第25話|久しぶりの地上
井戸の側面から採った重曹らしき白い粉を井戸水で練り、ペースト状にします。
それを柔らかな布に取り、鎧のパーツを一つずつ丁寧に磨きます。
最後に湖の水で綺麗に洗い流し、乾いた布で磨き上げれば――
長い年月の間にこびりついた黒ずみがすっかり落ち、黒だと思っていたアルセルさんの鎧が、白銀の輝きを取り戻しました。
マントもどこかに仕舞ってあるなら、それも繕いましょうと声をかけると、聖騎士の紋章入りのマントは、ダンジョンへ追放される際に、さすがに没収されてしまったとのことで。
アルセルさんが代わりに見せてくれたのは、使った形跡のない、埃まみれのただの黒いマントでした。
本来なら、剣や鎧も没収されるはずだったそうですが、慣れた武具でなければうまく戦えないと訴えたところ、聖騎士の紋章の一部を削り落とすことを条件に、使用を許されたとのこと。
「……紋章も、出来る限り繕いましょうか?」
少し迷った末にそう尋ねると、
「そこまで誰も見ていないだろう」
と、アルセルさんは実に興味なさそうに肩をすくめてみせました。
きっと、これまでだったら、アルセルさんは過去の断罪を思い出し、暗い目をしたまま長いこと黙り込んだりしたでしょうに。
そのあまりにあっさりとした物言いが、妙に嬉しくて
「そうですよね」
私もつられるように上機嫌で返せば、アルセルさんは庭に出て、マントに積もった埃をバサッと払いました。
「すぐに帰ってきますから。留守をお願いしますね」
私のその言葉を受け、熾火が一度ぱさりと尻尾を振り、灯雪がにゃーんと小さく鳴きました。
以前、アルセルさんにしがみつくようにして下ってきた道を、今度はアルセルさんと並んで登っていきます。
祭壇を越え、昔の聖騎士たちが使っていたとされる補給基地を通り過ぎ、さらに歩いていくと――
細い道を塞ぐように、薄い金色を放つ光の膜のようなものが見えてきました。
私を祭壇の上に置き去りにしていった聖騎士の人たちが、ずっと昔、優秀な聖女が施した結界だと言っていたもの。
それに手を伸ばすと、まるでドライアイスの霧をかき分けるように、何の抵抗もなく越えることが出来ました。
緊張した面持ちのアルセルさんに、
「大丈夫、行きましょう」
そう言って、最初とはあべこべに私から手を伸ばせば。
アルセルさんは小さく頷いた後、私の手を取ると、光の膜に向かって大きく一歩を踏み出しました。
結界が、人間の姿を取り戻したアルセルさんを拒むことはもうなくて。
アルセルさんは一度だけ背後を振り返ったのち、しゃんと背を伸ばして前を向くと、私の手を離さぬまま、私に歩調を合わせ、更に上を目指して歩き出しました。
湧き水のそばでお弁当を食べたり、ダンジョンの所々にある補給基地で眠ったりしながら上を目指し続け、どのくらい経った頃だったでしょう。
不意に、アルセルさんが足を止めました。
何かの気配を感じたのでしょうアルセルさんが私を背に庇い、素早く剣を抜くのとほとんど同時に、通路の先から騎士団の鎧を纏った若い騎士さんが剣を構えて飛び出してきました。
一瞬、互いに剣を向け合った後。
騎士さんはアルセルさんの後ろにいる私に気づくと、驚いたように剣を下げました。
「魔物じゃない! 人だ! 女の子もいるぞ!!」
彼が大きな声で、後ろにいるのであろう仲間に呼びかけるのを、ドキドキしながら見ていた時でした。
「ヒナタ?!」
名前を呼ばれた方に目を凝らせば、
「ギン君……?」
隊の後方から、酷く驚いた様子でこちらへ駆けてくるギン君の姿が見えました。
「よかった、無事だったのか!! でも、何でこんな所に?! こいつは??」
矢継ぎ早に繰り出されるギン君のその問いに、
「魔王を討伐し、私を助け出してくれた聖騎士さんです。皆さんよりずっと昔にこのダンジョンに入って、魔物の討伐を続けられていた方ですよ」
そう答えると、ギン君はハッと表情を険しくしました。
そして長いこと何も言わず、アルセルさんの鎧にある欠けた紋章を、睨むようにじっと見つめた後。
「本当に……本当に無事でよかった。守れないどころか、傷つけたこと、赦されるなんて思ってない。それでも、今度こそ一緒に帰ろう」
アルセルさんには何も言わないまま、私にそう言って手を伸べました。
「もしも、もしもですが……。私が、ダンジョンの異変はまだ完全には収まっていないので、聖女と聖騎士としてこれからも二人で魔物を討伐しながら異変を鎮めていきます。ですから救助は不要ですと言ったら、どうします?」
「聖女様は錯乱されていると判断し、命に代えても、聖女様だけはちゃんと地上までお連れするよう、王命を受けております」
