第4話|星空の下で朝食を
抱き起こされた次の瞬間、冷たく澄んだ外気が肺いっぱいに入り込み、
「げほっ、げほっ……!」
私は激しく咳き込みました。
生理的な涙で視界が霞む中、それでも私を抱く力強い腕の主を確かめようと、どうにか顔を上げれば――
そこにいたのはやはり、黒狼の面をつけた彼でした。
恐らく、熾火が彼を呼びに行ってくれていたのでしょう。
キッチンと違って煙突もないこの部屋で、扉を閉め切ったまま炭火炬燵を焚いていたせいで、一酸化炭素中毒にでもなってしまったものと思われました。
そのうえ毛布まで頭からすっぽりと被っていたのですから、我ながら迂闊だったとしか言いようがありません。
狼面の彼から『死なせるな』と命じられていたのに、こんなことになってしまい、ひどく焦った様子で尻尾を足の間に巻き込み、その隣で小さくなって不安そうに鼻を鳴らす熾火に、
「私の不注意で心配かけてしまってごめんなさい。あなたがこの人を呼んできてくれたから助かったわ。本当にありがとう」
そう笑いかければ、狼面の彼が熾火へ向けていた強い怒気が、ゆっくりとではありましたが和らいでいくのが分かりました。
「……こんなことでオレから逃げられるとでも思ったか?」
そう言って、さらに小言を続けようとする彼の言葉を遮るように、
「冷たいお水が飲みたい」
反論するでもなく、つい、その瞬間に思ったことをそのまま口にすれば。
「っ!」
彼は怒ったような、呆れたような顔で一度口を開きかけましたが……。
結局は何も言わず、そっと私を椅子に座らせると、一人で井戸へ向かっていきました。
炬燵がダメなら、さて、明日から寝る時の暖はどう取ろう?
まだ少しくらくらする頭で、そんなことをあれこれ考えていた時でした。
「なっ、何だコレは!?」
裏庭から、彼の驚愕の声が響いてきました。
何事かと、少々足をもつれさせながら急いでドアを開けます。
するとそこには、私の作った夜のとばりを見上げ、呆然と立ち尽くす彼の姿がありました。
「あっ、その、これは……」
考えてみれば、貴重な石を割ってしまった挙句、そこそこ高そうな生地のカーテンまで勝手に……。
閃いたら後先考えず、すぐにやってしまうのが私の悪い癖です。
これまでにも、これで何度周囲を閉口させてきたことか。
けれど、家族や友人、先生とは違い、彼と私は出会ったばかりの赤の他人。
ここを追い出される前に、何とか挽回しないと!?
そう焦った私の口から飛び出したのは、
「そうだ! 折角ですから星空の下、一緒に朝食にしませんか?!」
という、実にちぐはぐなものでした。
彼から否定の言葉が返ってこなかったのをいいことに、早々に私の都合のいいように解釈することに決めて。
キッチンに戻り、さて、主食は何にしようと首をひねります。
思わず朝食と言ってしまった手前、さすがに、なんちゃって紅茶だけというわけにはいきませんよね。
何かないかと辺りを見回せば、昨晩(?)、一欠片味見したきり手をつけていなかったレーションが目に入りました。
それ自体にカビは生えておらず、食べようと思えば食べられるとはいえ……。
保存中に木箱から移ったカビ臭のするレーションを、そのまま出すのは憚られました。
どうしたものかと再び周囲を見回せば、同じく昨晩(??)、鍋から取り出しておいた茹で芋が目に入りました。
「そうだ!」
ポンと手を打つと同時に声を上げれば、思った以上に大きな声だったようで。
これ幸いと主の元を離れ、私の後を追ってキッチンに戻ってきた熾火が、ビクッと体を震わせました。
熱源の方から来てくれたことですし、さっそく調理に移りましょう。
まずはレーションを細かく砕き、そこへ紅茶と茹でた芋を加えて混ぜ合わせ、生地を作ります。
次に、それをカップで型抜きして天板にのせ。
最後に熾火の尻尾の火でじっくり焼き上げれば……。
まぁまぁ、なんということでしょう!
あっという間に、キッチンの中が甘く香ばしい香りでいっぱいになりました。
「お待たせしました!!」
浅い木皿をトレー代わりに、焼き立てのなんちゃってスコーンと淹れたての紅茶を載せ、狼面の彼のもとへ運びます。
上手くできた嬉しさのあまり、そのままズイッとトレーを差し出せば、彼が思わずといった様子で、立ったままソーサーごとカップを受け取ってくれました。
私も彼の隣、石段の最上段にストンと腰を下ろし、脇にトレーを置きます。
小さく『いただきます』と手を合わせた後、即席スコーンの焼きたての熱さに少々苦戦しながら、素手で二つに割れば……。
なんちゃって星明かりの下、白い湯気がフッと柔らかに立ちのぼりました。
何しろ今いるのはダンジョンの地下ですから、バターもクリームもなく、味わいは実に素朴なものです。
しかし、熾火の絶妙な火加減のおかげでふっくらと焼き上がっており、誰かと一緒に焼きたてを食べるのなら、これも意外と悪くないんじゃないかと思われました。
呆然とした様子のまま、狼面の彼は私につられるようにカップの持ち手に指をかけました。
そうして、魔王という肩書には似つかわしくないほど綺麗な所作で、紅茶を一口飲んだ、その時でした。
禍々しくも美しい仮面の上部が、パキンと音を立てて割れました。
それに驚き彼の方を見やれば――
短く艶やかな黒髪が露わになると同時に、仮面の奥で赤く妖しく光っていた瞳が、深い海を思わせるサファイア色へと変わっているのが分かりました。
初めて間近に見るその瞳の美しさに、思わず見惚れていた時でした。
鮮やかな青い瞳に真正面からフッと見つめ返され、思いがけず私の心臓がドクンと高く跳ねました。
頬が赤くなるのを自分では上手く止められず、慌てて顔を背ければ、
「気分はどうだ」
そんな、やはり魔王には似つかわしくない、体調を気遣う言葉をかけられ、
「はい、もうすっかり大丈夫そうです」
そうなんとか答えた声が、またしても変に上ずるのを、私は上手く止めることができませんでした。
彼と二人、互いに黙ったまま、なんちゃって紅茶を飲みます。
長いことなにやら躊躇った末、彼がなんちゃってスコーンを口にしました。
すると、また仮面が少し欠け、今度は彼の綺麗な額の一部が露わになりました。
彼の仮面の下の素顔は、一体どんなものなのでしょう!?
好奇心をかき立てられた私は、彼が紅茶やスコーンを口にする様を、こっそり盗み見し続けたのですが――
彼が残りのなんちゃって紅茶となんちゃってスコーンを全て食べ終えても、残念ながら、それ以上仮面が砕けることはありませんでした。
「あの! 他に何か食べたいものはありませんか?!」
立ち去ろうとする彼に向かって、思わずそんな声をかければ、
「……そんな感覚、とうの昔に忘れた」
そう言って、彼はまた私を拒絶するように歩を進めました。
それでも。
そのまま別れるのが何だか妙に惜しく思えて、
「私、日向といいます。あなたのお名前は?」
思わずそう尋ねれば、彼はしばらく黙ったまま歩み去っていくばかりでしたが……。
扉の向こうへ姿を消す少し前に、
「……アルセルだ」
こちらを見ぬまま、しかしそう短く、彼自身の名を明かしてくれたのでした。
次回は、明日の午前7時10分に投稿予定です。
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