500円の女神
◆(レイジ視点)
目の前には青空が広がっている。雲ひとつない晴天だ。
ある公園のベンチに俺は横たわっている。
馬鹿みたいに熱く眩しい太陽が俺を見下ろして、地面からも照り返す日光が体力をじりじりと確実に削っていく。
なにかをしようにも、暑さから逃れようにも動けない。今日の気温が例年のものよりも五度近く高いという情報は、先程近くを通り過ぎた部活帰りらしい高校生らの会話によるものだ。
「……腹減った」
腹が鳴ったことでまた思い出した。最後に食べたものと言えば、数日前にゴミ箱でたまたま手に入れた弁当のみだ。忘れたままだったら空腹に耐えられたんかな。んなわけないか。
公園の水で何とか凌いでいたが、水だけで空腹は満たされない。公園のベンチでは死にたくないな……
「ガチめに限界だ。死ぬぞこれ」
頭がぼやける中、独り言を呟く。蝉の鳴き声が俺の声に反応するかのように響く。このままじゃあの蝉よりも先に死にそうだ。汗もやばいし。
せめて日陰に移動しよう。あっちのでかい木の下ならまだマシだろ……
「『展開!』」
少し低めの、焦りが混じったような勢いのある声だった。同年代……15〜6歳くらいの女子の声だった。
言葉だけでは意味が分からず声のした方を向くと、周囲になにかぼやけた壁のようなものが見える。
「なんだ……これ」
それを理解するより先に、悪寒が全身を走る。
咄嗟に身をかがめると、さっきまで向かおうとしていた木に人が叩きつけられていた。
バキバキと軋む音が鳴り、緑色の葉が揺らいで落ちる。
俺の方に飛んできた訳ではないようだ。でも、あんなのがぶつかったらただじゃすまねぇ!
ベンチから転げ落ちそうになるのをベンチにしがみついて踏ん張ると地面からざっと音がなって煙がたった。
「そこの黒髪赤目! 早く離れなさい!」
「え?」
遠くからさっきと同じ声が聞こえた。全力で声を出したようで、声が掠れているのが分かった。
そして、「それ」と呼ばれたものへと視線をやる。
――それは、およそ人と呼べるものではなかった。
口は裂けている。よく見れば、大きく肥大した指は歪な関節が多い。それぞれが別方向に曲がり、鋭利な指先は軽くステーキ肉を切り裂けそうだ。
皮膚の所々が黒く変色し、その目は虚ろでどこか遠くを見つめているようだったが、実際には俺のいる方へと向いているようだ。
「ッ!」
あれはやばい。息をのんで、何とか逃げようとした時だった。
それの目が俺を一心に見つめた。ギョロりとまるで眼球だけが引っ張られたかのように、ただ胸の一点を見つめている。
そして、操られた人形の如く、不自然な体勢で突進してくる。ぶつかってしまえばただでは済まないのは目に見えている。木に叩きつけられた衝撃をもろともしないあの体……単純にぶつかっただけでも、骨どころか内蔵まで押しつぶされるだろう。
これは死んだな。なんとなくそう思ったら走馬灯のようなものが見えてきた。昔から見る夢、燃え盛る街を見つめている。傍らで懐かしいような、見知らぬような少女が息絶えている。無力感と不思議な程に生きなければならないという気持ちが襲いかかる、不可解な夢。
胸の奥から熱が、黒く純粋な本能が姿を現す。
――生きなければ。
「うわぁぁ!」
なんとか手を伸ばし、身をよじる。地面に顔が叩きつけられる。
熱いし痛い!けど、生きないと!そうだよ。俺は探さないといけないんだ。俺が、何者なのかを!
ギリギリのところで化け物の突進はかわせた。もう一度は出来ない。体力が尽きている。
しかし、化け物はすぐに振り返り、俺めがけてまた突進する。
一度きり、決死の回避も無駄に終わった。
俺はその場に倒れ、空に手を突き出した。
意味わからん化け物に殺されて終わりなんて呆気ねえ。
……ちくしょぉ、死にたくない。こんな奴、消せてしまえばよかったのに。
「くそがぁ!」
ほとんど反射で化け物に掲げた手を向けた。
突進してきた化け物の腕がその手に触れた途端、その先端からぼろぼろと、砂のように崩れて落ちていった。
「は……?」
開いた口がふさがらない。なんだ、これは、何が起こった?誰がこれをやった?
俺、なのか?
「喰らいなさい!」
直後、俺が呆気にとられるような暇もなく、乾いた破裂音とともに風が駆ける。
音の先には化け物がいた。体にぽっかりと穴が空いている。
それでもなお、俺を一点に見据えている。
やがてピクリとも動かなくなると、後ろから女子が走ってきてそれに近づく。緑の瞳に少しつり目だった。翡翠の髪を低めのお団子でとめた髪型で、垂れてきた前髪を手で払っている。
彼女は手に持っている道具箱のようなものから縄を取り出すと、化け物をぐるぐると縛った。
慣れているようで、素早い手さばきとともにぎりぎりと音が鳴ると、あっという間に化け物の手足が完全に動けなくなった。
「事前に周囲を確認したはずなのに。どうして人がここにいるのかしら」
状況は分からないが、眉間にしわを寄せている。どうやら怒っているみたいだ。
「今回の案件と関係ある? 妙な魔力の流れも見えるし……それにあれは一体……」
ぶつぶつと何かを考えていたようだが、倒れたまま固まっていた俺に手を差し出てきた。
「私は綾崎美玲あなたの名前は?」
唐突すぎる展開で考える間もなく、俺は伸ばされた手を取っていた。
暑くボヤけていた視界が開けて輝いて、まるで後光が指しているみたいだ。
「レイジ……だけど」
名前を出すのに抵抗なんてあるはずなかった。
俺の名前を聞くと、美玲は目を細めてから小さく唸る。
少し空気が重くなった気がした。
「そう。レイジ、早速で悪いのだけれど、貴方には着いてきてもらうわ。具体的に言えばさっきの化け物と……あなたについて話があるの」
化け物についてと、俺について?
俺の困惑を覆い隠すように、ふいに腹がなってしまう。それを皮切りに緊迫していた空気が霧散していった。
「……お腹がすいているの?」
「……ああ、かれこれ数日ろくにものを食べてない」
「そうね……じゃあこれ、あげるわ」
そう言って美玲はコンビニの袋を渡す。中には菓子パンとスポーツドリンクが入っていた。
「いいのか!?」
「私の軽食と飲み物だったけど、そんな死にかけの人を放っておける程私は落ちぶれていないわ。あなた、顔色やら何やら全てが悪すぎるもの」
「500円くらいだし、大したことないわ」
こ、こいつは……!
まさか……!!!!!
「女神か……! 分かった。話があるんだろ? どこ行けばいい?」
「切り替わりが早いわね……それに女神って何よ……まぁいいわ、着いてきなさい」
熱を帯びた風が、俺の全身を撫でて通り過ぎて行った。




