第8話|高熱と寝物語
「酷い熱じゃないか。何故声をかけなかった?!」
アルセルさんにおでこへ手を当てられて、初めて自分が高い熱を出していることに気づきました。
こんなにしんどいなんて。
もしかして、インフルエンザか何かでしょうか?
だとしたら、染してしまったら申し訳ない。
そう思い、
「来ないでください」
実家で熱を出したあの日と同じように、掠れた声でそう言えば、
「誰に向かってそんな口を利いている!」
アルセルさんはあの日の家人とは異なり、ホッとした様子を見せるどころかその綺麗な鼻筋に皺を寄せて怒りをあらわにしました。
想定外の反応にホケッと驚きつつ、訳を話せば
「……だから、お前はオレを何だと思っているんだ?? 風邪など染るものか。ただの人間とは違うんだ。具合が悪いときは、そんなこと気にせず頼れ」
アルセルさんは、酷く呆れたように私以上に大きなため息をつくと、脈を取るため、その長く冷たい指でそっと私の首筋に触れました。
「本当に染りませんか?」
そう尋ねれば、
「くどい」
短くそう返されます。
アルセルさんのそんな言葉に、家でも味わったことのない深い安堵を、初めて覚えた時でした。
私が小さく咳をしたのを見て、
「待っていろ」
そう言って立ち上がったアルセルさんの手に、私は思わず手を伸ばしました。
「水を汲んでくるだけだ。すぐ戻る」
小さく笑うアルセルさんに、涙目のまま嫌だと首を振れば……。
また実に思いがけず、彼が酷く柔らかく笑ったのが分かりました。
「飲めるか?」
そう言って背を抱くように起こされ、差し出されたコップを受け取るよりも先に、朦朧とした意識の中、その手に頬を摺り寄せれば
「しょうがない奴だ」
そう言って、アルセルさんは怒るでも呆れるでもなく、また柔らかく笑いかけてくれます。
自身を温める力のないアルセルさんの手は冷たく、それが今は酷く心地よくて。
「……こんなふうに、染すことを気にせず『そばにいて』ってお願いできるなら、ずっとこのままでいてほしい気がしちゃうな」
思わずそんな本音を漏らせば、流石にアルセルさんが、何とも言えない顔をしたのが分かりました。
「おい、寝るな。寝る前に飲め」
そう言ってアルセルさんに握らされたカップへ目を落とすと、冷たく澄んだ水の中に、小さな花の蕾がいくつか可愛らしく沈んでいるのが見えました。
何だろうと首を傾げれば、
「薬だ。ちゃんと飲め」
そう言われ、持って来てもらった水を口にすれば、冷たい水にはカモミールに似た仄かな風味がついていて、火照った体に心地よく染み入りました。
「どこにもいかない?」
眠りに落ちる直前、アルセルさんの腕を抱き込んだままそう尋ねれば――
「オレに捧げられた以上、お前は生涯オレのものだ。もう二度とここから出られない。残念だったな」
アルセルさんは、初めて会った時とまったく同じ台詞を口にしながら、しかしあの時とはまるで異なり、そのサファイアブルーの瞳をどこまでも優しくとろかせて……。
私の熱を確かめるためなのでしょう。
その形の良い額を、私の額へそっと押し当てたのでした。
結局、その翌日(?)も熱は引かず。
体は辛いのにどうにも眠れなかった私は、寝物語を強請る代わりに、アルセルさん自身のことを教えてほしいとお願いしました。
するとアルセルさんはしばらく黙り込み、何をどこまで話すべきか思案しているようでしたが……。
やがて、ぽつりぽつりとその身の上を話してくれました。
曰く――
元は、聖女を守る聖騎士だったこと。
偽物の汚名を着せられた聖女を庇うため、一人、ダンジョンの奥に残ったこと。
そこで聖なる祈りの代わりに魔物を屠り続け、長い年月を経て、いつしか自らも魔に身を堕としてしまったこと。
そして、先の聖女が残した封印によって、魔物たちを外へけしかけることはできても、自分自身はこのダンジョンから出られないこと。
「今はただ、陽光が恋しい」
そう口にして、ただ静かに笑うアルセルさんの、報われなかった献身が哀しくて。
「『ひなた』は、私の国の言葉で『陽光の差す場所』を表す言葉です」
思わず、そう告げた時でした。
「だから、いつか私がここに陽光を作り出してみせ……」
「可哀そうに。だったら、なおさら帰してやれそうにないな」
アルセルさんは仮面の奥で、どこか眩しそうに目を細めると――
ただでさえ高い私の熱がさらに上がってしまいそうなほど、酷く甘く嗤ってみせたのでした。
◆◆◆◆◆◆
慣れない環境の中、ずっと気を張っていたせいだろう。
翌日になっても、ヒナタの熱は引かなかった。
身体は辛いはずなのに、どうにも眠れぬヒナタに、寝物語代わりに昔の話をしてほしいとねだられ、オレは言葉に詰まった。
「どうして、アルセルさんはずっとここにいたの?」
そんなことは、とうの昔に忘れてしまった。
そう答えれば、
「思い出したこともあるんでしょう?」
と返され、言われるままに記憶を手繰ってみれば、確かに。
失くしたはずの記憶のいくつかが自分の中に戻ってきていることに気づいた。
戻ったのは良い記憶ばかりではなく。
感情の整理が全てについたわけではなかった。
だから、寝物語に相応しい部分だけを何とか言葉にし、無為に怖がらせぬよう、
「今はただ陽光が恋しい」
そう嘯けば。
異形と化したオレのことなど微塵も恐れぬくせに、一人になることを酷く恐れる目の前の少女が、まるで祈るように自身の名前の意味を口にしたから……。
オレは彼女にどうしようもない庇護欲を覚えつつ、しかしもうこれ以上彼女の眠りを妨げぬよう、机の上に置いてあった香炉を使ったクリスタルのランプを足元へと下ろしたのだった。




