十話
ずっと言い出せないまま季節は春から夏に移り変わった。
「パーティーですか?」
夕食の食卓には鯖の味噌煮、生姜の佃煮、里芋の味噌汁、南瓜のコロッケなどが並んでいた。ちょうど私が南瓜のコロッケに箸をつけたとき、庵司さんからパーティーという話題が出た。
「そうだ。近々どうしても参加しないといけない社交パーティーがあってだな。小鳥遊家の婚約者として参加してほしい」
「それは…構いませんが。あの、私なんかを連れていったらご迷惑になりませんか?」
パーティーという煌びやかで華々しいもの、一番私に似合わないものだった。
「社交界に貴女のお披露目を兼ねている」
「そう…なのですね」
小鳥遊家の婚約者として相応しくなく、実際は約束の婚約者でもない私が庵司さんのパートナーとしてなんて。不相応にも程がある。
「あの…私、パーティーに参加したことがないのですが大丈夫なのでしょうか」
一応、女学校で作法は習ったのだが実践した経験がなかった。狐塚家でパーティーに行くのは父と姉だけ。誰も女狐を招待したがらなかった。
「貴女は私の隣にいればそれでいい。無理に喋らなくてもいいし、踊らなくていい」
「ダンスパーティーなのですか?」
「形式上はそうなっている。」
パーティーの会場は高級ダンスホールだった。それを聞いただけで気後れしてしまう。私は庵司さんに恥をかかせてしまうパートナーなのではないか。きっと私は相応しくない。もし姉だったら自慢の美貌でさぞ相応しかったのだろう。
(私が生きたいあまりに嘘をついたせいで…)
しかしその嘘を明かす勇気もない。ただ現状に甘んじる自分が大嫌いだった。
パーティーの当日、私は庵司さんから貰った爽やかな水色のドレスを着た。庵司さんは軍服の礼装で玄関で私を待っていた。
「お待たせいたしました」
「行こうか」
玄関の前に止められた自動車に乗り込む。こうして庵司さんと出かけるのは初めてではないが行く場所が場所なので緊張して心臓がバクバクと鳴る。
「緊張しなくていい。楽にしていればいいんだ」
「ありがとうございます」
しかし庵司さんの言葉通りに楽にするわけにはいかない。社交界でもまた私は女学校の時の様に侮蔑の瞳で見られ影で嘲笑されるのだろう。
(しばらく穏やかな生活だったから、弱くなっているのね)
あの家で私を蔑む人はいない。庵司さんは言わずもがな女中達は皆優しく、仕事を奪っているも同然なのに嫌な顔をしない。むしろこんな私に感謝の言葉をかけてくれる。
庭師の方も仕事熱心であまり話す機会は多くないけれど私を邪険に扱わないし、運転手は二人とも私なんかに気を遣ってくれている。
煌びやかな建物には自動車が何台も止まり、中から美しい装いをした人達が出てきた。華やかな装いの貴婦人達を前に私はすっかり惨めになった。
(私よりあの方達の方がよっぽど庵司さんのパートナーに相応しいわ)
(もしかして庵司さんは嫌々私をパーティーに連れてきたのかしら)
(恥ずかしい婚約者で申し訳ありません)
嫌な思考が巡る。頭の中で姉や同級生達が私を罵倒する。
「緊張しているのか」
「はい。とても」
「心配するな。貴女は小鳥遊家が守っている」
たしかに小鳥遊の名は頼もしい鎧だろう。しかしだからこそ小鳥遊の鎧を身に纏うのが貧弱な私では周りも不快だろう。
輝くシャンデリアの眩しさに私は目を細める。
会場の端には軽食コーナーがあり、なかなか見慣れない洋食が並んであった。軽食コーナーという名前だが並んでいる料理でしっかり食事ができてしまいそう。こうしてみると庵司さんの食事が質素なものだったとわかる。
パーティー会場には軍服の姿の人達もちらほら見かける。
「やあ、薫子さん。久しぶりだね」
