第2話|良薬と紅茶
えっと……?
とりあえず、入っていいってこと、ですよね??
そんなことを思いながら、一緒に入ってきた狼型の魔物の尻尾の明かりを頼りに、部屋の中を見渡します。
礼拝堂の奥に設けられた生活スペースと思しきそこは、小さなホールのようになっていて。
隅には可愛らしいキッチンスペースがあり、さらにどこかへ通じる三つのドアがありました。
試しに一つのノブを回してみると、その先は物置部屋でした。トルソーや絵画と思しきものには布がかけられ、その上には厚い埃が積もっています。
もう一つの扉を開ければ、その先にあったのはお風呂とトイレ。
そして最後の扉の先に続いていたのは、陽光の差さない、柵に囲われた荒れ果てた裏庭でした。
数段の石段を下り、生い茂った植物をかき分けながら裏庭を進むと、小さな井戸を見つけました。
試しに汲み上げてみると、上がってきたのは、油膜が張ったようにギラギラとした色の水です。
「ねえ、飲めそうなお水はどこかにあるかな?」
だめもとで、足元についてきている狼型の魔物にそう尋ねてみましたが……。
何の反応もありません。
仕方がないので、私は一度キッチンへ戻る事にしました。
キッチンと言っても、そこにあるのは火のない竈と作業台、それに流しと空の水瓶だけでした。
当然ながら、綺麗な浄水の流れる水道があるわけではありません。
緊張が解けたせいでしょうか。
突然、強い空腹を思い出し、
「何か食べられるもの、ないかな」
そう狼型の魔物に尋ねてみましたが、それは床に伏せたまま、やはりこちらを見ようともしません。
自分に言われているとは気づいていないのかと思い、
「狼くん」
「銀郎ちゃん」
「金目さん」
と、適当に呼んでみましたが、どれも違う様子で無視を貫かれます。
しかし、最後に思いついた、
「熾火」
という名前を呼んだ時でした。
ハッと体を起こした狼型の魔物のその目の奥で、綺麗な炎がパチリと爆ぜたのが分かりました。
そうして、狼型の魔物――改め熾火はやおら立ち上がると、傍らにあった木箱を鋭い爪で軽く引っかいてみせました。
「開けてみろってこと?」
私の言葉を受け、熾火は一歩後ろに下がり、そうだと言わんばかりに再び地面へ伏せました。
果たして魔物に言葉が通じるのだろうかと半信半疑ながら、木箱を開けてみれば――
そこには本当に、表面にカビの生えた干し肉、そして油紙に包まれたレーションらしきものが入っていました。
「熾火、あなた賢いのね」
そう言ってどさくさに紛れ頭を撫でようとしましたが、実に嫌そうにスッと身を躱されてしまいます。
一旦、そのモフモフを堪能する事は諦め、木箱の中にあったレーションを小さく割って口に含むと、微かなカビ臭さと、その強いパサつきに、ひどい喉の渇きを覚えました。
「ねぇ、どこかに、飲めるお水はないかな?」
熾火に再びそう尋ねれば、熾火は一度こちらを半眼で見た後、やれやれと言いたげな様子で立ち上がりました。
そして、そんな熾火に案内されてたどり着いた場所――
それは、やはり先ほどの井戸でした。
「あの人も、まさかこれを飲んでるの?」
熾火に思わずそう尋ねれば、そうだとばかりに、その尾が小さく揺れます。
渇きに耐えかね、覚悟を決めて恐る恐るそれを口に含めば……。
とりあえず飲めはしましたが、それはとにかく苦くて仕方がありません。
「生命線ともいえる水がこれじゃあね。いくらここが素敵な場所でも、魔王様だって地上侵略を企みたくもなるよね」
思わずそんな独り言を呟けば、なぜか呆れたような目でこちらを見る熾火と目が合いました。
味はさておき。
とりあえず喉の渇きが癒された今、ますます空腹が気になり始めたので、私は三度キッチンへと戻ることにしました。
試しに干し肉のカビをナイフでこそげ落とし、薄く削いだものを思い切って口にしてみましたが……。
こちらはこちらで塩辛すぎて、とても食べられたものではありませんでした。
思わず熾火に、
「あぁ、私はここで飢え死にするんだぁ~」
と泣き言を漏らせば、『死』という言葉に慌てたのでしょうか。
熾火は小部屋へ走っていった後、一冊の本を咥えて戻ってきました。
押し付けるように差し出されたそれを開けば、そこには手書きと思しき植物やポトフの絵と、私には読めないこちらの文字が記されています。
かつて礼拝堂に住んでいた修道士の、備忘録のようなもの、なのでしょうか?
