第7話|魔物はおでんを食さない
木扉の向こうにあったもの、それは細く短い自然のトンネルでした。
『くれぐれも大人しくしているように』
アルセルさんに言われたばかりの言葉を忘れ、ドキドキしながらトンネルを抜けます。
『きっと、何かいいものがあるんじゃないかな』
そんな期待に胸を膨らませながら少し歩けば、そこには岩肌から清水の湧き出す岩壁と、その足元に広がる湖がありました。
湖を覗き込めば、地上でも見たことのある魚が泳いでいました。
それに少し安心して、まずは水に触れ、それから恐る恐る口に含んでみます。
すると井戸水とは異なり渋みなど一切ない澄んだ冷たさが、乾いていた喉を心地よく潤してくれました。
夢中になって何杯も飲んだ後、ほっと一息ついて周囲を見渡せば、湖のほとりには備忘録に描かれていたキノコも見つかりました。
ポチャンと湖面で魚が跳ねるのを見た私は、居ても立ってもいられなくなり急いで部屋へ駆け戻りました。
庭を片付けていた時に見つけた古い釘を曲げて釣り針を作り、長い棒に糸を結び、その先に取り付ければ――
そうです、即席の釣り竿の完成です!
また急いで湖へ取って返し、いそいそと糸を垂らします。
餌は、湖のほとりに生えていたキノコにしました。
ワクワクしながら待つこと、はて、どれくらい経ったでしょう。
何の釣果も得られぬまま糸を手繰れば、最初と何も変わらない状態で、キノコが釘に刺さっています。
やはりキノコでは駄目かと思い、芋をはじめ、いろいろな植物を試してみましたが、それでも何もかかりません。
干し肉も駄目となれば、やはりワームを見つけるしか……。
そう考えかけたところでゾゾゾッと鳥肌が立ったので、首をブンブンと横に振り、そのイメージを打ち払います。
もう諦めるしかないのかなぁ。
未練がましく、水面で跳ねる魚を眺めていた時でした。
ふと、ランプ代わりに持ってきた香炉が目に入りました。中で光っているのは、小ぶりなクリスタルです。
その瞬間、またまた良いアイデアを閃きました!
まずは香炉からクリスタルを一つ取り出します。
予備にもう一本持ってきていた古い釘、その先端をキリのように使って、クリスタルに小さな穴を開けました。
開けた穴に糸を通し、クリスタルの下に釘を結びつければ……。
ダンジョン製・発光ルアーの完成です!
早速、湖の中央めがけてポチャンと投げ入れ、待つこと数分。
やはり駄目だったかと思ったその時、ついに手応えを感じました!
当然リールなんて上等なものは付いていませんので、急いで素手で糸を手繰り寄せます。
グイグイと糸を強く引くその勢いに負けまいと必死で引き合って、私がついに釣り上げたもの。
それは……十センチにも満たない、小さな小さな魚、たった一匹でした。
まぁ、なんとなくこのお約束の展開は予想できていましたけどね。
むしろ、長靴や空き缶なんかを釣り上げなかっただけ上出来だと、自分で自分を褒めてあげます。
さて、焼いて食べるには小さすぎるこの魚をどうしよう。
そう思い餌にと持ってきた食材のラインナップと、魚が大量に釣れた時のために持ってきていた鍋を見て、またまた良いことを思いつきました。
鍋に新鮮な湧き水を汲み、熱源はどうしようと思った時です。
ちょうど良いタイミングで、熾火がこちらに向かって走ってくるのが見えました。
「ナイスタイミングだね」
そう言って、熾火に鍋の水を沸かしてくれるようお願いすれば、熾火は、
『いや、今それどころでは?!』
と言わんばかりに、今来た道を何度も振り返りながら、懸命にオロオロしています。
けれど、私に動く気配が全くないのを見ると、
『ええい、ままよ!』
とばかりに、急ごしらえの石の竈のそばに伏せてくれました。
お湯が沸くのを待つ間に、ふと、あの備忘録に描かれていたポトフの絵は、スライム状ではなく、ちゃんとした料理の見た目をしていたことを思い出しました。
もしやと思い、再度、芋と地下茎を湧き水で茹でてみたところ……なんと、ホクホクと美味しそうな茹で野菜が完成したではありませんか!
味も、地上で食べた芋や人参とあまり変わりありません。
小躍りしながら、先ほど釣った小魚を湯の中に入れ、出汁を取ります。
そこへ、ついでにそばに生えていたキノコと、牛筋と塩の代わりにスライスした干し肉、そして先程下茹でした野菜を入れコトコト煮込めば、スーシェフと化した熾火の火力調整が絶妙なのでしょう、あっという間に美味しいおでんが完成しました!!
