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簪と撫子

小鳥遊(たかなし)庵司(あんじ)薫子(かおるこ)は小鳥遊家が所有する海辺の別荘に来ていた。潮風の気持ちいい場所に立つ白い外観の屋敷は南国の城のようだった。


薫子のお腹は大きく出てきていて、もうしばらく経てば生まれるという状況だった。帝都の喧騒を忘れ静かな場所で出産したいと薫子たっての願いだった。結婚してから数回訪れたことのある別荘を薫子は気に入っていてここで出産したいと珍しく庵司にお願いしてきたのだ。

そして産婆と医者、そして女中達を連れこの帝都から遠く離れた土地で出産する事に決めた。


「庵司さんと散歩ができて嬉しいです」


商店が並ぶ緩い坂を手を繋いで歩く二人は目立った。そして膨らんだ薫子のお腹も道ゆく人の視線を攫った。蔑みを携えた視線ではなく微笑ましいと思う視線だった。 


「体調が僅かでも優れなくなったらすぐに言ってくれ」


「心配しすぎですよ、庵司さん。適度な運動はいいとお医者様にも言われたではありませんか」


くすくすと薫子は笑う。自分にだけ発揮される心配性の旦那様が愛おしくて仕方がないのだ。

ゆっくりと歩いていると簪屋があった。硝子玉を模した煌びやかな簪が並ぶ壮観な店だった。通り過ぎようとすると硝子玉に撫子の花が透かし彫りされた簪が庵司の目に入った。正確にはその簪に目を奪われた薫子を…だが。

陽の光に当たりそれは美しかった。薫子の絹のような黒髪の妙に艶っぽくて蠱惑的な羽化したばかりの蝶のように瑞々しい美しさに似合うだろうなと庵司は思った。


気づけば庵司は店に入っていて、薫子が気づいて止めようとした時にはすでに金は払い終え庵司の手には煌びやかで美しい簪袋に入れられた撫子の花の透かし彫りの蜻蛉玉の簪があった。


「もう!庵司さんったら。私のために買ってくださらなくとも…無駄遣いはいけません!」


「無駄遣いではない」


袋から簪を取り出した庵司はそっと薫子に簪を指した。


「似合っている」


顔を真っ赤にして照れる可愛らしい姿を見たかったからというのもあるのだが、妻を美しく飾り立てるのは庵司の趣味と化している。息をするように薫子に贈り物を買うまでに重症化しているのだった。



******



撫子は大事にしまっていた撫子の簪を久々に取り出して眺めていた。元々これは母のもので幼い頃、その美しさに魅了された撫子が強請りに強請って女学校を卒業して立派な淑女になるという条件付きで貰った宝物だった。


この簪を買って暫くしてから撫子は生まれたと聞いた。名付けたのは父だった。もしかしたらこの簪は撫子の名付けに影響したのでは無いかと思うのだった。

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