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家族のはなし


「家族の話?」


 僅かながら庵司の表情が困惑したように見えた。普段、困惑など滅多にしないであろう庵司の珍しい顔に薫子は自然と微笑んでいた。


「はい。随分と仲のいい家族だと思っていたもので。お義父様、お義母様、翔吾さん、きっと仲睦まじい家庭だったのだろうなと…」


 薫子はとても羨ましいという言葉は出さずに飲み込んだ。そんな卑屈さは要らないし、もう薫子は幸せな家庭を手に入れているのだから。きっとそんなことを言えば庵司に現状が不満か?と笑われるだろう。


「そう言えば、出会った時には私はもう本家の屋敷を出ていたから一緒に暮らしていたなんて想像ができないかもしれないな」


「そうですね」


 入れた茶を差し出しながら薫子は庵司の隣に座布団を持ってきて座る。新聞を読んでいた庵司も読む手を止め、一旦茶を啜った。


「仲が良かった…とも言えないが険悪でもなかっただろう。今思えば私は幼い頃から劣等感に苛まれていてな、自分から家族を拒絶していたのかも知れない」


「そうだった…のですね」


 庵司の兄、翔吾は優秀だ。しかし庵司も優秀だと薫子は思っている。それは詳しい事情を薫子が知らないだけだからそう考えるのだろうか。


「父は厳しい人だが母には弱いな。夫婦円満の秘訣は尻に叱れるくらいが丁度いいのかも知れない」


 くすりと笑いながら庵司は言った。それは話の内容の幸司が響子に尻に敷かれている場面を思い出したからなのか、薫子が信じられない…という表情が面白かったからなのかはわからない。


「母は父に優しくされると逆にきつく当たっていた。それが母の愛情表現だなんてわからなかったから、幼い頃は両親の仲は険悪なんだと本気で勘違いしていた」


 響子は何処か女学校の教師風で、厳しそうな雰囲気がある。しかし本当は優しい人であると薫子は知っている。


「そんな風には全然見えないのですが…」


「今はだいぶ丸くなった」


 先程からころころと表情を変える薫子に庵司は慈しむような微笑みを向けていた。初めて会った時から薫子の表情がこんなにも変わるのは成長であるし、庵司が微笑むのは珍しいことだった。


「兄は…その…かなり自由奔放でな。家名に泥を塗るようなことはしなかったが、よく友人達と遊び歩いていた。女性には平等に優しく接していたから勘違いされることが多くて女性関係でよく揉めた。そしてよく私は巻き込まれた」


そう語る庵司は遠い目をしていた。


「だからそんな兄を虜にした義姉さんは何者なんだと驚いたな。遊び歩くのもきっぱり辞め、軽率に他の女性を口説く事もしなくなった」


「くっ…口説っ!?」


 薫子は顔が真っ赤になった。そんな…破廉恥な事を…と勝手に一人で赤くなったり青くなったりした。少し間違った方向に想像力が働いたらしい。


「本人は口説いているつもりはないらしい。一度、そんな態度だから勘違いされるんだと言ったことがあるがただ親切にしているだけで当たり前のことだろうと返された。生粋の女誑しだとその時悟った」 


 庵司はため息をつきながらやれやれと言ったように肩をすくめた。


「私は女性関係にしてはかなり不器用で婚約しても解消の繰り返しだった。きっとこんな息子二人で父は頭を抱えただろうな」


 庵司は自嘲するように乾いた息を吐き出した。


「あの…もっと知りたいです。庵司さんのこと、庵司さんの家族のこと」


 薫子は恥じらうように顔を赤らめた。貴方を知りたいという直接的な表現がまだ恥ずかしかったのだろう。


「そうだな、お互いまだ知らないことが多すぎる」


 まだ、お互いを完全に理解しているとは言い難い。どんなに仲睦まじい夫婦でも相手の全てを知っていることはないのかもしれない。

 ほとんど初対面から婚約をして結婚をした。徐々にお互いを知っていくのは結婚してからだ。

恋愛小説のようにお互いを知り好きあってから結婚に至るという過程とは全く違う。


 しかしそれでいいと思えた。幸いにも二人にはまだ時間がある。


 何も知れないまま終わってしまったと思った幸福の日々は再び戻ってきている。


「ひとつ、間違っている。先程庵司さんの家族と言ったが、もう家族じゃないか」


 誰もがもう家族だと言ってくれる事が容易に想像できて薫子は照れながらも微笑んだ。

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