アルセルさんから目を逸らすことなく言ったギン君の言葉に、アルセルさんは剣の柄にかけていた手を離し、やれやれと軽く肩を竦めました。
それを見て、私もこの場での説得は諦めます。
「殿は僕が務めます」
アルセルさんの手を握ったまま、差し出された手を取ろうとしない私に、思うところは多々あったのでしょう。
ギン君はアルセルさんから一度も視線を外さぬまま、静かにそう言いました。
ギン君たちと合流し、食事の回数から数えて四日目くらいのことです。
ついに、通路の先に細い光が見えました。
初めは点のようだったそれが、進むにつれてだんだんと大きくなり、やがて帯状になって地面に落ちているのが見えるようになりました。
胸をドキドキさせたまま、真っすぐ前を向き、ひたすら足を動かせば一歩、また一歩と光が近づいてきて。
そして――
ついに私達は、光の中へ足を踏み入れました。
ダンジョンを出た瞬間、ゴーッと風が吹き抜け、草木が一斉に揺れました。
足元の草の葉が一枚、風に巻き上げられます。
どこまでも高い空へと吸い込まれていくそれを思わず目で追えば、降り注ぐ陽光の眩しさに思わず一瞬目がくらみました。
目を細め、なんとかその眩しさをやり過ごしながら、隣にいるアルセルさんのことを考えます。
アルセルさんが改めて地上で暮らすことを選んだとしても、それは仕方のないこと。
そう思いながらも、落ち着かない気持ちで彼の方を振り向けば……。
アルセルさんは手で庇を作り、しばしその眩しさに眉間に皺を寄せていましたが……。
やがて目が慣れたのか、ゆっくりとその手を下ろしました。
そして私の視線に気づくと、不思議そうに小さく首をかしげてみせます。
「えっと……久しぶりに陽光を浴びたご感想は?」
想定とは全く違うアルセルさんの反応に、思わずそんなことを尋ねれば、
「久しぶりって、お前が地下にも同じものを作ったばっかりだろう?」
何の感慨もなくそう返され、拍子抜けすると共に、我知らず肩に入っていた力がようやく抜けていくのが分かりました。
「ヒナタ、一緒に逃げ……」
最後にダンジョンから出てきたギン君が、何かを言いかけた時でした。
周囲がざわっとなり、聖騎士の皆さんがその場に膝をついて頭を垂れました。
何事かと、皆が頭を垂れている先へ目をやれば、二十代後半と思しき、金髪にアイスブルーの瞳をした身なりの良い男性が、こちらに向かって鷹揚に歩いてきます。
エルドリック元王太子殿下――いえ、ギン君の話によれば、今は国王陛下その人の、突然の登場に思わずその場に固まれば
「相変わらず不敬なやつだな」
そう声をかけられ、その一見優しげな声に、背中に緊張が走りました。
慌ててこちらで習ったカーテシーをしてみますが、相変わらず全く形になっていなかったでしょう。
陛下は、
「よい」
そう言うと、一見実に人がよさそうに柔和に笑い、私に頭を上げさせました。
「聖女ヒナタ。よくぞ無事に戻った」
陛下の瞳の奥が笑っていないのに気づき、反射的に目をそらすように再び頭を垂れれば、
「その方は?」
陛下がアルセルさんの方を向き、その瞬間、僅かにギン君の方にも緊張が走ったのが分かりました。
アルセルさんは、まるで値踏みするように、立ったまま数秒の間、真っすぐ陛下を見返していましたが――
やがてフッと小さく鼻で嗤うと、
「アルセル・グランヴェルと申します」
そう名乗り、他の騎士たちと同じように膝を折ってみせました。
「グランヴェル?」
その家名を聞いて、陛下の眉が小さくピクリと動きました。
「また古い名だな。しかしグランヴェル家に、そのような名の者がいたとは聞いたことがないが」
陛下の言葉に、
「なにぶん、長い時が経ちましたので」
アルセルさんは、ただ本当のことだけを淡々と返します。
そのやり取りにハラハラしながら、
「陛下にお願いしたいことがございます」
ぷるぷる震える足に耐え、頭を下げたまま口を開けば――
話に割り込まれたことで、気分を害したのでしょう。
エルドリック陛下の纏う空気が、すっと冷えたのが分かりました。
「それはまた後で聞こう。まずは城でゆっくり休むがよい」
纏う空気とはちぐはぐな、優しげな声音に、今ここで目を合わせては負けると直感し、そのままの姿勢で、さてどうしたものかと思案していると、
「お言葉に感謝します」
アルセルさんがさらりとそう言って、立ち上がってみせました。
アルセルさんはただの高慢なお坊ちゃんに見えて、実はなかなかのやり手だなと思いながら、私もその言葉が二人に向けられたものであるかのように、何食わぬ顔で立ち上がります。
すると陛下は実に不愉快そうに目を細めましたが、この場で事を荒立てるのはまずいと思ったのでしょう。
鷹揚に頷いてみせると、それ以上は何も言わず、私たちに背を向けたのでした。




