を発動したからこれからは他のものもイメージすれば、だんだん体内に回路が出来上がって使えるようになっていくわ」
「おお、すげぇ! 使えた!」
自分でも魔法を使えた。本当に俺にはその才があったと喜んでいると、美玲は次の魔法について話し始めた。
次は攻撃魔法。基礎中の基礎、魔力の放出。さっきの基礎魔法がよく魔法戦では使われるらしいが、こっちの魔法は完全に純粋な攻撃で使うことがほとんどなために攻撃魔法と呼ぶとのこと。
説明すると美玲は離れた位置にある、何に使うんだかわからない魔道具に魔力を当てた。指先からモヤのように見えていた魔力が、白い球状になって発射された。
「感覚だけ覚えて今はそれ以上威力を上げたりはしないこと。今度は、そうね、今度はただの水鉄砲。魔力という水を体という水鉄砲でそのまま放出するみたいに」
まだ魔力がそのままで現れることを想像出来ていないようでうまくいかない。なんか、血をブシャーってするイメージでやればできるかな。できないわ。
「出来そうな流れはあるわ。まぁどちらも日々鍛錬あるのみね」
「……ところで、学校にも行っていないのよね」
一息ついていると、美玲が自分が持ってきた教科書を見て聞いてきた。
「あぁ、世間じゃ高校生か」
生きるのに必死で忘れていたが、俺は本来学生のはずだった。今頃高校初の夏休みを友人とともに謳歌し、九月が近づくにつれ放置した課題の量に顔を青ざめていたかもしれない。
「私と同じで15歳なのでしょう? 孤児院にいるときに学校に行こうとは思わなかったの?」
「本当は行く予定だったけど……金をかけさせたくなくってな」
前から俺は、最初の数回で不登校になると考えていた。お金を出してくれようとする孤児院には悪いが、高校に行くよりかはバイトをして金を入れようと中学三年の時点で決めていたのだ。もっとも、それを話す前に飛び出してきたのだが。
孤児院を出てきた理由のひとつでもあるが、金をあまりかけさせたくなかったんだ。
「悪いことを聞いたかしら」
「いや、いいよ。どの道出てきちゃったしな」
「そう……もし学校に興味があるのなら、所長に言ってみなさい」
所長に?なんで?困惑する俺の顔を見たあと、美玲は外を指さす。
なんか、教員免許でも持ってんのかな。
どういうことか聞こうと思ったが、すぐに美玲が言葉を挟む。
「じゃあ次は陽樹との訓練ね。たぶんやれると思うわ」
「わかった。あ、てか、陽樹と美玲って仲悪いのか?」
「ん? あぁ、あいつは幼馴染なのよ。だから雑に扱ってもいいのよ」
「そうなのか!」
俺にも幼馴染とかいたんかな。そう妄想しながら外へと向かった。




