太刀は化ける
「いつも通りだ、援護頼むぞ」
橘は後ろを振り替えること無く、団員にそう伝える。
彼女は歩きながら腰に提げた鞘から太刀を抜く。彼女の役職は太刀使いだ。
剣士の中にも細かい分類が存在している。
双剣使いも大剣使いも太刀使いも全て「剣士」という枠組みの1つである。しかし、それぞれの持つ特徴や魔操術が異なるため分けられることが多いのだ。
橘がゆっくりとした歩調で蜘蛛との距離を詰める。のらりくらりとした動作だがその瞳だけ始めから悪魔を捉え続けている。
そして橘がある一線を越えた時、突然奴が壁を上り始めた。移動しながら奴の指から糸が放出される。
糸は壁から壁へと付着して、だんだんと頭上に奴の足場が増えていく。
『ヘルズメテオ』
婆娑羅の後衛部隊が動き回る蜘蛛に業火球を飛ばす。しかし、奴の不規則で俊敏な動きは易々と火球をかわした。
奴は攻撃をかわしながらも糸を張り巡らせて、じわじわと婆娑羅を追い込んで行く。だがそれを黙って見ている橘ではない
橘は糸を伝って壁を駆け上る。蜘蛛の糸は一見粘着質のように思えるが、それは横糸だけ。蜘蛛の巣には縦糸と横糸が存在していて粘着力があるのは横糸だけなのだ。
それは悪魔とて例外ではない。橘は次の足を踏み出す前に縦糸を判別し、注意しながらも凄まじい速さで蜘蛛へと迫る。
そして蜘蛛の背後を捉えたところで太刀を振りかぶる。しかし蜘蛛も彼女の動きを捉えており、振りかぶられた瞬間に前足をクロスさせて人型の胴体を防御する。
橘は振りかぶった刀を振り下ろす。軌道は胴体を駆け、奴の防御と重なった。しかし彼女の刀は止まること無く前足ごと奴の胴体を切断した。
「ビャャャャャャャャャ」
蜘蛛の断末魔が響く。
彼女の使う太刀は剣士職の中でも一番不人気な役職とされている。その理由は全ての要素が中途半端であるからだと言われている。
大剣使いが持つ一撃の超火力などはなく、だからと言って双剣のような柔軟な対応が可能な訳でもない。
しかし彼女はその道理をひっくり返した。決して太刀が強いわけではない、彼女が太刀を使うから強いのだ。
橘紅の並外れた身体能力は生まれつきのものだった。超人並みの力と瞬発能力、更に恵まれた長身。
彼女が使う太刀は双剣使いの小回りを可能にし、大剣並みの火力を叩き出す。彼女と太刀の相性は最高である。
常人にしてみれば中途半端な太刀も、彼女からしてみれば双剣と大剣の良いとこ取りのような物なのだ。
もう一度言おう。太刀が強いのではない、彼女が太刀を使うから強いのだ
切り落とされた人型の胴体は地面へ真っ逆さまに落ちて行く。
しかしそれは突然のことだった。切断部から糸が高速で紡がれて行き、落ち行く胴体へと絡まっていく。
それを見た橘はその異変にいち速く気付くがあと一歩遅かった。糸で繋がった胴体は切断部へと引き戻されて、修復されて行く。
あっという間に切れ目が完治し、元通りの姿となった。どうやら奴の糸は狩場を作るだけでなく、自信の回復も可能なようだ。
「厄介やな」
橘は煙草を咥えたままそう呟く。しかし彼女の表情に焦りは見えない。何故ならただ今のやり取りを繰り返すだけなのだから
彼女の斬撃が再び同じ部位を掠めとる。そして先程と同じように吹き飛んだ胴体に糸が絡み付こうとするが、2度も同じ轍を踏む彼女ではない。
切断部から伸びた糸が胴体にたどり着く前に太刀が糸を断つ。彼女の斬撃に修復が追い付かない胴体は吹き飛んで地面へと落ちた。
そしてボロボロと胴体が崩壊していく。更に胴体の失くなった蜘蛛本体の方にも異変が起こる。失った人型胸部を糸が型どり始めたのだ。
「あれは本体ちゃうんか」
橘は糸で作られた胸部を見て、あの部位が本体ではなく蜘蛛の部分が本体であることに気が付く。どうやら胸部は作り物だったようだ。まあ、指から糸を放出できるだけに只の作り物ではなかった筈だが。
橘は狙いを蜘蛛型の部位へと変更する。しかしそれを感じ取ったのか蜘蛛が橘から一旦距離を取った。
それを許す橘ではなかったが、接近途中で蜘蛛の奇行に気づく。突然奴の腹部が膨らみ始めたのだ。今にも張り裂けそうな程に膨らんだ腹部は更に大きくなっていく
「パァン」
腹部の爆散と同時に大量の子蜘蛛がばら蒔かれた。その数は数百にも及び、糸を伝って散らばって行く。まるで此方に敵意がないように自分の持ち場についた子蜘蛛は突然身を震わせた。
そしてその身体から煌々とした光を放出する。
「爆発す」
「バァゴォォォォォォンバゴゴゴゴゴドドドドバゴドォォォン」
糸に張り付いていた子蜘蛛が一斉に自爆する。衝撃により壁の一部が削れ、砂埃が舞う。それによって彼らの視界がくすんだ。
奴の狙いはこれだ。あの子蜘蛛は奴の子供というわけではなく恐らくは技の1つだろう。魔力を纏わせないと一匹の子蜘蛛からあれほどの火力は出せない筈だ。
一団の視界は奪われた。目の前には大蜘蛛がいる筈なのに足音すらせず、何処にいるのかも分からない。もしかしたら既に自分の背後にいるのかもしれないという恐怖を感じながらも誰1人として混乱に陥るものはいない。
それは培ってきた経験から来るもので仲間への圧倒的信頼によるものでもあった。自分が騒ぎ立てることで被害は増大し、例え捕まったとしても仲間が助けてくれるという確信が全員にあった。
その時
1人のガーディアンの身体に糸が網状になって飛んできた。身体に何重にも巻き付いた糸はある方向に引き込まれていく。
「近藤がやられた!敵は天井2時方向!」
「ぐあぁぁぁぁ」
「朝日!て、敵は天井8時方向!」
「ゃや、やめ」
「うわぁぁぁぁ」
「て、て敵は……………」
それまで視界が晴れない中でも冷静さを保っていた一団だったがそれが崩れ始める。猛スピードで捕獲されて行く仲間たちに状況把握が追い付かず、連携が乱れていく。
しかも敵が猛スピードで旋回しながら攻撃を仕掛けてくるため、敵の位置が補足できなくなっていた。ガーディアンが1人ずつ減っていき、後衛にも動揺が伝わる。
「落ち着きや」
その時、重くも芯のあるドス声が響いた。彼女は婆娑羅の精神的支柱であり要なのだ。彼女の言葉は絶対で、彼女が出来ないと言ったことは出来ないし、出来ると言ったら必ず出来るのだ。
彼女はそれを背中で証明してきた




