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二十二話

膳には白米と鮭と大根の煮物、長葱の味噌汁などが並ぶ。向かい合う前には誰もいない。一人で食べるのには慣れていたはずなのに寂しいと感じてしまう。


「庵司さん、早く帰ってきてください」


最近手紙が来ていないのも、寂しさに拍車をかけている。女中の皆さんと一緒に食べたかったが、そこだけは使用人と主人の線引きははしっかりしていた。


庵司さんが戦場に行かれてからしばらくの時が経った。春の結婚も迫ってきている。それなのに手紙が一切ない。忙しいのだとは思うがここまで何もないと不安になって来る。


一人で口にする食事は何処か味気ない。今になって庵司さんと一緒に食べるから美味しく、庵司さんの為にするから料理も掃除も頑張れていたのだ。


「庵司さん…すぐ帰ると仰ってたのに」


手紙では詳しいことは言えないが、庵司の部隊が派遣されたのは上の過剰すぎる反応のせいであると書かれていた。実際、庵司は戦場と物々しい言い方をしていたが実際は私が想像している規模よりも小さいものなのだろう。


(隣国との衝突…)


新聞にも載らないので極秘なのだろうか。


(そんな事、起こらないでほしい。起こってしまったなら早く終わって。庵司さんを帰して)


ぎゅっと目を瞑る。早く庵司さんが帰って来て私は安心したい。この寂しさを早く終わらせたかった。


「そうだ、庵司さんが帰ってきた時のことを考えましょう」


我ながら名案だと思った。帰ってきた時の食事は何にしようか。初めて作った思い出のあるコロッケにしようか。


(庵司さん、口には出さないけれどコロッケ…好きなのよね)


クスッと笑みが溢れる。


(そうだ、刺繍したハンカチでも贈りましょう。いつも貰ってばかりだったから)


時間はあるのだから何か凄い刺繍を施したい。食事が終わると部屋に篭り、裁縫箱を開けた。色鮮やかな糸が出てくる。


(何を刺繍しようかしら…。花…蝶…?いえ、何だか可愛らしすぎるわ)


自分が使う分にはいいが、庵司さんに贈るものだ。もっとかっこいいものを。………狐とかどうだろうか。いや、駄目だと私は首を振った。私の苗字が狐塚なので狐にすれば私を連想してくれるかと思ったが何だか狐は狡賢い印象になってしまう。そして私より先に女狐が連想されてしまう。


(狐は却下、却下よ。それに私は小鳥遊家に嫁入りするんだし旧姓にしがみついていては駄目よね)


この苗字はしがみつくどころか早く切り離したいほど嫌な思い出に塗れている。


(庵司さんと結婚したなら私は小鳥遊薫子…になるのよね)


それならば小鳥遊に因んだほうがいい。


(小鳥…。何だか可愛らしいような…。いえ、種類によってはかっこいいものもあるわよね…きっと…多分)


うんうんと言い聞かせるように頷く。


(そうだ、番いにしてみるのはどうかしら。夫婦らしくて)


番いの二匹の鳥、それは夫婦を表す。自分で考えておきながらも照れて一人赤面してしまう。


(私ったら少し積極的過ぎるというか…。庵司さんに嫌われないかしら)


とりあえず、この屋敷に鳥の図鑑でもないか女中さん達に尋ねようと立ち上がった。無ければ本邸の方に無いか尋ねればいいと考えていた。


その時、玄関先が騒がしい。何かあったのかと部屋を出ようとすると、部屋の前にいたおりんさんとぶつかりそうになった。


「きゃっ。ごめんなさい、おりんさん。誰もいないと思って」


「私こそ申し訳ありません。って今はそれどころではないですお嬢様。旦那様が、」


そこで私の頭はすぐに回った。騒がしい玄関、慌てたようにおりんさんが私に知らせに来た。


「庵司さんが帰って来られたのですか!?」


顔が緩みそうになっている私に対しておりんさんは今にも泣きそうな顔になる。私はそこで自分の予想と何か違うのだと気づいた。


「おりん…さん?」


「お嬢様、落ち着いて聞いてください」


真剣な声色だったがまだ私は悪ふざけではないかと信じていた。


「たった今、知らせがありました。旦那様があちらでお亡くなりになったそうです」


時間がゆっくりと流れているような感覚に陥る。色が消えて音が遠のいて、いしきまでてばなしてしまった方が楽なのではないかとすら思えてくる。

いっそのこと意識を手放して夢だということにしてしまおうか。これは夢…悪い夢。


「嘘よ、そんな事ない」


自分に言い聞かせるように呟いた。


「本邸に確認しに行くわ」


私は車を出すように伝えた。着替える事も考えず、普段着の着物のままで。落ち着いたくださいと女中さん達が私を止めたが、それを振り切って私は車に乗り込んだ。


私は震えていた。今まで無いほどの恐怖が体を包み込んだ。姉や同級生達を前にしてもこれ程の恐怖は抱かないだろう。庵司さんがもうこの世にいない可能性を考えてしまった。


(庵司さん…生きて…いらっしゃいますよね)


