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断界アノマリア  作者: 来里 綴


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第4話 はぐれないでね

 待ち合わせには、少し早く着いた。


 市場の広い入口。二日前、ソフィアと決めた場所だ。


 何度か通っている道なのに、今日は妙に落ち着かない。道の端に寄って、行き交う人を眺める。野菜を抱えた人、荷車を押す人、店に入ろうとして立ち止まる人。昨日までは、あの人たちに交じって自分の用事を済ませるだけだった。


 ネリサさんには、出かける場所と帰る予定を伝えてきた。


「今度は、ちゃんと約束して会うのね」


 そう言って笑われたのは、どういう意味だったんだろう。


 考えていると、向こうから声がした。


「カイ!」


 振り返ると、ソフィアが人の流れをよけながら歩いてくる。俺を見つけると、ちょっと得意そうに手を振った。


「今日はちゃんと名前を呼んだわよ」


「ありがとう。おかげでびっくりしなかった」


「それならよかった」


 お互いに笑ってから、ソフィアは市場の奥へ目を向けた。


「行きましょうか。見せたかったところ、こっちなの」


「また布屋?」


「違うわ。もっと騒がしいところ」


 それだけ言って先に歩き出す。


 嫌な予感はしなかった。けれど、二日前に思っていたよりも、ずっと人が多い。


「こんなところで迷子になったら大変そうだな」


「じゃあ、はぐれないでね」


「子供扱いしてない?」


「道を知らないって言ってたのは、カイでしょう」


「それはそうだけどさ」


 反論する前に、彼女が曲がり角で足を止めた。


「ほら、あそこ」


 市場の裏手に、荷車が何台も並んでいた。


 荷を下ろす人がいて、別の人が木箱を運び、店先には紙を持った人も立っている。箱を置くたびに、誰かが声を上げていた。


「こっちじゃない、向こうだ!」


「それは二つまとめて持っていって!」


 忙しそうだ。というか、俺が近づいたら確実に邪魔になる。


「ここ?」


「そう。街に入ってくる荷物を、店ごとに分けてるところ。前に通ったとき、どうしてあんなに早く行き先が分かるのか気になったの」


「ソフィアでも知らないことあるんだ」


「知らないことの方が多いわよ」


 当たり前の顔で返された。


 邪魔にならない場所に立って見ていると、同じくらいの大きさの木箱が次々に運ばれていく。


 一人の男が箱を抱えかけたところで、紙を持った人が声を上げた。


「それ、向こうの荷車! 横の印を見てくれ」


「おっと、悪い」


 男が箱の側面を確かめ、行き先を変える。似た印の箱が隣にもあったが、線の数が違っていた。


「なるほど、箱に印があるのか」


「ほら、あの人。手元の紙と見比べてるわ」


「でも、今の人、間違えかけたよな」


「だから、声を掛けたんでしょう?」


 向こうでも、箱を渡す人が何か言い、受け取った人が答えてから荷車へ積んでいた。


「そりゃ、あんなに声が飛び交うわけだ」


 ソフィアはもう少し荷車の方を見てから、手前の箱を指した。


「……ねえ、あの箱、何が入ってると思う?」


「急に当てっこ?」


「見てるだけでも分からないし。何か手掛かりがないか探してみない?」


 その箱は、ひときわ頑丈そうだった。角には金具がついている。


「工具とかじゃない? ああいう箱なら、重い物が入ってそうだし」


「私は食器かな。割れないように丈夫にしてるのかも」


「じゃあ、答え合わせしてみる?」


 言ってから気づいた。勝手に開けるわけにもいかない。


 ソフィアも同じことを考えたらしく、俺と顔を見合わせた。


「……開けてもらうわけにはいかないわね」


「だよな」


 二人で箱を眺めていると、荷運びの男がその横を通った。


「そこ、もうちょっと下がってくれるか!」


「すみません!」


 俺たちは慌てて壁際へ寄った。


 男は荷車を通し、箱のそばで別の人と何か話す。それから頑丈そうな箱を持ち上げようとして、途中で手を止めた。


「おい、これ空箱じゃないか!」


「中身は先に店へ運んだ!」


 男の声が重なった。俺はソフィアを見た。


「……空か」


「どっちも外れね」


 ソフィアが声を立てて笑った。


「重そうに見えたのに」


「カイが先に重いって決めたんじゃない」


「食器だって言ったのはそっちだろ」


「そうね。私も外れたわ」


 空箱は別の荷車に積まれ、あっという間に運ばれていった。何が入っていたのかは、結局分からないままだ。


 けれど、それもなんだか面白かった。






 荷の出入りをひとしきり眺めたあと、俺たちは通りへ戻った。


「どうだった?」


「すごかった。あれだけ荷物があって、よく間違えないよな」


「たまには間違えると思うけど」


「そこは夢を見させてくれよ」


「じゃあ、間違えないように工夫してるってことにしましょう」


 なんだ、その譲り方。


 笑いながら歩いていると、通りの先から焼いた生地の匂いが流れてきた。腹が鳴りそうになる。


「何か食べる?」


 ソフィアがこちらを見る。


「いいの? まだそんな時間でもないけど」


「少しだけなら。さっきのところ、立って見てたらお腹が空いたの」


「実は俺も」


 店先で売っていた小さな焼き菓子を一つずつ買って、人通りから外れた場所で食べることにした。


