十八話
紅葉が舞い散るのではなく、雪が舞い散る季節に変わって。私は窓の外に降り積もる雪を見ていた。
「今日は冷えますね」
「もう今年も終わりだな」
隣には庵司さんがいる。雪が降り止んだ時に神社にお参りに行こうと計画していた。雪は段々と弱まっていくし、庭を薄らと白銀の世界に変えてしまった程度だから大雪ではない。
「しっかり暖かくしろ」
「はい」
「風邪なんて引いたら大変だからな」
「はい、庵司さんは意外と心配症なのですね」
庵司さんが私を心配してくれるのが嬉しかった。二人で暖かいお茶を飲んで和やかな時間を過ごしていれば雪は止んでいった。
「庵司さん、雪が止みました。お参りに行けそうですね。すぐ準備して参ります」
「ああ。暖かくするように」
先程心配したにもかかわらず、また心配の言葉を投げかける様子にクスッと少し笑ってしまう。庵司さんの言った通りに私は着物を着込んで羽織を羽織った。また雪が降り出すかもしれないので傘も持って。
「準備できました」
玄関にはもう準備を終えて待っている庵司さんがいた。本当にこの人は準備が早い。と言っても準備が雑と言う訳ではないのだが名家の出でお坊っちゃまとして育ってきたはずなのに着替えなどに女中の手を借りたことが見たことがない。軍人なので準備に時間を掛けられないのだろうか。
「行こうか」
薄らと表面だけ積もったまだ誰も踏み入れていない道に足跡をつけて歩く。神社は歩いて行ける距離にあり、車は使わない。吐息は白くなる。悴む指先にはぁと息を吹きかける。
「寒いのか」
「指先だけです。手袋をしてくれば良かったですね」
引き返せる距離ではあるが、このまま我慢する方が良いように思えた。庵司さんを待たせるわけにはいかない。ただでさえ二人で歩けば進みは遅い。
原因は私だ。庵司さんは私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。本来ならもっと早いに違いないのに。
すると庵司さんに息を掛けた手を掴まれる。
「こうしていれば大丈夫だろう」
「はい。そうですね」
もう何度目になるかわからないが手を繋ぐ。その度お互い毎回照れてしばらく顔を逸らすのがお約束になって来ている。それでも握った手は繋がれたまま。
神社に着いた。鳥居で挨拶をし潜る。綺麗に掃除が行きとどいた境内の参道の隅を歩く。身なりを整え賽銭箱にお金を入れてお祈りをした。
(神様、庵司さんという素敵な方に出会わせてくれてありがとうございます。私は今まで貴方様の存在を信じておりませんでしたが、今ではおられるのかもしれないと思うようになりました)
ずっと希望などないと思って生きてきた。私が幸福になるなど周りが許さないと思っていた。もし神様が庵司さんと巡り合わせてくれたのだとしたら、私は少し神様を信じていいのかもしれない。
(神様、どうかこれからも末永く庵司さんの傍にいられますように)
手を合わせて目を閉じる。お祈りが終わると私は振り返った。
「終わったか」
庵司さんはとっくに終えていたようで私を待っていた。
(私、庵司さんを待たせてばかりね)
「はい、終わりました。帰りましょうか」
「随分と長かったな。何を願ったんだ」
「言ってしまったら叶わなくなります」
私達は手を繋いで歩き出す。でも、庵司さんになら言ってもいいのかもしれない。神頼みより本人に言ってしまった方が…。やっぱり恥ずかしいので辞めることにした。
(花嫁衣裳の時は言えたのに…)
多分あれは衣裳にかかった魔法で言えたのだろう。何でもない時に口にできるはずがない。神様…やっぱりもう一つお願いしてもいいですか?庵司さんに好意を伝える勇気をください。私の感謝の念は言葉にしても伝わり切れないくらい。
「あっ、雪」
「降り出してきたな」
神社からしばらく歩いたところで雪が降り出した。
「傘を持ってきていて良かった」
「そうですね」
そう言って私は傘を開こうとした。しかし開かない。何度やっても傘は開かなかった。
「あっあれ?壊れてしまったのでしょうか」
「こちらの傘に入るといい」
