第27話|本物の聖騎士
「と、言う訳で私、ダンジョンに戻りたいと……」
そう言いかけた私の言葉を、
「その必要はない」
陛下が一方的に遮りました。
それでは、また魔王の脅威に晒されますよと脅してみても、陛下は、
「行かせない」
と、そう繰り返すばかりで……。
特に何の代案も出てこないことから、この国にはもう、内にも外にも打つ手がないのだろうということが察せられてしまいました。
「ここにいろ。……俺だって、最期くらい、自分が本当に欲しいものを望んでも構わないだろう」
言葉の強さとは裏腹に、まるで縋るように手を取られて。
怖いという思いが拭えないのは本当なのに、咄嗟にその手をどう振り払えばいいのか、分からなくなってしまいました。
ダンジョンに送られる前、私が使っていた部屋は、そのままの形で残されていました。
もともと客間だったそこを、別に私が大きく変えたわけではないので、当然と言えば当然なのかもしれませんが……。
陛下から贈られた宝石箱や櫛まで以前と変わらず置かれているのを見ていると、得体の知れない閉塞感に、思わず息が詰まりました。
ダンジョンから救い出されたことを純粋に喜んでくれている侍女さんを前に、むしろ不自由が増えただけだとは言い出せません。
部屋の前に立つ近衛をちらりと見て、ぎこちなさすぎる愛想笑いを返した――その時でした。
鎧を脱ぎ、聖騎士の制服を纏ったアルセルさんが、実に慣れた様子で部屋に入ってきました。
驚く侍女さんの様子から察するに、専属の侍女さんと陛下以外、この部屋には誰も立ち入れないことになっていたのでしょう。
「よく入れましたね」
そう言って、アルセルさんに座るよう勧めると、
「腐っても聖騎士だからな」
アルセルさんは我が物顔でソファーへ腰を下ろし、楽しげに笑いました。
引き離された後、アルセルさんがどうなったのか心配していましたが。
ギン君の口添えにより、暫定的に聖騎士への復職が認められ、城ではかつてと同じように過ごしているとのこと。
「何か困っていることはないか?」
そう聞かれ、
「退屈で死にそうです」
そう返すと、なんとアルセルさんがお散歩に連れ出してくれることになりました。
「なりません!」
「どうぞ陛下のお許しを得てからに」
行く先々で、いろんな人にそう止められましたが、
「裏庭に出るだけだ。心配ならついてくればいいだろう」
アルセルさんはそんな制止を軽くあしらい、私をエスコートしたまま、歩みを止める事はありませんでした。
ガゼボから見える小さな噴水が、光を受けてキラキラと輝く姿が綺麗で。
ダンジョンのお庭にも噴水を置いてみるのはどうだろうと思った時でした。
「しばらく留守にする」
アルセルさんにそう言われ、驚いてその顔を見ました。
何でも、ギン君と共に聖騎士として、少しの間、国境防衛の戦いに赴くことになったのだとか。
「その必要はありません! こうなったら一刻も早くダンジョンに戻りましょう。上層階から降りて来られないように、道を崩して塞いでしまうとか、やりようはあるはずです」
懸命に説得しましたが、
「心配ない。すぐ帰る。言うだけ無駄だとは思うが、オレが戻るまで大人しくしていろよ?」
そう言って、アルセルさんは余裕綽々と笑ってみせるばかりで。
私の必死の懇願も虚しく、そのまま戦場へと旅立ってしまったのでした。
アルセルさんと離れ、あっという間に三月が経ちました。
手紙を何通も書きましたが、それに対し返事が返って来ることは一度もありません。
恐らく私の手紙は、陛下の命で王宮の外へ出ることすら許されていないのでしょう。
けれど、もし、返事が来ないのは、その手紙を受け取る人を、既に失ってしまったからだとしたら……。
そう考えると、居ても立ってもいられませんでした。
何とか直接会いに行って、その無事を確かめようとしましたが、さすがに王宮の警備は厳しく、抜け出すことも叶いません。
やることもないまま一人で長い時間を過ごすうち、こちらの世界に来た時のことを思い出しました。
*
そう、あれは独り暮らしの部屋の中にさえ自分の居場所を見つけられず、孤独に押しつぶされそうになっていた時でした。
電気を消し、PCの明かりだけが灯る部屋の隅に、一つの影を見つけました。
赤い鼻をした、黄色い犬?
