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二十話

「翔吾、お前はいずれ小鳥遊家を継ぐんだ。庵司、お前は分家の長として兄を支えるんだぞ」


幼い頃から比べられてきて劣等感というものは膨れ上がって。そして自分が兄と比べて下にいるなんてとっくに気づいていた。だからこそ辛くて。


優秀な兄が自分なんかの支えを本当に必要としているのだろうか。存在意義が分からなくて、小鳥遊家に生まれたことを恨んで。

帝都大学を出ても、若くして少佐になっても。兄は常に先にいた。どれだけ背中を追いかけても常に兄も走っているのだから永遠に追いつく事はない。


目の前に浮かぶのはぎこちない手つきで幼い兄の頭を撫でる父。自分は果たしてそんなことをしてもらったことがあっただろうか。

分家の長と本家次期当主ではどちらを優先するのかはわかり切っていた。当然、可愛さも違うのだろう。厳格さと誠実さを重んじる小鳥遊家は常に息苦しかった。


劣等感で頭がどうにかなってしまいそうだった。


そんな時、散歩がてら池のある公園を歩いていた。落ち葉の舞い散る時期だった。公園のベンチに座る女学生の姿を見つけた。教科書を必死に抱きしめ、涙を溢さないように耐えている。撫子色に蝶の飛んだ着物に臙脂の袴、編み上げブーツの少女。


一目で何かしらあったのだろうと想像するのは容易かった。しかし驚いたのはここからだった。何故か庵司はその儚げな少女から目が離せなかった。


硝子細工のように繊細で、触れたら今にも壊れてしまいそうに儚さ。まるで今にも消えてしまいそうな雰囲気を纏った少女は獰猛な獣の前に放り出された小動物に似ていた。


目は離せなかったのに話しかけることは出来なかった。自分が臆病だと思った。ただでさえ怖い顔を少女を見つめていることでさらに険しい顔になっているのだから。


(兄さんなら、話しかけていたのだろうか)


抱く気持ちはわからぬまま、ここでも劣等感に苛まれていた。その日から一目少女を見ようと時間に余裕があるときはその公園に通った。


その日は若草の着物と、海老茶の袴姿だった。いつもとは違い、一人ではなく数人の女学生に囲まれている。


「こんなところにいらしたの、狐塚さん」


彼女達は笑顔だが目が笑っていなかった。


「どこに行ったのか心配しましたのよ。私達の玩具が逃げたとなれば一大事ですもの」


クスクスと彼女達は笑う。人を玩具呼ばわりするのをみて彼女達は少女の友人ではないことを悟った。


「逃げても無駄なのに。お仕置きよ」


そう言うと数人の内一人が手を振り上げ、少女の頬を叩いた。人のいない公園にパチンと音が響く。赤く腫れた頬を押さえて少女は俯いたままだった。


今までずっと遠くから見ているだけに留まった臆病さは何処へ行ったのか。体が動き出していた。


「そんなことをするなんて見苦しい。何処の学校だ」


叩いた女学生の腕を捻り上げ、低い声で庵司は怒鳴った。ひっ…と女学生から悲鳴が漏れ、周りの女学生も青褪める。被害者の少女だけが俯いたままだった。


「ごっ…ごめんなさい」


腕を捻り上げた女学生が目から涙を流す。それに驚き、一瞬力が緩んだ隙に女学生はするりと庵司の拘束から抜け出し仲間と一緒にパタパタと逃げて行ってしまった。

庵司が追いかければ難なく捕まえられる遅さだったが被害者の少女を残しては行けなかった。


「あっ…あの…ありがとう…ございました」


怯えるように震えながら少女は礼を言う。そして逃げるように去ろうとした時、地面に何かが落ちた。それはボロボロの布切れで少女はハンカチとして使っているようだった。


「落としたぞ」


庵司はそれを拾って渡す。


「ありがとうございます、本当に…本当にありがとうございます」


過剰なほどに少女は頭を下げるとそのまま行ってしまった。身なりはそれなりにいいものを纏っていたようだが何故ボロボロの布切れを持っていたのかその時の庵司にはわからなかった。


「狐塚…」


ポツリと少女が呼ばれていた名前を呟く。確か細々とだが小鳥遊家と交流もあったはずだ。祖父の代では家格も釣り合う友人同士だったが、狐塚家が没落の一途を辿りそれとは逆に小鳥遊家は英雄的扱いにまで上昇した。今ではあまり家同士での交流は無かった。


(だが…確か…)


生前、祖父は言っていた。狐塚の孫と自分の孫を結婚させる約束をしたと。狐塚家の家の状態が良くないので釣り合わないと庵司は冗談だと聞き流していた。


しかし狐塚家の娘が…あの目を奪われた少女。今までの見合いにも辟易していた。ならば、少しでも気になった女性との縁談の方が気が楽ではないか?