涙を堪え、本邸に行くと急な訪問にもかかわらずすぐさま中に通された。初めて来た時に通された客間には庵司さんだけが居なかった。


「薫子さん、そちらにも連絡が入ったようだね」


重々しい空気の中、幸司さんが口を開いた。どうしてこの人達は冷静でいられるのだろうと私は思った。取り乱したり口調がいつもと違ったり…なんて事はない。


「薫子さん、とりあえず座って」


客間の入り口で突っ立っていた私を翔吾さんが座るように促す。この人は庵司さんに似てはいるが庵司さんではない。ここの何処にも庵司さんは居ないのだと思い知らされた。


ふらふらとおぼつかない足取りで私は客間のソファに腰を下ろす。次にはまた庵司さんが亡くなったと再確認させるような言葉を投げかけられるのかと覚悟した。


「庵司は、左胸を撃たれて亡くなったそうだ」


どうしてと叫びたかった。嘘だと言ってと懇願したかった。何よりそんな事しても無駄だと分かっていた。私は薄情だったのかもしれない。父が亡くなった時は感じなかった押し寄せるような悲しみが庵司さんの時だと感じる。


出来れば感じたくはなかった。こんなにも辛く苦しいものだと知ってしまったから。全てが色褪せて見える。私が奴隷として生きていた頃よりもずっと。音も遠のいていく。きっと前のように聞こえるようにはならないのだと感じていた。


私が今まで生きてきて感じていた絶望という感情が生温いものだったと知った。私はどうすればいいのだろうか。庵司さんのいない、愛しい人が永遠にいない世界で。


「嘘…です…。私はっ…信じ…ません」


「薫子さん…」


響子さんが聞き分けの悪い子供を宥めるような声を出す。気づけば私の瞳からは涙が溢れていた。


「信じられない気持ちはわかるわ。私も、まだ信じられないのだもの」


響子さんは一呼吸置いた後それまでの優しい声色から凛と好き通る教師風な声色に変わった。


「でも受け入れて前に進まなくてはね」


それは普通なら前に進むために背中を押してくれるような言葉だったのかもしれない。でも私には突き放されたような感覚に陥った。


(そうか。庵司さんが居ないなら私はもうここに居てはいけないんだわ)


庵司さんと結婚するから置いてもらっていた身。でも結婚出来ないのならばただの邪魔者でしかない。


「薫子さん、庵司の事は忘れてください」


幸司さんの一言で私は固まった。


「わ…忘れることなど出来ません。何故そんなことを仰るのですか」


私の声は震えていた。記憶から庵司さんを消すなんて出来るわけがなかった。どうしてそのような薄情なことを言うのだろう。私は幸司さんのことを冷たい人だと感じた。


「薫子さん庵司は死んだんです。いつまでも死者を想っているわけにはいかないでしょう」


いつまでも現実を見ない私に翔吾さんが厳しい言葉を投げかける。それが私にとっては一番聞きたくない言葉だった。私は耳を塞いで下を向いた。


「そう簡単に仰らないでください」


私にとって庵司さんは忘れられる存在ではない。私に初めて優しさをくれた人を私は忘れたくはない。だけれど私は忘れそうになってしまう。

過去の悪夢は毎晩のように見るので焼き付いているのに庵司さんとの思い出はまるで触れれば消えてしまいそうに儚い。それほど優しいもの。


声を姿を匂いを…忘れてしまうのだとすればそれは恐怖でしかなかった。離れて忘れてしまう。もう二度と会えないのだから余計に怖い。あの姿を忘れてしまいそうになる。


だから早く会いたかった。早く声を聞いて姿を見て匂いを感じて。……もう出来ない。


ずっと美琴さんが下を向く私の背中をさすってくれていた。


「薫子さん、今すぐ別邸から出て行けとは言わない。だが、人生は長いのだと分かって欲しい。その全てを庵司に捧げるなんて酷なことはさせれない」


結婚していないのだから尚更。そう幸司さんは私に告げた。


「縁談ならこちらで用意する。働きたいなら働き口だって」


そう続ける幸司さんに私はそこまでしてこの人達は私に庵司さんを忘れさせたいのかと恨みのような感情を抱いていた。それがどれだけ酷なものかわからないはずもないだろうに。それが私のためを思ってだという事も痛いほど伝わって苦しかった。


「縁談をご用意して頂く必要はありません。他の方では…駄目なのです」


私が結婚したいと願うのも傍にいたいと思うのも庵司さんだけ。心が別の人にあるというのに結婚するのは結婚相手に失礼だ。


「そろそろ、失礼します」


私は席から立ち上がると客間の外に向かった。


「庵司は貴女のような方が婚約者で幸せだったと思います」


後ろから聞こえる翔吾さんの声で私の涙はまた溢れてしまった。

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