一瞬そう見えましたが、よく目を凝らせば、幼い頃に保育園の押し入れで会った、黄色いあの人でした。
驚いて周囲を見渡せば、いつの間にか部屋の壁は消え、何もない薄暗い空間だけがどこまでも続いています。
私の視線の先で、彼はスパゲッティ状の『何か』の中から、小さな光る欠片を取り出すと、それを実に大事そうに抱きしめました。
「会いたかった」
はらはらと涙を流す彼を見ているうちに、意味も分からぬまま胸が痛くなったその瞬間です。
ぱちり、と彼と目が合いました。
驚いたように見開かれたエメラルドの瞳が、すぐさま実に嬉しげに細められ、彼が私に向かって手を伸ばした、その時でした。
突如として轟音が響き渡り、世界そのものが引き裂かれるように、私の足元が崩れ――
私はそのまま、暗く、深い深い裂け目へと落ちていったのでした。
次に気が付いた時、私がいたのは、自分の部屋ではなく、石造りの地下室のような場所でした。
少し先の足元には、複雑な紋様を描く魔法陣があって。
その中央には、あのスパゲッティ状の『何か』が置かれ、それを囲むように法衣を纏った人々が並んでいました。
そして、その中に一人だけ、法衣とは異なる一際豪華な衣装を身に着けた、私とそう年の変わらない青年がいました。
見れば、その人は陽光を思わせるような淡い金髪をしています。
一瞬、黄色いあの人かと思いましたが、スパゲッティ状のそれを酷く汚らわしげに避ける姿を見て、彼ではないことを直感しました。
よく見れば、瞳の色も違います。
黄色い彼が燃えるようなエメラルドの瞳をしていたのに対し、目の前の青年の瞳は、凍えるように冷たいアイスブルーをしていました。
*
広いベッドの上に、膝をギュッと抱え、小さく蹲っていた時でした。
「帰りたい?」
すぐ後ろから、黄色いあの人の声がしました。
顔を上げぬまま頷けば、
「遅くなってごめんね。一緒に帰ろう」
黄色いあの人がこちらへ手を伸ばす衣擦れの音が、すぐ耳元に聞こえた、その時です。
「ヒナタ」
ずっと一緒に帰りたくて仕方がなかった、その人の声に名前を呼ばれ、パッと後ろを振り向けば――
そこにいたのは、会いたかったアルセルさんで。
黄色いあの人は、やはりもうどこにもいませんでした。
「大人しくしていろと言ったはずだが……。やはり言うだけ無駄だったようだな」
外鍵が何個も増え、窓には脱走防止の木枠が取り付けられるに至った私の部屋の惨状を、やれやれと見回し、笑うアルセルさんの胸に
「おかえりなさい!!」
思わず飛び込めば、
「ただいま」
そう言って、アルセルさんが危なげなく抱き留めてくれました。
「怪我はありませんか? ずっと心配していたんですよ!?」
鼻をすすりながらそう言えば、
「退屈の間違いじゃないか?」
そう呆れられたので、抗議の意味を込めてギュッと抱きつく腕に力を込めれば、
「今、首をへし折られそうな以外、特に何もない」
アルセルさんはそう笑って、冗談だとでも言うように、優しく私の髪を撫でてくれました。
「土産がある」
そう言って、大きな箱を持った別の侍女さんを部屋に招き入れたアルセルさんが見せてくれたもの。
それは、銀糸の刺繍が美しいサファイアブルーのドレスと、アルセルさんの瞳と同じ色をした、豪華絢爛なサファイアの首飾りでした。
「もっと嬉しそうな顔をして見せたらどうだ?」
アルセルさんはそう言うと、不満げな言葉とは裏腹に、何故か酷く上機嫌に笑いました。
アルセルさんの連れて来た侍女さんたちにされるがまま、髪を結われ、ドレスを身に纏い、
「行こうか」
白い手袋をつけたアルセルさんの手を取りました。
こんな格好でどこに行くのかと尋ねれば、今から戦勝パーティーがあるとのこと。
「お待ちください」
部屋専属の侍女さん達が止めようとしましたが、アルセルさんは、
「招待状なら持っている」
そう言って、またも私を伴いあっさりと部屋を出ました。
「アルセル・グランヴェル様です」
王宮のパーティー会場で、従者がその名をよく通る大きな声で告げた途端、会場が一瞬、しんと静まり返り、皆が一斉にこちらを見たのが分かりました。
周囲の女性陣から向けられる熱い視線にやや尻込みしつつ。
それでも着飾ったアルセルさんは、やはりすごく容姿の整った人なのだなと、前髪を上げたアルセルさんの形の良い額を改めてじっと見ていると、
「変なところばかり見るのはやめろ。不安になるだろうが」
アルセルさんが、なんとも言えない顔で眉をひそめました。
そこで
「生え際はまだ当分大丈夫そうですよ」
と、きちんとフォローを入れたのですが。
「それは良かった」
仕返しとばかりにグッと手を引かれ、ダンスの輪の中へ引き込まれてしまいました。
「あの、私、ダンスはその、ちょっとだけ苦手で……」
自分のリズム感の悪さを過少申告すれば、
「ちょっと、ね」
アルセルさんは意地悪く鼻で嗤うと、私の背をぐっと抱き寄せました。
そして、そんな私を危なげなくリードしながら、くるくると踊る人々の間を優雅に進んでいきます。
聖女なのだから、ダンスの一つも出来なくてはと王城で教えられた時には、難しいばかりで、何も楽しくはなかったのに。
アルセルさんにリードされて踊ると、まるで夢の国で乗ったコーヒーカップのように、何もかもがキラキラと輝いて見えて、楽しくて。
曲が終わってしまうのがあまりに残念で、
「もう一回! もう一回踊りましょう!!」
思わずそんなことを言えば。
アルセルさんは一瞬、酷く驚いたような顔をした後、
「あぁ、喜んで」
そう言って。
私だけでなく、周囲の女性陣まで思わず頬を染めてしまうほど、甘く甘く笑ってくれたのでした。
楽しかったダンスの音楽が止まり、会場に現れたのはエルドリック陛下でした。
どこか苦々しげに語られる陛下の言葉から、アルセルさんの鬼神のごとき活躍により、隣国との戦いに停戦がもたらされたことが分かりました。
人々が改めて感嘆の視線をアルセルさんへ向ける中、当のアルセルさんは慣れた様子で、スンと澄まして立っています。
「聖騎士アルセル。此度の活躍、ご苦労であった。褒賞を与えよう。何を望む?」
陛下の言葉に、
「聖女ヒナタを我が妻に。婚姻の後はダンジョンへ戻り、魔物の討伐を続け、国の防衛のため、この身を捧げたく存じます」
跪き、そんなことを言ったアルセルさんに、これも予定された流れなのだと勘違いした周囲の人々が、拍手を送ろうとした――その時でした。
「ならぬ」
陛下の押し殺したような一言に、会場が凍りつきました。




