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比翼の鳥

春が散って、初夏らしい澄んだ空が広がる日だった。春の包み込むような暖かさというより夏の刺すような日差しで暑い日だった。私は縁側に座って庭の新緑に変わった桜の木を眺めていたし、庵司さんは新聞を読みながら冷たいお茶を飲んでいた。

穏やかな時間を終わらせるかのように玄関の扉を叩く音が聞こえた。陽子さんが来訪者の対応をしてくれているみたいだった。


「奥様へのお客様だそうです。客間にお通ししますか?」


やがて陽子さんが私に伝えに来た。


「私への…お客様?」


私は肩がピクリと跳ねた。訪ねてくる人など思いつかないし、姉なのではないかと不安になった。庵司さんも眉を顰めた。


「客とは誰だ?」


(いずみ)秋人(あきひと)様と名乗られました。若い男性の方です」


若い男性と聞いて余計に庵司さんは眉を顰めた。私も首を傾げる。若い男性の知り合いなんていない。女給をしていた頃の職場関係者かと思ったがそんな名前の人に心当たりはなかった。


「私に会うためにわざわざ来られたのですよね、なら会うだけ会ってみてもよろしいでしょうか」


「私も同席する」


庵司さんは読んでいた新聞を畳み立ち上がった。


「客間にお通ししなさい」


「畏まりました」


頭を下げて陽子さんは退室する。私は聞き慣れない名前に少しの不安とどんな人だろうかという期待が入り混じった複雑な心境だった。

庵司さんを見れば訪問者をあまりよく思っていないことが窺える。また姉のように私を虐げる存在が来たのではないかと心配してくれているのなら、嬉しかった。


初夏の日差しが差し込む客間にその人はいた。癖のある黒髪はと少年のような瞳。スーツの上着は脱いでいて襯衣(シャツ)を少し捲り、ネクタイを少しだけ緩めていた。


「初めまして、小鳥遊庵司さん薫子さん。泉秋人と申します。お会いできて嬉しいです」


差し出された手を庵司さんが掴み、二人は握手する。庵司さんと握手した後に秋人さんは私にも手を差し出した。庵司さんを真似して私も握手する。


「それでどういった御用でこちらに?」


秋人さんに座布団に座るように促して庵司さんは尋ねた。


「薫子さんに会いに来たんです。驚くかも知れませんが僕と貴女は従兄妹同士なんですよ」


なんでもないかのように。当たり前のように(彼にとっては当たり前だったかも知れないが)言い放った。その言葉に私は固まった。困惑もした。庵司さんも顔には出ていないが驚いているようだった。


「従兄妹…?」


「そうです。貴女のお母様の兄の息子です」


母の記憶を私は持っていない。どんな人だったかなんて分からない。私を虐げる父と姉に家族の情を求めた事もあった。でもそれは叶わなかった。

母は売られるようにして狐塚家に嫁いだと使用人から聞いた事があった。だから卑しい後妻なのだと。その時は卑しいという部分ばかりが強調され、私も同じく卑しいのだと思っていた。母の親戚など考えたことも無かった。