魚の出汁が出た黄金色のスープに舌鼓を打ちながら、今度作る時には、ヘドロ色のスライムを少々乾燥させ、適当なサイズの三角形に切ったものを、コンニャク代わりに入れるのも良いかもしれないと思った時です。
私の頭上に、スッとアルセルさんの影が差しました。
「愚かな。オレから逃げられると思っ……」
「おかえりなさい! お腹空きましたよね。さっそく帰ってご飯にしましょう!!」
またアルセルさんと声が被ってしまいましたが、ワクワクが抑えきれず、グイッと鍋を差し出せば。
思わず、といった様子でそれを両手で受け取ってしまったアルセルさんは、また何か言いたげに何度も口をパクパクさせた後、あー、もう!!! とばかりに天を仰ぎました。
キッチンに戻った後、深めの木皿におでんを盛り付け、
「召し上がれ!」
そう言ってアルセルさんに差し出せば、彼は何とも言えない、どこか憮然とした表情でそれを受け取りました。
しかし、彼がお出汁を一口飲んだ瞬間のことです。
また仮面がボロッと崩れ、今度はアルセルさんのそのスッと通った鼻筋が露わになりました。
「ポトフなんて口にしたのは、一体いつぶりだろう……」
そう呟くアルセルさんに、『これはおでんです』と一瞬ツッコミかけましたが……。
わずかに覗いた彼の口元が、泣き出すのを堪えるように引き結ばれているのを見て、大人しく口を噤みました。
余計なことを言う代わりに、熾火にもおでんをよそってあげたのですが、何故でしょう?
熾火は一切口をつけることなく、フンッと鼻息を吐くと、ぷいっと器から顔を背けてしまいました。
「薄味で美味しいよ? 味見だけでもどう?」
そう声をかければ、
「魔物は魔物しか食べない」
熾火の代わりにアルセルさんが、そんな思いもよらなかったことを教えてくれました。
二人でおでんを美味しく完食し、食後のお茶を楽しんでいた時です。
「お前は、魔物と化したオレが怖くないのか?」
アルセルさんにそう聞かれ、思わず首を捻りました。
「アルセルさん、今、一緒に同じものを食べたばかりじゃないですか。あの料理に魔物は入っていません。だから、あなたは魔物ではない。そうでしょう?」
思ったままの疑問を、そのまま口にした時でした。
「……そうか。オレはまだ、人間か」
アルセルさんが初めて柔らかく笑った、そのはずみで、再び彼の口元を覆っていた仮面の一部が、ボロリと剥がれ落ちました。
艶やかな黒髪に、綺麗な額とサファイアブルーの瞳。
スッと通った鼻筋に、キリリと引き締まった口元、すっきりとした顎のライン。
未だ目元をはじめ、顔の半分ほどは仮面に隠れたままとはいえ、露わになった素顔はまるで彫刻のように整っています。
そんな男性から不意に笑顔を向けられ、思わず心臓が止まるかと思うと同時に、その素顔をぜひ見てみたいと思うに至った私は、
「他に、何か食べたいものはありませんか?」
と、アルセルさんに聞いてみたのですが……。
返ってきた答えは、
「もう、そんな感覚は忘れた」
という、実に切ないものでした。
次は何を作ろうか。
そんなことを考えながら、夜遅くまで備忘録とにらめっこしていた翌日のことです。
疲れからか、冷えからか、うっかり風邪をひいてしまいました。
木箱を二つ並べただけの固いベッドに、埃避けの毛布を掛けただけの状態で眠っていたのですから、まぁ無理もないでしょう。
こんなことにならないよう普段から気をつけていたので、久しぶりの体調不良に苦しさが募ります。
起き上がる気力もないまま目を閉じて、それからどのくらい経ったでしょう。
いつの間にか、私はまた昔の夢を見ていました。
*
夢の中の私は、高校二年生でした。
あれはたしか、冬の日のこと。
あの日も私は風邪をひいて、一人、家で眠っていました。
小学生の頃に父が再婚し、家族は増えていました。けれど継母はフルタイムで働いていたので、日中の家には誰もいません。
喉が渇いていましたが、起き上がるのもしんどくて、私はそのまま目を閉じました。
次に目が覚めたのは、夕方でした。
継母と、その連れ子である妹、そして継母と父の間に生まれた妹――三人の楽しげな話し声が、リビングの方から聞こえてきます。きっとその声で目が覚めたのでしょう。
枕元には、冷えたスポーツ飲料のペットボトルと薬が置かれていました。
様子を見に来てくれた継母が、置いていってくれたのだと思います。
それを飲んでしばらくすると体が楽になったので、リビングに顔を出そうかと思いました。
けれど、一つ下の継妹の楽しげな笑い声を聞いて、私は、それをやめたのでした。
*
夢が途切れ、意識がゆっくりと浮かび上がります。
ここは私の部屋ではありませんね。
知らない場所に、たった一人。
そのことを思い出した途端、急に寂しさが込み上げてきました。
『まるで、あの日みたい』
そう思った時です。
ふと、すぐそばに誰かの気配を感じました。
振り向いた先にいた人、それは――
子供の頃、押し入れの中で会った、黄色いあの人でした。
酷く愛おしげに私を見つめ、私だけに向かって伸ばされたその手に縋るように手を伸ばしかけた、まさにその時です。
「ヒナタ?!」
アルセルさんが、私の名を呼びました。
次回の投稿は、本日の21時10分の予定です。