物は試しと、裏庭にある菜園だったと思しき場所を掘り返してみると、備忘録に描かれていたのと同じ芋と、しなびた人参によく似た根菜、そしてゴボウのような地下茎が見つかりました。
折角だから、そこに描かれていたポトフを作ってみようと、ギラギラした井戸水で、キッチンにあった蜘蛛の巣だらけの鍋を綺麗に洗い、水を張って。
さて、火はどうしようかと悩んでいると、綺麗に灰をかいた竈の中へ、居心地よさげに熾火が収まりました。
熾火の尻尾の揺れに合わせて、お湯がポコポコと沸きます。
温かな湯気と共に立ち上る、香りも上々。
しかし――
そうして備忘録に描かれていた通りの材料を使って完成したポトフの味は、シンプルに言って最悪でした。
苦いうえに油膜まで浮かぶスープは、甘すぎる芋の黄色と、水に溶けてとろみを増した地下茎の青色が混ざり合い、見た目を例えるならヘドロ色のスライム。
副菜として添えた人参に似た根菜も、中はスッカスカで食感は最悪なうえ、柑橘類を思わせる強烈な酸味がありました。
おまけに、それには花のような甘やかさと、青くほろ苦い柑橘の香りまで混じっていて……。
単体ならきっといい香りなのでしょうが、素朴なポトフのような味を期待していた私には、その華やかな香りがどうにも鼻について仕方がなかったのです。
まるで、何種類もの漢方薬を一緒くたに溶かした葛湯のようだと、そんなことを思った時です。
不意に、昔、祖母の家で熱を出した日の記憶が蘇りました。
祖母が、私のために特別に煎じてくれた甘いはちみつ入りの薬を飲み、
『まるで紅茶みたい』
そう笑った私に向かい、
『昔は、お茶は薬として使われていたのよ』
と教えてくれた、祖母の優しい笑顔を思い出した時です。
突然、素晴らしいアイディアが閃きました!
早速もう一度、苦くてギラギラした水を沸かし、その中に甘すぎる黄色い汁の出る芋を入れます。
ただし、今度は地下茎を入れず、十分に味と色が出たところで、煮崩れする前に芋を取り出しました。
次に、棚の奥に大事そうにしまい込まれていた金細工の装飾が美しい陶器のカップとソーサーを取り出し綺麗に洗った後、そこへ先程作ったスープを注ぎます。
そうして仕上げに、薄くスライスした根菜を数枚、水面に浮かべれば――
熾火の尻尾の明かりを受けキラキラとオレンジ色に煌めく、ベルガモットのような華やかな香りと、蜂蜜入りの紅茶のような味わいの、目にも舌にも美味しい飲み物が完成しました!!
ダンジョンに来て初めて再会できた、“健康(?)で文化的”な味に感動した私が、狼面のあの人もお茶に誘おうと、入ってきたドアへ手を伸ばした、その時でした。
これまで大人しくしていた熾火が、すっと体を低くすると、私に向かって牙を剥き、低く唸りました。
私が逃げ出そうとしたとでも思ったのでしょうか?
少し考えた後、しゃがみ込んで熾火と目線を合わせながら、
「あの人に声をかけるだけで、どこにも行かないよ。むしろ、私はここが好きよ? ちゃんと見つけてもらえたうえ、居場所まで貰えたんだもの」
そう語りかければ。
熾火はしばし迷うような様子を見せた後、テレパシーのようなものを使って、私の頭の中に何かの映像を送ってきました。
突然のことに驚きつつも、なんとかその映像に意識を集中させます。
すると、そこに映っていたのは、鎧と仮面を身につけたまま、一部崩れた柱にもたれかかるように座って眠る、あの人の姿でした。
片膝を立て、俯くように眠るその姿は、先程会った時よりも人間味を増して見えます。
艶やかな黒の短髪に、仮面と鎧の間から覗く筋張った首筋。
改めて見ると、その人は声の印象と同じ、私より少し年上と思しき二十代そこそこの、若い人のようにも見えました。
「眠ってるから、起こさないであげてってこと?」
そう尋ねれば、熾火はそれを肯定するように、尻尾を一度、小さく横へ揺らしました。
眠っているならしょうがないか。
そう思いながら、改めて彼の姿に目をやった、その時です。
魔王とされる彼の纏う鎧に、一つの紋章が刻まれていることに気がつきました。
鎧の胸元に刻まれたその紋は、かつて金色だったのであろう表面が黒くくすみ、一部欠けてはいたものの――
私をここまで連れてきた兵士さん達のものと確かに同じ、聖騎士のものでした。




