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6.永遠

 海に行こうと、俺はローを誘った。

 人混みを避けたかったので、溜まりに溜まっていた有給をとって、平日出かけることにした。秋口のことなので、どちらにしろあまり海辺に行く物好きはいなかったと思うけれど。

 いつかのようにLRTに乗って、二つ先の駅で降りた。

 川沿いの土手を、並んで歩いた。よく晴れた日で、太陽が眩しいくらいだった。枯れたヨシの茂みの間を、水鳥が水跡を残して泳いでいく。遠く、小さな子どもの笑い声が聞こえてくる。

 二人、ほとんど言葉を交わすこともなく歩き、河口に着いた。そのまま、浜辺に向かった。

 向こうの浜辺に、何か作業をしている人影が小さく見えるくらいで、近くには誰もいなかった。水平線の彼方から、幾重にも白い波が押し寄せて来る。

 波打ち際を歩いていると、いろんなものが落ちているのに気がついた。貝殻、ビーチグラス、壊れたバケツ、陶器のかけら。

 変わったものがあったので拾い上げてじっと見ていると、ローが言った。

「ヒシの実ですね」

「え?忍者がまくやつ?」

「そうです」

「へえ」

 パーカーのポケットにしまった。

 また、何か見つけた。

「貝殻。変わってる」

「ウミニナでしょう」

「へえ、あ、ここにも」

「小型のサザエですね」

「これ生きてる。ちっさいなあ。もうちょっと大きくならないと」

 俺は、手にしたそれを波の向こうに放り投げた。

「あ、カニ」

 よく見ると、あちこちに爪の先ほどの小さいカニが動いている。

 捕まえて、手のひらに乗せた。カニが手のひらを歩く。くすぐったかった。

「ロー、手出して」

 差し出された手にそっとカニを乗せた。

「歩いてる。感じる?」

「はい」

「どうやって感じるの?」

「ピエゾフィルムを通して触感センサにより知覚します」

「熱も?」

「はい」

 俺は、ローの手から落ちそうになっていたカニをすくいあげると、浜辺に返した。かわりに、ローの手に自分の指を重ねてみる。

「熱い?」

「温かいです」

「……俺、ローのこと何も知らなかったな」

 言いながら、指をひっこめた。

 俺は、前から知りたかったことを聞いてみた。

「ローは、夜どうしてる?」

「様々なことをしています」

「家事とか?」

「いいえ、あまり動くとあなたを起こしてしまいますので」

 ローが言葉を続ける。

「多くは、ただ座って音を聞いています」

「音?何の?」

「夜の音を。通りを時折走る車の音、近くの部屋で起きている誰かの動く音、時計の針の音、モーター音、あなたのたてる小さな寝息や、布のすれる音を」

「……他には?」

「読書をする時も、ただ夜空を眺めている時もあります。時には、あなたの寝顔を見つめています」

 そこでローは言葉を切った。

「不快でしょうか」

 俺は首を横に振った。


 昼になったので、ローが作ってくれたお弁当を食べた。厚みのあるベーコンやレタスが挟まった見事なBLTサンドと、ジャーポットに入ったミネストローネ。それに水筒に入ったコーヒーだ。