それに自分は次男だから兄より結婚に厳しく言われないだろう。この時だけは兄に劣等感などなかった。むしろ、本家次期当主が自分じゃなくてよかったとすら思っていた。


家に帰ると庵司は祖父亡き後そのままにされていた祖父の部屋を探し、結婚の約束をしたと言う手紙を見つけた。祖父は物をよく整理整頓する人で手紙も誰からのものかしっかり分けて保管していたため探すのに苦労はしなかった。


「父さん、話があります」


すぐに父に話に行った。相談というよりは決定事項を報告するのに等しかった。


「どうした。庵司、珍しいな」


父は書斎の椅子に座りながら煙草を蒸していた。部屋には煙草の煙が漂う。咳き込みたくなるほどの煙たさだった。

 

「私の婚約についての話です」


はっはっはっと父は笑った。


「お前が婚約の話とはな。まさか誰とも結婚する気はないと言いたいのか?」


父はそんなこと許すはずがないと目で語っていた。見合いを今まで断り続けてきたのでそう疑われても仕方がなかった。


「いえ、結婚はします」


「そうか、そうか。で?結婚したい相手でも出来たか」


「はい」


冗談で言ったつもりがまさかの肯定の返事が返ってきて父は心底驚いていたのだろう。見たこともないような間抜けな顔になっていた。


「相手は?」


「狐塚家のお嬢さんです」


しかし狐塚の名前を聞くと父の顔は変わった。厳しい当主の顔つきに。


「話にならんな。未来のない家の娘を嫁に貰って何の利益がある」


たとえ自分の父親の代は仲良くしていても利益がないと判断すれば無慈悲に切り捨てる。それが父だった。


「利益はあります。まず、私が結婚します」


「他の家の娘では駄目か」


「はい」


何故か惹きつけられる少女を忘れる事ができなかった。父が言うのなら自分の意思は関係なく政略結婚を承諾しただろう。しかし政略結婚の相手を大切にできる自信はなかった。必要最低限な会話しかできなかっただろう。


相手を思いやれず、相手の心を壊す。婚約者と呼べる女性が全く居なかったと言うわけではなかった。しかしいつも破談になった。


「貴方は、私のことを見ていないのよ!」


元婚約者のうちの一人から投げかけられた言葉。彼女は泣きながらそう叫んだ。自分なりに彼女を尊重していた。それが恋人などと甘い関係ではなかったのはわかっていた。


彼女には義務的な関係が耐えられなかったらしく、精神を病み病院に入る事になった。勿論婚約は破談。相手の家は小鳥遊家に比べて格下だった事もあり何も言ってはこなかったが庵司は後悔した。


政略結婚なのだから愛がないのは当たり前。それを求めるから悪い。そう言って仕舞えばそこまでだったが誰かを傷つけてしまった後悔がずっと庵司の中にはあった。


別れの際に必ずと言っていいほど婚約者達に投げかけられた罵詈雑言。それに庵司は耳を塞ぎたくなった。だが塞がない。どれだけ辛く苦しくともそれだけの事を知らず知らずのうちに犯してしまった。その罪悪感が残り続ける。


彼女達の声を戒めにして、自分で決めた婚約の話だった。


「それに、これは祖父の遺言でもあるのでは?」


庵司は父に祖父の手紙を見せた。


「そんなもの、何の効力もない。口約束程に不確かだ」


「しかし一度約束した物を反故にするのは…誠実を家訓にする小鳥遊家としてあるまじき行いだとは思いませんか?」


ぐぅ…と父が漏らす。家訓に父は弱い。


「私は私の選んだ人と結婚します」


そう庵司は父の前で言い切った。

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