「あの…それは本当ですか?」


私は信じられず失礼だが少し怪しんでいた。それが視線でも分かったのか秋人さんは苦笑いをした。


「調べて貰っても構いませんよ?小鳥遊家の力を使えば我が家の情報なんてすぐに丸裸にされますよ」


あははっと軽快に笑い、秋人さんは頭を掻いた。雰囲気だけならば爽やかな好青年である。


「それを伝えに来ただけですか」


庵司さんが少し睨みつけるように秋人さんを見た。


「祖父が…病床に臥してまして。本人はもう長くないと言っていて最後に孫…薫子さんの顔が見たいと願っています」


秋人さんの真剣な眼差しに私は息を呑んだ。私は少し興奮していた。それと同時に怖くもあった。血の繋がった人達が私を呼んでいる、必要としてくれている。


「会いに来て…くれないでしょうか。ここが住所です」


秋人さんはそう言って住所の書かれた紙を差し出した。


「急に現れて信じられないかも知れませんよね。でも貴女の血の繋がったお祖父さんです。最後に会いに来てはくれないでしょうか。今日はそれを伝えに来ました」


出されていたお茶を秋人さんは一気に飲み干す。そして席をたった。


「これで失礼いたします。どうか、祖父に会いに来てください」


秋人さんは頭を下げてスーツを羽織った。そしてそのまま初夏の日差しの中に消えていった。


「庵司さん」


私はポツリと呟いていた。


「行きたいのか?…いや、すまん。行きたいに決まっているよな。自分の祖父だからな」


「私…まだ迷っています。本当にあの人が私の親族か分かりませんし、急に現れた祖父と孫として会えるのかも不安です」


それは酷く残酷なのだろう。孫に会いたいと願う祖父に孫として私が振る舞えるのか疑問に思うなんて。


「会うとしても少し時間をくれ。何、そんなに時間はかけない。ただ、本当に親族なのか調べるだけだ」


「はい、お願いします」


いっそのことあの人が私の親族でなければ悩まなくて済むのになんて考えを抱きながら私は住所の書かれた紙を見つめていた。



******



泉秋人は間違いなく私の従兄であり、泉家は母の実家にあたる事を庵司さんから聞いた時私は向き合わなければならないと覚悟を決めた。


「行かせてください、祖父の所に」


家族の情が急に湧いたとかでは無い。ただ会ったら湧いてこないだろうかと少し期待している自分がいた。それを確認したかった。薄情なのかも知れない。だが、期待して裏切られるのには悲しいが慣れてしまっていた。


「そう言うと思っていた。次の休日に行こう」


「はい」


私は私の感情が知りたい。その答えは泉家に行けばわかるような気がした。次の休日はあっという間に訪れて(庵司さんが調整してくださった)私は家を出る前に深呼吸をした。


身に纏っているのは庵司さんが下さったワンピースとリボンが巻かれた帽子。それが少なからず私に自信を与えてくれているようだった。庵司さんも普段の和装ではなく洋装だった。


泉邸は帝都郊外にある閑静な住宅地の中にあった。泉家は爵位を賜るほどでは無いが貿易業で成功し、帝都に会社を構えるほどの財がある家だった。所謂、成金だった。華族の伝手欲しさに売るように母を嫁がせたと言う。


「ようこそいらっしゃいました」


車から降りると秋人さんが出迎えてくれた。泉邸の中は和風の屋敷に洋間を増築した造りになっていてまるで箱と箱を寄せ集めたかのようだった。複雑で少し息苦しい。


「早速ですが、祖父の元に案内します」


「はい、お願いします」


母は売られるように嫁いだ。それは可哀想だと思う。だけど私は母を好きになる事は多分、この先一生ないだろう。これはただの私の八つ当たりだ。なんで死んでしまったの、生きて愛してくれなかったの…と叫びたくなってしまう。


私を地獄に産み落としてそのまま残していくなんてと恨んでしまいそう。ただ、この恨みについては私が生まれた事で庵司さんに出会えたので相殺されている。


今は新緑に変わった桜の大木がある広い庭を眺められる部屋に通された。その和室の中央には布団が引かれていてそこには一人の老人が横になっていた。薄暗い部屋に庭からの光だけが差し込む。


「お祖父様、薫子さんとその旦那様の庵司さんをお連れしました」


秋人さんはその老人に顔を近づけ耳元でそう言った。


「薫子…か」


名前を呼ばれる。


「はい、はじめまして」


老人の視線は天井に釘付けになっていて私の方は見ていなかったが頭を下げた。開け放たれた窓から生温い風が入ってきて私の頰を撫でた。


「よく来たな」


「はい」


言葉はぽつりぽつりと交わされた。今まで会えなかった分をゆっくりと確実に手繰り寄せるように。


「結婚したのか」


「はい」


「おめでとう」


「ありがとうございます」


言葉の間には静寂しか無かった。


「すまなかったな」


「それは…何の謝罪でしょうか」


「狐塚家で不当な扱いを受けていたと聞いた。何故助けなかったのかと…恨み言でもあるのではないか」


掠れた声で老人は言った。


「助けてと言ったら誰かが助けてくれたのですか?誰も助けてなんてくれないでしょう」


秋人さんが息を呑むのが聞こえた。


「私はもう諦めておりましたから、恨み言などありません」


しばらく辺りを静寂が包んだ。生温い初夏の風だけを感じていた。


「そうか…。すまなかった」


「それは何の謝罪ですか」


「助けを求める事を諦めさせてしまうような環境にしてしまった事への謝罪だ。私は娘を売るようにあの狐に嫁がせ、華族の伝手が手に入ったら娘のこともあの没落の一途を辿る家も興味がなかった」


