黒獅子は吠える
順調にいっている時は何かを見逃している時だ。俺は心を満たす余裕と安息感に警戒を示す。そしてそれは正常な反応だったと後から思い知らされる。
奴の背中に股がり繰り返し双剣を差し込む。しかし何故か奴に反応がない。そこで俺はこの異変に気付く。
「ワオォォォォォォォォォ」
奴は雄叫びを天に轟かす。漆黒の毛並みが逆立ち、番犬は百獣の王へと変貌した。鬣を靡かせ、雪原に一匹の黒獅子が顕現する。
しかし俺は背中に股がったまま攻撃を止めない。形態変化がこの段階で来たということはそれだけ体力を消耗したということ。
前回のタイミングと比べると明らかに早い。2度目というアドバンテージを活かし切れている証拠だ。しかし本番はここから。
「グオォォォォォォォォォ」
獅子が再び雄叫びを響かす。直後、その咆哮に呼応するように天から黒雷が降り注ぐ。黒龍は真下の俺目掛けて一直線に天下る。
間一髪、俺は奴の背中から飛び退き雷の直撃を回避した。黒雷は奴に直撃し、落雷の軌道上に周囲を巻き込む程の巨大竜巻を形成した。
落雷の衝撃で舞い上がった雪が急激な温度変化によって出来た渦によって吸い上げられて竜巻が発生したのだ。黒龍はその姿を灰龍へと変貌させる。しかし禍々しく荒れ狂う竜巻は徐々にその螺旋を崩していく。
やがて竜巻は霧散し、再び白銀の世界へと戻る。そして竜巻より獅子がその姿を現す。全身の毛並みがバチバチと弾け、まるで静電気を帯びたように互いに反発し合っている。
奴の鋭い眼光が俺を射抜く。奴はゆっくりと俺へと迫る。奴が地を踏みしめる度に雪が溶けている。恐らく落雷の直撃によって全身に巨雷を帯電しているのだ。
俺は雪月花を構えながら後退りする。既に『死季』の第一段階である"冬"は溜まっている。しかし今はまだ使うべきではない。
その時、奴が一瞬で距離を詰めて牙を剥く。獅子化した奴は今までとは全くの別物だった。変身前の速さは何もついていけない程ではなく、むしろ此方の方が上だった。
しかし今の奴の速さは俺と五分、それか奴の方が若干速い程だ。俺は奴の飛び掛かりを回避し、背後から雪陽花を振り抜く。
「くそ……またか!」
俺の刃は後一歩のところで空を切った。奴は地面に溶け、俺の背後から奇襲を仕掛ける。俺は奴の動きに対応しきれなかった。まるで消えたと同時に背中に衝撃を受けたように感じた。
俺の背中に3本の線が深く刻まれる。しかしそれだけでは終わらなかった。爪で引っ掛かれた直後、傷口から爆裂した。
俺は前方へ吹き飛ばされ、積雪に転がる。すぐさま立ち上がろうとする俺だったが何故か力が入らない。見ると俺の身体中に赤黒い電気が走っていた。 奴は攻撃すると同時に帯電していた雷を俺に流し込んだのだ。
双剣を握る両手に力が籠められない。それでも膝に喝を入れて振るえる脚で立ち上がる。
「何だ…………」
視線を奴に向ける。すると奴は此方を睨み付けたまま、動かない。そして俺と同じように全身を小刻みに振るわしている。
黒い毛並みが激しく波打ち出し、目で見える程の電気が漏れ出す。俺は一瞬でこの状況を理解した。だが身体が言うことを聞かない。脚を動かそうとするが膝から崩れ落ちる。それでも地面を這うように奴から離れる。
「グゥルァァァァァァァ」
背後から獅子の唸りが響く。その瞬間、足先から脳天まで雷が駆け巡った。骨の髄まで滅却されたような衝撃が刹那の内に走る。
奴は体内に帯電していた雷を全解放させた。黒い雷が奴を中心に波紋のように広がり、俺ごと焼き尽くした。常時身体に魔力を纏わせることで衝撃を軽減していたが、黒雷はそれを容易く貫いた。
「あ……………………っ……」
口元に全く力が入らない。俺はうつ伏せで雪に埋もれそこから起き上がることができない。このままでは窒息死する。
その時、俺の身体が仰向けに転がる。全く身体に感覚が無いまま何が起こったのかも分からない。しかし次の瞬間、一瞬で理解する。
「グルルルルルルル」
俺の眼前には獅子の面があった。両眼がじっと俺を見つめて離さない。奴の半開きの口から涎が滴り落ちる。
俺の右目に涎が垂れるが麻痺で目蓋を閉じることができない。右の瞳に映る奴の姿が歪む。
「グアァァァァァァァァァ」
零距離で獅子が吠える。俺の頭がすっぽりと収まりそうなほど開口して、顔面に奴の唾液が弾丸のように吹き付ける。その時、耳に衝撃が走った。激しい痛みと共に鼓膜が弾けたのだ。
咆哮が止み、俺と奴の瞳が交わる。奴は俺の面を舌で舐め舞わす。それは愛情表現などではない。舌を首へ、胸へと這わせる。そして奴の舌が腹を通過したとき、その動きが止まった。どうやら臓物の臭いを嗅ぎ取ったようだ。
「うぎぁぁぁぁぁぁぁぁ」
次の瞬間、腹に激痛が駆ける。これは俺の悲鳴だ。痛みで自我を失い、汚い呻き声を上げる。奴は俺の腹を食い破って臓器を掘り出す。
麻痺によってヒールの常時発動が途切れてしまった。痛みで全身の麻痺が解けたが、今はそれどころではない。経験したことの無い痛みに意識が飛んでは、痛みで再び覚醒する。これをひたすらに繰り返していた。
俺は死の淵をさ迷いながらも最後の賭けに出る。
『呪鏡』
俺は白眼を剥いたまま、そう口にする。この魔術を会得していた不知火には心から感謝を伝えたい。
その鏡は呪われていた。その鏡が対象を正確に映すことはない。詠唱者の残り生成力によって相手にダメージを与える、それがこの魔術の効果だ。
死に際ほど相手に致命傷を与えることができる。しかし呪鏡の効果はこれだけではない。これだけの効果を持つ故に代償は計り知れないものだった。この鏡は鏡中の術者に呪いを施す。
呪われた術者は残りの生命力をじわじわと奪われる。そして最後には全ての生命力を奪われる、つまり術者は必ず死ぬのだ。
恐らく不知火も自分が死ぬと分かった時にこの術を使おうと考えていたのだろう。だが死ぬにしても只では死んでやらない。
しかし俺の場合、前回目が覚めた時に傷が全回復していたことから制限時間内に奴を殺せば問題ない筈だ。そもそも今これを使わなければ間違いなく殺される。
制限時間は生命力が全損するまで、そう長くはない。俺の被ダメージは恐らく半分以上いっている筈だ。
その時、けたたましい破裂音が響く。俺の腹に顔を埋めていた獅子が爆裂した。見ると腹部が炸裂しており、顔の左半分も吹き飛んでいる。
「グワァァァァァァ」
奴が苦痛の呻き声を上げる。俺はその間に何とか呼吸を整え、腹部にヒールを掛けていく。奴も怯んでいるおかげで何とか傷は完治した。それでも膨大な魔力消費によってあれだけあった魔力量が底をつきかけていた。
「終わりにするぞ」
果たして終わるのは奴か、それとも俺か




