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十四話

私、狐塚桜子は狐塚家の長女として生を受け、何不自由ない生活を送っていた。母親がいないということ以外は。五歳の時、父が屋敷に一人の女性を連れてきた。


「よろしくね、桜子ちゃん。私、貴女のお母様になれるように頑張るわ」


煩い。私のお母様は一人だけだ。お前なんかじゃない。幼いながらに家に来た異物の正体が何か良くないものだと分かった。

多産の家系というだけで卑しい庶民階級の女が狐塚家の妻になることが許せなかった。その座は私の母の物なのに。何か裏があると思った。この化物は家を乗っ取る気だと。


(この女に食い荒らされてしまう)


使用人達も私の味方だった。あの女は気が弱く、私に懐かれないだけですぐに父に泣きついた。しかし父は母の忘形見である私に弱い事を知っている。


「あの…桜子ちゃん」


私の名前を呼ぶその女が嫌いだった。母親のふりをしてくるその女が嫌いだった。困ったような顔で私を見つめるその女が嫌いだった。


「ふんっ」


私は鼻を鳴らしてその女を無視する。使用人達も必要なこと以外あの女に話しかけない。誰もあの女を屋敷の女主人だと慕う者はいなかった。


あの女は意外とあっけなく死んだ。妹という異物を残して。父の愛が私から妹に向く心配はなかったけれど、あの女の娘を私と同じ狐塚家の娘として扱われるのは無性に腹が立った。


それでも仲良くせず、無視して生きていけば共存は出来たのだ。妹が出しゃばらず慎ましく暮らせば私だってそんなに嫌うことなどなかった。

私が十二歳の時だった。私に縁談が舞い込んできたのだ。相手は幼馴染みの(たちばな)家の子息。昔から家に来た時は遊んでくれた優しいお兄さんと結婚できるなんて私は幸せ者だと思った。 


だけど…


「君のことは妹のように可愛いけど、好きな女性として見ることはできない」


私は一生女としての幸せを望めないのかと絶望した。泣いて泣いて、部屋に閉じこもった。ふと窓の外を見ると中庭で妹とお兄さんが仲良く笑い合っているのを見た。

私に向けられなかった笑顔が妹に向いている。それが許せなかった。


(あの女の娘。私の婚約者を誑かすなんて)


あの女がほくそ笑んでいるような気がする。妹を見るたびに私の憎悪は膨れ上がった。


「この卑しい女狐!」


パチンと妹の頬を叩く。赤く腫れ上がった頬を押さえて妹は泣いた。妹が綺麗な着物を着ることが許せず、全部捨ててボロを着させた。妹が美味しい食事をすることが許せず、食事を与えなかった。

私から婚約者を奪っておいて何も感じず生きることが許せなかった。この妹は私から何かを奪ったなんて思ってもいないのだろう。


許せない、許せない、許せない。いくら妹が謝罪の言葉を口にしてもその言葉を聞くたびに怒りは膨れ上がる。謝れば済むものではない。婚約者は唯一私を劣等感から救い上げてくれる希望だったのに。


没落していく狐塚家の様子に気がついていなかったのは父だけだった。私は女学校の同級生達とは比べ物にならないほど貧乏だ。見劣りされたくなくて着飾って何とか表面は繕えた。でも本質は空っぽ。

同級生達みたいに裕福と幸福は詰まっていない。私が優越感に浸れるのは妹に対してだけだった。私はあんなボロは着ない。私はあんなゴミは食べない。私は使用人のように働きはしない。


