十一話
社交パーティーからしばらく経った日。今日も庵司さんを見送って女中達と洗濯物をしていた時だった。
「お嬢様、実は奥様からお呼び出しがかかっております。すぐに準備してください」
本邸から来た下男がそう伝えに来た。
「わ…わかりました」
少し驚きながらも私は動きやすい着物から外行き用の綺麗な着物に着替える。
(お義母様から呼び出されるなんて…)
今まで一度もなかった。不安ばかりが膨れ上がる。あった印象は厳しそうだが声色は優しそうというだけ。正式的な挨拶は祝言を上げる前…と先延ばしにしていた。
(もしかしてそれが気に入らなかったんじゃ)
最初の一〜二ヶ月は新しい生活に慣れなければいけないと目を瞑ったのかもしれない。しかし季節は春から夏に移り変わり、私もここの生活に慣れてきた。
(義両親を気遣わない婚約者だと思われてしまったのかしら)
足早に私は車に乗り込む。何か手土産を…と思ったが伝えてくれた下男が「そんなのいりませんから早急に!」と言われ、何も用意せずに出てきてしまった。
車に揺られがら車窓の景色を眺める余裕はなかった。嫌な思考がぐるぐると回る。あの社交パーティーの時のように。
そんなことを考えていればまたそれなりに距離があるはずの本邸へとついていた。
「いらっしゃいませ、薫子様」
初めて入った時と同じように左右に一列に並び出迎えていた。
「奥様がお待ちです。こちらへ」
燕尾服を着た家令の男性が直々に私を客間に案内する。
「奥様、薫子様をお連れいたしました」
「入りなさい」
思ったより声色は優しく、もしかしたら心配したような話ではないのかもしれないと思った。凝った細工が施された外来品のローテーブルに細やかな薔薇柄のソファ。寄木張りの床の上には落ち着いた深い緑の絨毯が敷いてある。
初めて来たときは緊張で気づかなかったが何処かの外国の城の内装のように豪華だ。
「お待たせいたしました、お義母様」
「とりあえず座りない薫子さん」
私はビクッと肩を震わせ響子さんの向かいのソファに腰を下ろす。厳しい教師のような指導者のような面持ちで言われては逆らうことはできなかった。
「急に呼び出してごめんなさいね」
「いえ、お義母様がお呼びでしたらすぐ駆けつけます」
少しの沈黙があった。
「お話はね、先日の社交パーティーでの事なの」
「はっ…はい」
心臓がドキリと跳ねた。あの日のことは思い出したくない。過去に繋がる人に会ってしまった日なのだから。
「なんなのかしら。オドオドとした態度、ずっと下を向いていた顔、不安そうに泳ぐ目。はっきり言って小鳥遊家の嫁に相応しい振る舞いではなかったわ」
「はい…。その通りです」
言い返す言葉がなかった。たとえあったとしても私は言い返せなかっただろうが。
「庵司は次男だけれど、将来は小鳥遊家の分家の長の座に着く予定です。その分家の女主人に貴女が相応しいとは言えない」
厳しい目で射抜かれ私は縮こまってしまった。
「それに貴女、女性の方とお話ししていたようだけどダンマリだったように見えたわ。失礼にも程がある。庵司が貴女と急に帰ってさぞ会場の視線を集めたでしょうね」
私は小鳥遊家の婚約者として相応しくなかった。それどころか恥になってしまった。
「そもそも、私は貴女のことを婚約者として認めていなかったのよ。本人の気持ちを尊重して静観に徹していた。でももう我慢ならないわ。来春、祝言を挙げるまでに小鳥遊家の嫁として相応しいと証明しなさい。できなければ婚約は破談とします」
貴女は相応しくないと、何処かで言われるような気はしていた。むしろ今まで言われなかったのが奇跡に近い。だから私なんかが傷つくのはおかしいのだ。当たり前のことなのに。
「わかり…ました」
大丈夫。元から相応しくなかったのだから。これが正しい結末。あるべき本当の姿。庵司さんには小鳥遊家に相応しい女性と結婚して幸せになって……。
私は…………
