【冥】
直径1mも無い球体には信じられないほどの魔力量が凝縮されている。深黒の奥は見透かすことが出来ず、光すら通さない。
その時、球体が崩れ始める。そしてゆっくりとある形を型どっていく。縁からは魔力が溢れ、円の内側には幾つものポリゴンが回転している。
やがて回転は速さを失い、完全に制止したポリゴンが1つに重なる。球体は1つの魔方陣へと姿を変え、獅子を正面に捉える。
「うおっ!!」
次の瞬間、俺の身体が宙に浮いた。訳も分からず後方へ吹き飛ばされ、頭から雪を被る。しかし俺は見た。吹き飛ばされながらも俺の揺れる視界には確かに映った。
魔法陣から放たれた一筋のビームが重力を無視し獅子へと一直線に駆け抜けた。その速さはこの場の全てを置いていく。それは音ですら例外ではない。
直後、全てが遅れて訪れる。軌道上付近の地面が根刮ぎ抉り取られる。一筋のビームからは考えられない程の衝撃で雪原は一瞬にして惨状と化した。
「うっ……………」
俺は思わず口に手を当て俯く。突如襲い来る吐き気に目眩。恐らく原因は今の一撃、ゼーレの全魔力の解放に当てられたようだ。
ゼーレを見ると既に球体へと戻っていた。しかし球の内側に内包されていた魔力を全て使いきったことで無色透明の泡のような容貌に成り果てていた。
ゼーレは命を賭して使命を全うしたのだ。やがて形を保てなくなった泡は空中で弾ける。
そして荒地を見る限り獅子の姿はない。今の一撃で跡形もなく消し飛んだようだ。
「終わったぁー」
緊張の糸が切れる。俺は思い切り叫び、勝ち鬨を挙げた。一時は窮地に立たされたが何とかここまで辿り着いた。この戦いの中で俺は更に成長できた気がする。
雪原に静寂が訪れる。荒れ果てた大地に一人取り残された俺はぼんやりと空を眺める。雪と晴天というミスマッチな天候に何とも言えない気持ちを抱くが、そんなことはどうでもいい。今はこの勝利の喜びに浸っていたい。
湿気を含んだ風が顔に吹き付け、それに雲が流される。
「………………………何だ」
喜びに浸っていた俺は突如何とも言えない不安感に駆られる。
いつまで経っても終了の告知がされない。前回は中止という形での幕引きだったが今回は違う。討伐に成功したのだから終了告知やゲートの出現など、何かしらの合図があってもおかしくない筈だ。
ジュゥ………
頭の熱が一瞬で冷める。右腕に浮かび上がった牙の紋章を見て全てを理解する。これほど生きた心地のしなかった瞬間は今までに無かった。
絶頂からどん底へと叩き落とされる。俺は抗うことを諦め被ダメを覚悟する。死んだ筈の獅子に畏怖しながらも俺は辺りを見渡す。
「最悪だ…………」
惨状より這い出てくる傷だらけの黒い獣。毛並みを逆立て口元から紫の炎が揺らめいている。恐らく自身を障害物としてゼーレの一撃を回避したのだろう。呪鏡によるタイムリミットは残り2割程度、時間にして約10分。
だが、奴の動きの正確な条件が未だ掴みきれていない。無条件で自身を障害物に出来るならそもそも一撃も貰うことなく回避している筈だ。だが奴は俺からもゼーレからも攻撃をもらっていた。
自身を障害物に出来る時と、そうでない時との間に何らかの条件が課されている筈なのだ。
「がぁぁぁぁぁっ…………」
分かっていても慣れるものではない。歯を食い縛り、痛みに耐える。それでも何とかヒールに意識を集中させる。
「ふぅ…ふぅ…ふぅ………」
呼吸を整えながらも目線だけは奴から離さない。その時だった、俺は奴の不自然な挙動に気付く。
「どこ狙ってんだ」
奴は大口を開けて天を仰ぐ。次第に奴のからだの色素が抜け落ち、黒獅子から白獅子へと変貌し始める。そしてそれに比例するように奴の口元に巨大な魔力の塊が膨らんでいく。そしてその攻撃は明らかに俺を標的にしていない。
直後、蒼天に一筋の花火が打ち上がる。奴の放った魔力は天高く舞い上がり、最高点に達したところで弾けた。しかし花火のように散ることはなかった。
弾けた魔力は円上に広がり蒼穹を闇が覆い尽くす。やがてガラスを伝う雫のように地上へと闇が侵食し始める。瞬く間に空間全体が光を失い闇に飲み込まれた。
俺は目の前の悪魔と睨み合う。純白の毛並みを纏いし獅子は闇を灯す唯一の光だ。先程までの荒々しさが消え、獣でありながら何とも神秘な存在だった。
足元すら見えない。零門と全く同じような空間。
「そういうことか」
ここに来てようやく俺は理解する。最大の窮地を前にようやく奴の動きの仕組みを理解した。奴の姿を消したり、消さなかったりという不規則な挙動には規則性がある。
一度目の戦闘でも今回の戦闘でも1つだけ同じ条件があった。それは障害物の有無ではない。
「太陽か」
奴の不規則な動きの正体、それは光だ。正確に言うと日光によって生まれる影だ。そう考えると全てに説明がつく。前回一度だけ、奴が姿を眩ました時、突然時間切れのように姿が浮かび上がってきた時があった。
恐らくあの時、太陽が隠れたのだろう。そして今のこの状況を考えると更に分かることがある。奴が作り出したこの暗黒空間は光が全く無い。それは奴にとってはデメリットの筈だ。本来影とは光が遮られることで生じるもの。大元の光が存在しない限り影も存在しない。
この空間は闇であって影ではないのだ。ではなぜこのようなフィールドを奴が作ったのか。見る限りこの空間は奴の魔力によって形成されている。それはカマキリの悪魔が作っていた領域に近いものだと言えよう。
自らの魔力を使って自分にバフを掛ける。しかし奴にとってはこの領域はデバフでしかない。それは何故なのか。それは俺の認識が誤っている、いや浅すぎるからに他ならない。
訂正しよう。トリガーは影ではない。
闇だ
それは物ではなく概念そのもの。何もないという概念。光が失われたという事象は闇という概念に内包されていた。
【冥】
このゲートの主を意味する語でこれ以上相応しいものは無いだろう。それと同時に今自分が置かれている状況が鮮明になる。
今の奴はこの空間全域を瞬時に移動でき、尚且つ領域同様にバフ効果もあるだろう。それに立ち向かうのは魔力が底をつき、満身創痍のハンター
「最高だ」
圧倒的窮地を前に絶頂を遥かに凌駕するほどの快楽を感じていた。魔力が底を尽きた事など問題外。限界は越えるためにある、それでこそハンターだ。