 手に取ったものは、表面がさっくりしている。噛むと、少し香ばしかった。


「うまいな、これ」


「でしょう?」


「ソフィアのおすすめ?」


「たまたま見つけただけよ」


「何でも知ってるみたいな顔してたのに」


「そんな顔、してないでしょう」


 そう言いながら、彼女はもう一口かじった。


 話しているうちに、村での仕事のことを聞かれた。


「ラウゼンでは、何をしてたの?」


「そのとき手が足りない仕事を、いろいろ。最初は何を頼まれても時間がかかったけど、だんだん慣れたかな」


「じゃあ、さっきの荷運びもできそう?」


「いや、あれは絶対、俺が箱の行き先を間違える」


「さっきは空箱も見分けられなかったものね」


「まだ言う?」


 ソフィアはおかしそうに笑った。


「でも、働いてお金を貯めて、ここまで来たのでしょう?」


「うん。いろいろ助けてもらったけど、旅の分くらいは自分で用意したかったから」


「そういうところは、すごいと思う」


 思いがけず褒められて、返事に困った。


「……そっちだって、知らないことを見に来たりしてるじゃん」


「私のは、ただ気になるからよ」


「俺も、だいたいそんなもんだよ」


 言ってから、少し違うなと思った。


 街に来たのは、日本へ帰る方法を探すためだ。好奇心だけで出てきたわけじゃない。


 だけど、知らない店や仕事を見て面白いと思う気持ちまで、嘘ではなかった。


 焼き菓子の残りを食べると、ソフィアが包み紙を小さく畳んだ。


「カイ。ちょっと、話しておきたいことがあるの」


 さっきまでとは違う声だった。


「何?」


「この前、日本から来たことを家族に話してもいいって言ってくれたでしょう」


「うん」


「約束した範囲で話したわ。日本から来たことと、帰る方法を探していること」


 俺は頷いた。


「それでね、父と母が、あなたと直接会って話せないかって」


「……え?」


 思わず顔を上げた。


「俺と?」


「ええ」


「どうして?」


「あのときのことを心配してる。それに、日本の話を聞いて、もっと詳しく確かめたいことがあるみたい」


 胸の奥が、少し騒がしくなった。


 ソフィアの家族には、日本との縁があるかもしれない。彼女自身は詳しく話さなかったけれど、両親なら何か分かるのだろうか。


「それって、日本から来た人を知ってるってこと?」


 ソフィアはすぐには答えなかった。


「……家族のことだから、私が勝手に話していいか分からないの。ごめんなさい」


「そっか。じゃあ、会えたときに聞いてみるよ」


「うん。そうしてくれると嬉しい」


 聞きたいことは山ほどある。でも、俺だって家族のことを何でも話すわけじゃない。今はこれ以上聞かないことにした。


「何か答えがあるって約束はできないけど、話は聞いてもらえると思う」


「それだけでもありがたいよ」


 知らない大人に、日本のことを話す。しかも、ただの世間話じゃない。どうやってここへ来たのか、帰りたい理由は何なのか、聞かれるかもしれない。


 俺自身、答えられないことだらけだ。


「……ひとつ聞いていい?」


「もちろん」


「お父さんとお母さんは、俺から何を聞きたいんだろう。日本のことだけ? それとも、あの路地で何があったかとか」


「両方だと思う。でも、何をどこまで聞くかは、会って話してみないと分からないわ」


「なるほど」


 ソフィアは少し間を置いた。


「無理に会わなくてもいいのよ。あなたが決めることだから」


 その言葉で、かえって考えやすくなった。


 帰る方法を探したくて、自分でヴェルノスまで来た。名前も分からない技術者の噂を追って、知らない店を訪ね歩いた。


 それなのに、会って話せる人が現れたところで立ち止まるのは、ちょっと違う。


「会いたい。俺も、直接話してみたい」


「……本当に?」


「うん。ただ、泊めてもらってる人たちには、先に話しておくよ。いきなり知らない家に行ってくるって言ったら、また心配かけるからさ」


 ソフィアはほっとしたように笑った。


「それがいいと思う。両親にも、あなたが会ってもいいと言ってくれたことを伝えるわ」


「いつ頃になる?」


「まだ決まってないの。都合を確かめて、ちゃんと知らせる」


「分かった。ありがとう」


 今度は、お互いに勝手に決められない約束だった。


 少し惜しい気もしたけれど、急がせる話でもない。






 市場へ戻る頃には、人の流れがさっきよりも落ち着いていた。


 ソフィアは入口のあたりで足を止めた。


「今日は楽しかったわ」


「うん。空箱のことは忘れないと思う」


「そこなの?」


「だって、あれは見事に外したから」


「じゃあ、次は当てられるようにしましょう」


「次もやるのかよ」


 ソフィアが笑った。


 別れ際に、彼女はまた俺の名前を呼んだ。


「カイ、気をつけて帰ってね」


「ソフィアも」


 人の流れに入っていく背中を見送った。


 路地で出会ったときには、二人でここまで歩くことになるなんて思ってもみなかった。それに、帰るための手掛かりを探しに来た街で、誰かの家族に会う約束をすることになるとも。


 少し緊張する。だけど、それ以上に気になることがあった。


 ソフィアの家族は、日本の何を知っているんだろう。

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