私は奴隷を使役している。そう思えば心がすっと軽くなる。だから私は妹より格上でなければならないのに。


「この女狐が!」


そう罵倒されているのは妹でなく、私だった。じんじんと痛む頬を押さえる。目の前には顔を真っ赤にした男がいた。この男は私を盲信的に慕っていたはず。

私は彼にとって女神と言っていい存在だったはずだ。彼が女学生の私に一目惚れして私は彼を崇拝者としてその歪な関係は今や名家当主と妾という関係となったはずだった。


「信じていたよ、君を信じていたのに」


「何を言っているのかわからないわ」


何を言っているのか本当はわかっていた。私が浮気したのだ。この男は名家の当主と言っても今や名ばかりの家。私はそんな男の妾で収まるような女じゃない。

もっと地位も権力も財産も名声もあるようなそんな男性の妻に私は相応しい。だから他の男を誘惑しようとした。


だが失敗して今、この状況になっているのだ。


「今まで贈った物は全部やる。だから今すぐ荷物を纏めて出て行け!」


豪華な宝石、ドレス、着物。それを売ればここ出ていっても生きていける位の金額になることは知っていた。でも慎ましく生きなければいけないという事実が許せなかった。

私が粗末な着物を着て質素な食事を食べる?そんなの許されない。


そんな時、風の噂で聞いた。あの小鳥遊家に狐塚家から嫁が入ると。信じられなかった。だってそれは妹の事だったから。なんでも両家の祖父が孫同士を結婚させようと約束していたという小説のような出来事。


「それって、私のことじゃない」


その孫に該当するのは祖父に可愛がられていた私だと思った。妹が生まれたのと同時期に祖父は亡くなった。だから小鳥遊家に嫁ぐのは私のはずなのに。


許せない、どうしてあの女狐が小鳥遊家に嫁げるのよ。あんな女狐、相応しくない。相応しいのはこの私なのに。

相手は小鳥遊家の次男で将来は分家の長となる小鳥遊庵司。帝都大学を卒業し軍でも若くして少佐の座につく天才。

本家当主じゃないことは少し不服だが、その他は文句ない。妹よりも年が近く、美しい私の方が庵司さんも絶対いいに決まっている。


「私が間違いを正さなくちゃ」


本当に相応しいのは私だと。約束の婚約者は私だと伝えなければ。



******



夏が過ぎ、気候が涼しくなってきた秋の日。美琴さんからの花嫁修業はひと段落し近々お義母様に認めて貰うために訪ねようと思っていた。今日は庵司さんも休日で午後から何処か出かけようという話になっていた。


トントン、と玄関の扉を叩く音がする。春海さんが様子を見に行って私にお客様だと伝えにきてくれた。


「お客様…?」


私の交友関係は皆無に等しい。女学校時代の同級生も今までこの家に訪ねてきたことはなかった。訪ねるならもっと早くに来ていただろう。

居間からピカピカに磨かれたばかりの廊下を抜け、玄関に向かう。そこには恐ろしい人が立っていた。


「お…お姉様…」


深緑色の着物を美しく着こなして、記憶と違わない美しさのまま姉は立っていた。あの恐ろしい記憶がなければ私も姉の美しさを素直に称賛できただろう。


「ふふっ。久しぶりね、薫子」


姉が私を名前で呼ぶことはなかった。だから余計に恐ろしく感じてしまう。家に入れてはいけないと直感した。姉を入れては…この家は食い荒らされてしまうと。


「なっ…何しに来たのですか」


一人じゃない。そうわかると心強く、私は姉の目を見てそう言い放った。姉は私が言葉を返してきたのに驚いたのか、睫毛の影がかかる大きな瞳を見開いた。


「何しにって…小鳥遊庵司さんに会いにきたのよ」


駄目。会わせてはいけない。一瞬で私の体の中で警鐘が鳴り響く。姉の美しさを見たら庵司さんは自分の婚約者がいかに醜いか知ってしまうだろう。庵司さんに捨てられてしまうと思った。


「い…嫌…です」


「嫌?それは貴女が決めることじゃないでしょう?」


刺々しい言葉が私に突き刺さる。これは私の我儘で確かに姉は正論だった。その時後ろから庵司さんがやって来てしまった。客人を入れるわけでもなくずっと玄関先に居ることに不審がられてしまったのだろう。


終わった…と思った。姉と私を比べて私を捨てるのだと。


「何をしている」


庵司さんはそう尋ねた。私は答えられなかった。姉は私を押し除けるようにして庵司さんの目の前に立つ。


「どなたでしょう」


姉は美しく整った顔で微笑んで見せた。私の顔とは大違いだった。


「はじめまして。狐塚桜子と申します」


一呼吸置いて姉は続けた。


「貴方の本当の婚約者です」

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