私はあの家で優しさに触れた。暖かい思い出だった。この思い出があれば私はきっと幸福に死ねる。…でも。
庵司さんの側には私が居たい…と思ってしまった。女中でもいい、奴隷だっていい。側にいたいと思ってしまった。いや、私は我儘で欲張りだ。
妻として隣に立ちたい。
醜く汚らわしい女狐にそう望まれても迷惑かもしれないが、私はそう思ってしまった。私に初めて優しさをくれた庵司さんに。
「頑張らせていただきます」
下がりがちだった視線を上げた。目の前には扇子をパタパタと仰ぐ響子さんがいる。
「そう。せいぜい頑張りなさいな」
「はい、失礼いたします」
私は頭を下げると客間を後にした。
******
「あの、花嫁修業を行いたいのです。協力していただけませんでしょうか」
そう言って私が頭を下げたのは義姉にあたる美琴さんだった。本邸に住んでいる美琴さんの部屋を家令に聞いて訪ねたのだ。
「薫子さん…私にできることなどあるのかしら」
美琴さんは響子さんから嫁として認められた人。一番いい手本のはずだった。
「それにまた急にどうされたの。今日はお義母様に薫子さんが呼ばれたとは聞いていましたが」
「実はお義母様に私は小鳥遊家に相応しい女性ではないと言われてしまいました。勿論、私も分かってはいましたが」
自分で言っていて悲しくなってくる。勿論事実なのだが、やはり自分を貶める事実を自分で口にするのはかなり精神にくるものだ。
昔は平気だったのに庵司さんたちの優しさに触れすぎてすっかり弱くなってしまったらしい。
「うふふ」
玲瓏な笑い声が響く。
「それは私も翔吾さんと結婚する前にお義母様に言われたことだわ」
それは小鳥遊家に入るための通過儀礼なのだと美琴さんは笑う。
「お義母様から認められたお義姉様にぜひ教えていただきたいのです」
そうでなければ私は追い出されてしまう。
「それはいいのだけれど、本当に私でいいの?私、薫子さんみたいに高貴な血筋ではないのよ?」
美琴さんは爵位を持たない家の生まれで幼い頃からずっと爵位が無いことに劣等感を感じて生きてきたと話してくれた。看護婦になった美琴さんは軍の療養施設で翔吾さんと出会ったのだそうだ。
「私なんかが高貴な血筋だなんて…恐れ多いです」
卑しい後妻の子供として扱われた私は高貴な華族として扱われたことなど一度もなかった。私は奴隷だったから。
「花嫁修業は明日から始めましょう。準備しておきます」
「私なんかの為にありがとうございます」
ふふっと微笑んで美琴さんはこう言った。
「だって薫子さんと仲良くしたいんだもの」
******
その日の夜、夕食を並べながら私は美琴さんに花嫁修業をつけてもらうことをどう切り出そうかと悩んでいた。艶々の白米、蓮根と里芋の煮っ転がし、豚の塩焼き、油揚げと豆腐の味噌汁、梅干し…などを並べる。
「はあ…」
「お嬢様、どうなされました。本邸で何かありましたか」
共に配膳していた春海さんが訊ねる。
「いえ、何もなかったです」
自分の相応しくない所を指摘されたなどと言いたくはなかった。
「ただ、花嫁修業をすることを勝手に決めてしまい庵司さんに事後報告になってしまうのが申し訳なくて」
申し訳なさから夕食の品数が少し多くなってしまった。もしかしたら私のしたことは生意気な事だったかもしれない。相談もせずに勝手に花嫁修業をすることを決めて。
女学校の良妻賢母教育では男性に言わずに何かを勝手に決めるなどあり得ないと教わったような気がする。
次々と自分の行動が間違っていたという証拠が浮かび上がってくる。
「旦那様なら許してくださいますよ。旦那様はお嬢様にお優しいですから」
「はい、とてもお優しい方です」
言葉はぶっきらぼう、表情は無表情が多い。でもとてもお優しい。私なんかに慈悲をかけてくださる優しい人。優しい庵司さんなら…きっと許してくれる。春海さんの言葉で少し勇気が湧いた。




