四話
「ほぉら、お食べ」
目の前には私を蔑むように笑う姉、桜子の姿があった。彼女は優雅に椅子に座り私を見下ろしている。私は狐塚家で辛酸を嘗めさせられ、泥水を舐めさせられた。
「お前、お腹が空いているのでしょう?食事をねだったのはお前でしょう?」
幼いその日、私は空腹に耐えかねて。少しでいいから食事が食べたいと姉に懇願したのだ。「いいわ、食べさせてあげる」そう言って姉が連れてきた場所は裏庭だった。
使用人達が私を姉の前で取り押さえ、地面に無残にも踏み潰された虫の死骸を口に入れようとさせる。
「お願いします、やめてください!」
泣きながら叫んでも、姉は笑うだけ。
「早くおやりなさい」
私を掴む使用人達の手が一層強くなった。
「嫌、嫌、嫌ぁぁぁぁぁぁ!!」
ハッと私は我に帰る。空になった皿を見ながら昔のことを思い出してしまっていたようだ。
(この食事は昔と違う。比べては失礼よ)
女中達が空になった皿を下げに来た。
「いえ、私がやります」
「お嬢様、そんなこと言わないでください。仕事がなくなっちゃいますよ〜」
おけいさんが笑いながら私が持っていこうとした皿を取る。庵司さんは食事が終わると早々に自室に戻られもう居間にはいなかった。
「そうだ、おりん。お嬢様を部屋に案内してあげて!」
「わっかりました〜!」
目を輝かせながらおりんさんが私を部屋に案内する。
「お嬢様に早く部屋を見て頂きたくてうずうずしていたんです」
「私なんかに部屋を用意していただかなくても…。廊下でも土間でも外でも寝ますので」
「もぉ〜!どうしてお嬢様は謙虚すぎるんですか」
この人達は暖かく優しい。だからこそ、私が女狐と呼ばれ蔑まれていたことを知られるのが怖い。その態度が豹変することが怖い。またここでも奴隷のように暮らすのが怖い。捨てられてしまうのが怖い。傲慢であるより謙虚である方がよっぽどいい。
「着きましたお嬢様。ここがお嬢様のお部屋です。開けてみてください」
おりんさんに促され私は襖を開ける。目に飛び込んできたのは部屋所狭しと置かれている色鮮やかな着物の数々だった。
「おりんさん…これは…」
着物だけではない。煌びやかな帯や可愛らしい帯留め。レースの日傘やレースのハンカチ。ドレスや洋服まで。高級な化粧品や美容品。綺麗な小物。女性なら喜びそうなもの全部が一通り部屋の中にはあった。
「全て旦那様がお嬢様の為に用意なされたものです」
「旦那様が…?」
私はすぐに私の部屋だと言われた部屋から離れ、庵司さん時自室に向かっていた。
「旦那様、薫子です」
「入れ」
中から低い声がして私は緊張から手が震えた。
「失礼致します」
「どうした」
庵司さんの冷たい視線に晒されて私は冷や汗が出ていた。
「お部屋にあった数々の着物を見ました」
「…気に入らなかったのか?」
「頂けません、あんな高価な物。しかもあんなに沢山」
あんな綺麗な物、姉しか持っていなかった。私には一生縁のない物だと諦めていた。そりゃあ勿論、憧れが無いわけじゃない。しかし女狐の私が着飾った所で見苦しいだけだし、何より私なんかのためにお金をかけてもらうなど心苦しい。
「いずれ夫婦となるのだから遠慮はするな」
「ですが…」
無意識に口答えしようとした時、庵司さんから怒声とも取れる声が出た。
「そろそろ化けの皮を剥がすといい」
「ばっ…化けの皮…」
私は言葉に詰まった。そうか先程口答えしてしまったことが気に入らないのだなとすぐに気がついた。
「申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
「申し訳なく思うなら素直に受け取っておくのだな」
「私なんかには宝の持ち腐れです」
ああいう煌びやかで華やかなものは私には似合わない。姉のような人にこそ似合う。姉は性格ははっきり言ってあまり良くないが容姿と外面だけは良かった。
女狐と蔑まれてきた私にはお洒落なんて縁がなかった。つぎはぎだらけの着物を直して直して使っていた。女学校に行く時の着物だけは狐塚家の体面に関わると綺麗だが地味なものが用意されていたが、それももう燃えてしまった。
「いいから受け取れ。貴女は小鳥遊の妻になる。小鳥遊家の婚約者なのだからあれくらい持っていて当然だ。むしろ少ないくらいだ」
なるほど。望んではいない結婚だが妻になる女がみすぼらしい姿だと庵司さんも困るのだろう。見た目だけでも取り繕わねばならないのか。
いくら見た目を取り繕っても私が女狐で生きていてはいけない周りを不幸にする存在だということには変わりないのに。
「ありがたく受け取らせて頂きます。私なんかの為にお手数をおかけしてしまいましたことをお詫び申し上げます」
「詫びなくていい」
無表情で感情は読めないけれど庵司さんの詫びなくていいは本音だと感じた。
******
パチパチパチ…火が燃える。ゴウゴウゴウと炎が燃える。炎はゆらゆらと揺れて私の前で形を作る。炎はあっという間に父になった。
「薫子、お前を娘だと思ったことは一度もない」
「出来損ないを娘だと思わずに何が悪い?」
父が投げかける言葉に私は蹲って耳を塞いだ。これは私が幼き日に父に助けを求めた際に返ってきた返事だ。私は出来損ないだと。私が男の子なら何か違ったのだろうか。
火はゆらゆら揺れ今度は姉の姿になった。
「この女狐!お前なんて生きている価値がないのよ」
「お前が生きていると不幸になるわ。迷惑なのよ。早く死んで頂戴?」
「お前は一生!私の奴隷なのよ」
これは日常的に姉に言われ続けていたことだった。
申し訳ありません。
私がまだ生きながらえていて。
申し訳ありません。
私が庵司さんからあんな高価なものをもらって。
申し訳ありません。
人を不幸にする厄病神の私が美味しい食事を食べて。
申し訳ありません。
女狐の私が小鳥遊家の人達に優しくされて。
申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
火は庵司さんの姿になる。
「さっさと化けの皮を剥がすといい、お前のような女狐を妻にする俺の身になれ」
申し訳ありません。
火は女中の皆さんの姿になる。
「お嬢様、いえ。卑しく穢らわしい女狐め!」
申し訳ありません。
ごめんなさい、生きていることが許されないのですね。
ごめんなさい、こんな私が幸福を願ってしまって。
あなたたちを不幸にしてしまってごめんなさい。私、そんなつもりはなかったんです。でも少しだけ忘れていました。私は存在するだけで周りを不幸にすると。父も姉も狐塚家の使用人達も言いました。きっと私の母も思った事でしょう。
あの暖かい優しい人達を不幸になんてしたくないのに。
ああ… 私なんかがふかふかの高級な布団で寝てしまってごめんなさい。
ふかふかの…布団?
意識はだんだんと現実になっていく。目が覚めるとそこは小鳥遊家別邸の私の部屋だった。寝衣にと風呂に入る前に渡された浴衣はびっしょりと汗を含んでいた。
障子を開け外を見ると夜明けの空が広がっていた。