泉家は狐塚が没落しようとも一切手を差し出さなかった。


「だからお前の存在も忘れておったのだよ」


その言葉に怒りも悲しみも感じなかった。そこに怒っても悲しんでも忘れていた事実を消せないのなら、無駄でしかない。


「季節の変わり目に倒れてな、走馬灯のようなものを見た。ふと顔も忘れた娘を思い出して…そしてお前を思い出した」


そこでダンッと音を立てて庵司さんが立ち上がった。


「さっきから聞いていれば、もう我慢ならない。要は自分が死ぬ前に罪を精算しておきたかったのだろう、ただの自己満足じゃないか!」


「そうだな。ただの老ぼれの自己満足だ」


私は庵司さんに落ちてくださいと言って座らせ、老人に向かってそうですか…と呟いた。風が入ってきて私の髪を揺らした。


「自己満足の為だけに私を呼んだのですか」


「いいや、私はやり直したいと思った。祖父と孫として」


「時間は戻せませんよ」


「今からでもやり直せる」


その言葉を信じてみたかった。



******



それから私は泉邸へ通うようになった。老人…いや、泉鷹斗(たかと)の言うやり直しをこの目で見たかったのもあるだろう。庵司さんは私が泉邸へ通う事を渋々ながら許してくれた。庵司さん曰く、私をあまり縛りたくはないのだそう。


「来たか…薫子」


「はい、こんにちは」


鷹斗さんは寝たきりで偶に体を起こして話した。話す事は最初にあった時とは違い、その日の天気の事や最近あった事を少しずつ話すだけだ。時には秋人さんも混じって話した。楽しいわけではなかったけれど苦痛でもなかった。


何度目かの訪れた時、秋人さんと鷹斗さんは改まって言った。


「薫子…本当にすまなかった」


「薫子さんが辛い時に何も手を差し伸べてあげられませんでした。ずっと後悔しています」


鷹斗さんは寝たままだったが秋人さんは頭を下げた。畳に頭を擦る勢いで、昔私もよく頭を下げたな…と思い出していた。


「もう、その事はいいです。どうしようもなかった事だと諦めていますから」


どう足掻いたって過去は変えられないのだから。


「私達の不甲斐なさを許してくれるのか」


「許すも何もありませんって」


鷹斗さんは安心したように笑い、秋人さんは涙を流した。


「そうか。良かった…」


「薫子さん、これからは真っ新な状態から家族になれます」


秋人さんは涙を拭いながら笑った。本当は私の家族は庵司さんだけという気持ちだったが、血の繋がりのある家族の温かみに触れれるのではないかと少し期待していた。


「薫子さん…いや、薫子。力が必要なんだ。家族なら協力してくれるよね?」


秋人さんは私の手を取った。まるでこの時を待っていたかの様に。獲物を狙う狩人の目をしていた。


「何の…協力ですか」


「薫子の力が必要だ。泉家を救うには薫子の力がいる」


秋人さん曰く、狐塚家に母が嫁ぎ華族の伝手を手に入れた。しかし狐塚家は没落し今は無い。だから新たな華族の伝手が必要だと言うことだった。要するに自分達の商売に小鳥遊家御用達の文字が欲しいだけなのだと気づいた。


「やっぱり、家族じゃ無いわ」


私は秋人さんの手を振り解く。


「貴方達は私が小鳥遊家に嫁いだから利用価値を見出して会いに来ただけ。家族の情なんて持ってないのよ」


存在を忘れていたと話された時とは違い怒りが湧いてくる。


「帰ります、もう二度と来ません」


秋人さんの止める声が聞こえたがそれを振り切って私は車に乗り込んだ。



******



「庵司さん!」


私は庵司さんの姿が見えるとすぐに駆け寄って抱きついた。庵司さんは驚いたが抱き止めてくれた。


「庵司さん…今だけ、泣いてもいいですか?」


「ああ、いくらでも泣け。話は後で聞こう」


私は庵司さんの優しさに包まれた。ああ、やっぱり家族は庵司さんだけだ。

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