話しかけてきたのは庵司の父、小鳥遊幸司さんだった。
「お義父様、お久しぶりです」
「薫子さん、お久しぶりですね」
隣には落ちついた色合いの着物姿の響子さんの姿もあった。
「お義母様もお久しぶりです」
挨拶をしていると周囲の視線が集まるのを感じた。あの英雄的扱いを受ける小鳥遊家の人が見知らぬ女と話しているのだから。
「庵司も薫子さんもお久しぶりです」
「庵司さん、薫子さん。お久しぶりです」
後ろから軍服姿の翔吾さんと藤色のドレス姿の美琴さんもやってきた。
「お久しぶりです。お義兄様、お義姉様」
なんだか顔見知りにあって少し緊張が解けた気がする。いきなり知らない人に話しかけられるより遥かにマシだった。その後庵司さんの知り合いの方に挨拶をされたが一言二言返すだけで後は庵司さんが話してくれた。
初めてのパーティーにしては凄く気が楽だ。仕事関係で少し庵司さんが離れなくてはいけなくなった時も安心し切ってきた私は「私のことはお気になさらずお話になって来てください。ここで待っております」と言ってしまった。私は完全に油断していた。庵司さんの心配そうな顔がいつまでも忘れられなかった。
「あらあら、薫子さん。お久しぶりですこと」
そう声をかけられ、私は他に誰か久しぶりな知り合いがいたかと思いながら振り返った。そこには真紅のドレスを身に纏った元同級生、私を喫茶店からクビにした超本人。
桐ヶ谷躑躅がそこにいた。
「え…あ…」
彼女は女学校で私を率先して虐げた筆頭格。私の体は震えだしていた。
「ああ、それとも女狐と呼んだ方がいいかしら?」
クスッと笑いながら躑躅さんが耳元で囁く。私は「ひっ」と声を漏らす。
「あの店から解雇されて、とっくに野垂れ死んだと思っていたけれど…しぶとく醜く生き残っていたのね」
「……」
言葉が出ない。元々私に反論という選択肢はなかった。そうすれば余計に虐めが苛烈になるだけだとずっと昔にその選択肢を放棄していた。下を向いて黙りを決め込むしかなかった。
「それもこんなパーティーに来れるなんて。一体何処の殿方を誑かしたの?その女狐たる手腕、ぜひ私にもご教授願いたいわ」
何か…言い返したい。悔しい。そう思っても私は息ができなくなってしまったかの様に口をパクパクとさせるだけで喉は何の音も捻り出さなかった。
「でも貴女の様な汚らわしい存在がいたらパーティーの格が下がるの。さっさとお帰りになったら?」
「………も…申し訳ありません」
やっと紡げた言葉は謝罪だった。その時、軍靴の音が徐々に近づいた。下を向いていたからわからなかったが私は一縷の望みをかけ小さく「庵司さん…」と呟いた。
「私の婚約者に何か用か」
私の躑躅さんの間に立つ様にしてくれた男性の声は聴き慣れていたものだった。
「あ…庵司さん」
私は顔を上げる。瞳には涙が溜まっているだろう。
「小鳥遊様…」
躑躅さんは顔を青くしながら冷や汗を流した。庵司さんは躑躅さんを睨み付ける。
「私、薫子さんの同級生だった者です」
絞り出すように躑躅さんはそう言った。体は小刻みに震え、今すぐにでも逃げ出したいようだった。
「そうか、私の婚約者は体調が優れないようだ。これで失礼する」
庵司さんは私の手を引いて会場の出口へと向かう。
「あっ…あの、庵司さん。わっ…私…」
「もう帰ろう」
それ以上、庵司さんは何も言わなかった。帰りの車の方、私はずっと下を向いていた。惨めだった。躑躅さんを目の前にして過去に恐怖し何も言えなくなる自分が。昔に戻ってしまった私が。
そして庵司さんの妻になればこういった社交活動をしなければならなくなる将来の不安が。そんなこともできない私が酷く惨めで悔しかった。




