第1話|生贄聖女と黒狼面の魔王
「よくぞおいでくださいました、聖女様。どうか、貴女様のお力で魔王より我らをお救いください」
突然の異世界召喚とともにもたらされた、そんなネット小説でおなじみの台詞に
『この世界では、私も誰かに必要としてもらえるんだ!』
と、胸を熱くしたのも束の間。
「聖女様に、主のご加護があらんことを」
そう言うや否や、城の兵士さん達はダンジョンの奥深くにある祭壇の鎖へ私の手首をつなぐと、実に冷めた様子で、そそくさと地上へと帰っていきました。
その後ろ姿を見送りながら、
『人々を救う=生贄になるという意味だったのか。なるほど、道理で剣や魔法の特訓などなかったわけだ』
と、妙に納得していた時です。
暗闇の中、何かが蠢いたのが分かりました。
姿は見えませんが、こちらの様子をうかがいながら、少しずつ近づいてくる気配は一つではありません。
二つ、三つ、……いえ、おそらくはもっと。
きっと、この世界に巣食う魔物なのでしょう。
『一人にしないで。お願い、誰か来て! 誰でもいいから!!』
そんな事を祈りながら、ギュッと胸元で震える手を握りしめた時でした。
じりじりとこちらに向け距離を詰めていた魔物達が、突如、酷く慌てた様子で元来た闇の中へ逃げ去っていくのが気配で分かりました。
……魔物達が一斉に逃げ出すなんて。
一体、どれ程までに恐ろしい存在が現れたというのでしょう?!
お化け屋敷やホラーゲームは大の苦手です。
『いっそ気絶している間に全て終わってくれれば、怖い思いも、痛い思いもしなくていいのに』
そんなことを思いながら、残念なことに意識だけはハッキリしている自分の神経の図太さを、うらめしく思いつつ。
ガタガタと震えながら、魔物達が逃げていったのとは反対側へ、おそるおそる目を向ければ――
暗闇の先に、黒い影が見えました。
バクバクと鳴る心臓の音が、やけに大きく聞こえます。
その音が遠くに現れたソレにまで届き、その神経を逆なでしてしまうのではないかと、そんな馬鹿げたことを恐れながら、なすすべもなく目を凝らしていると……。
暗闇の中を悠然と近づいてくるそれが、人型の『何か』であることが分かりました。
高い背に、ところどころひび割れた黒い鎧。
その手には長剣が握られ、目元は禍々しくも美しい黒狼の面で覆われています。
これが魔王? なのでしょうか??
私がそんなことを考えている間に、ソレはゆっくりとこちらへ歩み寄り、ついに私の隣に立ちました。
そして――
私の手首につながれた鎖を見るなり、ひどく不快そうに目を細めた次の瞬間、手にしていた剣でそれをいともたやすく断ち切ると、
「オレに捧げられた以上、お前は生涯オレのものだ。もう二度とここから出られない。残念だったな」
低く冷たい、けれどとても綺麗な成人男性の声で、暗く暗く嗤ってみせたのでした。
その時、私の頭に浮かんだもの。
それは、強い恐怖でも、抗いがたい忌避感でも何でもなく――
『関節は変な方向に曲がっていない。逆ブリッジで迫ってもこない。しかも私を、わざわざ探し出してくれた人型。つまり、ここではもはや神の助け!!!』
という、実に単純な図式で。
「助かったぁ!!!」
言うが早いか、目の前にある長い足にガシッとしがみつけば。
私の反応は、どうやら黒狼面のその人(仮)の想定とは少し(???)違ったのでしょう。
その人(仮)は嗤うのをやめ、ピタリとその場に固まりました。
数秒後――
気を取り直したらしいその人(もう面倒なので、以降「人」で通します)は、私の手首を強く掴むと、何も言わずどこかへ向かって歩き出しました。
しかし、その人と私とでは、歩幅の差は明らかで……。
『こんなところに、一人置いていかれてたまるかぁ!!!』
と、彼に掴まれている手首とは反対の手で、むしろこちらから彼の手をグワシッ!! と掴み返せば。
手を振り払おうとするでも、竦んで動けなくなるでもなく、むしろ自分から離れまいとしてくる私のそんな行動もまた、彼の想定の遥か斜め上を行くものだったのでしょう。
その人はまたしばらく、その場でたっぷり一分近くフリーズした後、いろいろ諦めたように私の手首をつかむ力を少し緩めました。
そして――
その人は再び、しかし今度は小さな私に歩調を合わせるように、先ほどよりも少しだけですが、ゆっくりと歩き出したのでした。
祭壇のあった場所よりも、さらにダンジョンの奥へ、奥へと下って行き。
その人に連れられてたどり着いた先にあったもの、それは、所々が朽ち崩れ落ちた、古びた礼拝堂でした。
蝶番の一部が壊れ、耳障りな音を立てる扉は四隅が欠け、外装は得体の知れない蔦が侵蝕し、あちこちにひびが走っています。
そして祭壇前に据えられた埃まみれのステンドグラスは暗く陰鬱にくすみ、本来なら色鮮やかな光を落とすはずの床に、今は深い深い闇を落としていました。
それでも……。
長年の埃にくすんでなお、床や梁、古い建具には艶やかな深い焦茶の面影が残り、飴色の家具には素朴ながら丁寧な曲線の意匠が施されていて。
古びてなお端正なたたずまいの名残を残すそこは、今でもずっと帰りたくて仕方がない、けれど今はもう駐車場に変わってしまった、亡き母方の祖母の家にどこか似ているように思われました。
「ここが、お前の終の棲……」
「わあ!! 素敵! お邪魔していいですか?!」
招待されたわけでもないのに、思わず前のめりにそう言えば。
何か言いかけていたその人が、またしても調子を崩したように黙り込むのが分かりました。
いけない、いけない。
せっかく迎えに来てくれたこの人に見捨てられ、ここを追い出されては大変です。
どうにか上手くこの失態を誤魔化さなくてはと、慌てて周囲に目を泳がせた、その時でした。
彼の後ろに、赤い熾火のような炎をまとった尻尾を揺らす、灰色の狼のような生き物を見つけました。
こちらに対して大した警戒も害意も見せない落ち着いた様子や、黒狼の面を被ったこの人に向かって小さく尻尾を振る様子から察するに、彼の飼い犬? 使い魔?? なのでしょう。
尾の先から火の粉がキラキラと零れる様と、その明かりを受け、時として銀色に輝くその毛並みが、そして暗がりで金色に光るその瞳があまりに綺麗で。
その背を撫でさせてくれないかなと、思わず黒狼面の彼の手を離した時でした。
彼は私の背を礼拝堂の奥にある部屋に向かい優しくトンと押すと、
「勝手に自害させるな」
そう狼に似たその魔物に短く命じ、外側からガチャリと鍵をかけたのでした。