庵司さんは私の方に傘を傾けた。しかし一人用の傘で二人入るのはやはり狭く、庵司さんの方がはみ出して雪で濡れてしまっていた。
「あの、庵司さんが濡れてしまいます。私の事はお気になさらず…」
「貴女に風邪を引かれると困る。それに一応軍人だ。鍛えているからこの程度で風邪はひかない」
庵司さんが風邪をひいたら看病できるのに…と少しがっかりしてしまった自分に驚いた。
(風邪を引かないことが一番じゃない。何を考えているの私)
でももし庵司さんが風邪をひいたら看病して日頃の恩返しができて私は嬉しいかもしれない。梅干しを添えたお粥と生姜湯を作ったりして…。少しくらい私を頼って欲しいのに。
(私なんか…頼りないわよね)
もっと欲が出てきてしまったのかもしれない。傍に居たいだけじゃなく、対等に支え合う夫婦になりたいだなんて。
(きっと庵司さんは私が居なくたって…いえ、庵司さんは言ってくださった。私が傍に居て欲しいって)
すぐ悲観的になってしまうのは悪い癖だと知っている。
「分かりました。ではお言葉に甘えて」
心の中で私は庵司さんが風邪をひいて一緒にいる時間が長くなればいいのに…なんて考えていた。
******
「ケホッ…ケホッ…」
(どうして庵司さんではなく私が風邪を引くのかしら)
寒い中外に出たからか、雪に打たれた庵司さんではなくしっかり傘に守られた私の方が風邪をひいてしまった。
(さ…散々な正月よ)
栄養が足りず、同年代の女性と比べ体が小さいのは知っている。しかし病気になっても医者にかかることなど許されなかった私は野生動物のように逞しく成長していると思っていた。まさかこんなにも貧弱な体だったとは思いもよらなかった。
今まで病気になったりしなかったことが奇跡である。もしそうなっていたらとっくに死んでいただろう。
「お嬢様、体調はどうですか」
額に乗せられた水を含んだ手拭いを替えにやってきた陽子さんが布団で眠る私を心配そうに覗き込む。
「はい…大分良くなりました。陽子さん達のおかげです」
「しっかり安静にしててくださいね。熱があるのに掃除し始めようとした時は驚きました」
緩くなった手拭いが冷んやりとした水を含ませたものに変わる。身体中にある熱が楽になったように感じる。
(本当に狐塚家にいる時に風邪を引かなくて良かったわ)
もし体調を崩しでもしたらどんな恐ろしいことが待っていたのだろうか。姉は病気だからと言って虐げない優しさを持つような人間ではないと思う。むしろもっと痛めつけようとしたに違いないし、使用人たちもいつもよりも激務を私に与えただろう。
ここの人達のように甲斐甲斐しく看病などしてくれないだろうし、早く死んで欲しいと思っただろう。改めてここの人達が優しい人達だと思い知る。
陽子さんが部屋から出て行って部屋には静寂が訪れる。病気になると妙に一人が寂しかったりする。一人には慣れているはずなのに。
私は今までずっと一人で…手を差し伸べてくれる人がいないなんて当たり前だった。そしてそれが当然だと私も甘んじて受け入れていた。
意識が朦朧とする。誰かの声が聞こえた気がしたが、誰かまではわからなかった。女中の誰かが手拭いを替えにやってきたのだろうか。それほどまでに時間が経ってしまったのかわからない。
(あれ…庵司さんがいらっしゃるわ)
私の視界には私を見ている庵司さんの顔があった。
(会いたいあまりに幻覚を見ているのかしら)
「大丈夫…か?いや、大丈夫なわけないな」
(幻聴まで聞こえる。これは重症ね)
庵司さんがいる訳ない。風邪が移ったりでもしたら大変だ。だから部屋には一切入らせないと春海さんが言っていたはず。
「聞いているかわからないが。その…林檎を剥いたんだ。随分不格好になってしまったが。ここに置いておくから…食べれたら食べてくれ」
言うだけ言うと庵司さんは足早に部屋の外に出た。幻覚と幻聴かと思ったが傍には兎にしたかったんだろうなと思える不格好な林檎が切り分けてあった。
「ふふっ…」
思わず笑い溢れる。熱で味が良くわからなかったはずなのにその林檎の味はしっかりと感じられた。