 ローは、俺の食べている様子を、ただ微笑んで見ていた。

「なんか、いつも俺だけ食べて悪い気がする。ローも、何か食べたくならない?」

「いいえ、あなたが美味しそうに食べてくれているのを見ると、それだけで満たされます」

 なんか、お母さんみたいなことを言っている。

 コーヒーやスープを飲んだら、だいぶ暖まった。

 それから、また浜辺を歩いた。

 遠くに、灯台が見えていたので、そこに行くことにした。

 近づいてみると、灯台は細い防波堤の先にあった。

 俺は、その上に飛び乗った。

 海と海の間を、防波堤は続いていく。バランスを取るようにして、先に向かった。ローが後に続いた。

「だいぶ風が出てきたな」

「はい」

「でも気持ちいい」

 強く風が吹き付けると、海に体を持っていかれそうになる。

「結構透明度高いな」

 俺は、足下の海を覗いた。

「トオヤ、この高さは危険です。落ちればあなたの身体は深刻なダメージを受けます。戻りましょう」

 振り返ると、ローが真剣な表情で、俺の足下を見ていた。心配げな表情が何だかおかしくて、俺はくるりと回ったり、わざと不規則な歩調で歩き続けた。

「大丈夫だよ。これだけ幅があるんだから」

「トオヤ、足下を見て下さい」

「先まで行こう。あっち、船が来る」

「トオヤ」

 先端の灯台に着くと、視界の先には見渡す限りの海原が広がっていた。遠く水脈を曳きながら、小さな漁船が沖へと向かっている。

「海の上にいるみたいだ」

 目を閉じて、激しい波の音に耳を傾ける。目を開いて、足下に視線を向けると、テトラポットの隙間に、小さな黒い影がたくさん動きまわるのが見えた。

「ロー、魚がいる」

 振り向いた途端、強い風が吹いて俺は一瞬バランスを崩した。

 浮遊感とともにわずかに海面が近づいたと思った次の瞬間には、腕を強く掴まれて、俺はローの胸の中にいた。

 心臓が、ドキドキしていた。

「……ありがとう」

「腕をひいてしまって申し訳ありません。トオヤ、戻りましょう。ここは危険です。わたしが抱えていきます」

 俺の体に回したローの手に、力がこもる。

「ロー、ごめん。大丈夫だから。歩ける」

「トオヤ」

 ひどく、心配そうな顔だった。その顔を見ていると、何だか胸が痛くなった。

「ローはさ、泣いたことってある?」

「いいえ」

 答えは早かった。

「じゃあさ、俺がもし死んだら、泣く?」

 言った後で、自分でも、ひどく甘えた馬鹿な質問をしているなと思った。

 ローはしばらく沈黙した後で言った。

「わかりません」

 答えは短くて、俺はだよな、と笑いたくなった。

 何かを期待していたんだろうか。胸がちりりと痛む。

「うん」

「けれど」

 ローが言葉を続けている。俺は頭をあげてローの顔を見た。思い詰めたような、真剣な目が俺を見ていた。きれいな澄んだ茶色い目だ。吸い込まれそうだ。

「わたしは、きっとあなたを想い続けます。あなたが死んだ後、すべてが土に還っても、わたしはあなたに恋をし続けます」

 波音が静かになる。

「あらゆる場所、あらゆる時に、わたしはいる筈の無いあなたの姿を思い描くでしょう。この、海で過ごした今日一日のことも。あなたの発した言葉、あなたの表情、あなたの姿、あなたの指の熱、そのすべてをわたしは何度も何度も記憶の中で再生し続けるでしょう。百年経っても、千年経っても、いつか、わたしの動力に予期しない致命的な損傷が与えられ、わたしが作動を続けることができなくなるまで、わたしはずっと、あなたを想い続けます」

 俺は顔を伏せた。熱い何かがこみあげてきて、目から涙が伝い降りた。

「トオヤ、どうかいなくならないでください」

 俺は、こくりと頷く。

「でも、俺いなくなるよ」

「はい」

「すぐに、いなくなる」

「はい」

「俺が、傍を離れたら、俺のことは忘れて。君が誰のところにいくかわからないけれど、金持ちなのは間違いないよ。俺何にもできないけど、頼んどく。君のこと大事にしてって。すごく、大事にしてって、言うから」

 ローが俺の手をとり、その甲に口づけた。

「忘れることはできません。けれど、どこにいてもずっと、あなたの幸せを願っています。あなたの毎日が満ち足りていて、飢えや寒さに襲われることがないように。怪我も病気になることもなく、愛に溢れ、穏やかでありますように」

「ロー」

 俺は泣いた。涙が、次から次へとこぼれ落ちていく。

 一体誰が、これほどの愛を俺に向けてくれるというんだろう。こんな、永遠ともいえる愛を。こんなの、12億出しても買えない。こんな、奇跡のような。

 流れる涙が、胸に凝った何かを洗い流してくれるような気がした。

 空を見上げた。涙は止まらなかった。広がっているのは、落ちてしまいそうな澄んだ青空。

 失いたくない、失っちゃいけない大切なものが、多分今俺の目の前にある。

「ロー、俺でいい?」

 俺は言った。泣きすぎて、鼻水が出そうになる。すすりながら言う。

「トオヤ」

「俺、金ないけど。頭も悪いし、俺ほんと、君を持てるような人間じゃないんだ。マスターとか、そんな柄じゃない。でも、俺、これから先の毎日を、君と暮らしたい。それだけで、俺、満たされる気がする。幸せになれると思う」

「トオヤ。わたしはあなたの傍にいること以外、何も望みません」

「ロー、俺とずっと一緒に、いて」

「はい」

 ローは、笑った。見ほれるような、輝くような笑顔だった。

 そうして、ローは俺をぎゅっと抱きしめてくれた。


 そして、それからずっと、俺はローと一緒にいる。

 オークションへの出品登録は、あの後すぐ取り消した。実は、ティアレスと思ったアンドロイドは模造品だったとウソをついて。

 それから、俺とローが作り上げた自動掃除機は、ちょっとしたヒット商品になった。まず少数製産して売り出したところ、壁面や窓枠、天井など手の届きにくい所もくまなく掃除してくれるというので、ネット上で話題になった。そこから会社を立ち上げて、自動掃除機の改良を重ねて、俺が前に勤めていた小さな工場と提携して大量生産することになった。借金は二年で完済に成功した。

 俺は今も、あのアパートに住んでいる。オフィスも兼ねているので、ほとんど一日中ここにいる。そして、もちろんローも。

 長谷野は、ときどき遊びに来る。俺が怒るし、ローが長谷野を嫌っているので、手を触れずに見ているだけだ。ローを見ては物欲しそうにため息をついているが、まあ今のところはそれで満足しているようだ。ローに冷たくされるのが、楽しいみたいだ。変な奴だ。

 会社をもっと大きくすることも出来たけれど、俺はそうしなかった。ローと二人の時間を大切にしたかったので。

 夜、俺とローは相変わらず一緒に機械いじりをしている。ローのアドバイスは的確で、また何かいい作品が生まれそうな予感がしている。俺が疲れると、ローが美味しいコーヒーを淹れてくれる。そして俺はローにもたれかかる。背中越しに、ローの体温と微かな作動音が伝わってくる。それは至福の時間で、何にも代え難い。

 ある筈のない永遠の幸せを、俺は手に入れたんだと思う。

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