第18話|魔王様が真夜中に聖女を誘惑する話
疑似陽光の下、敷いたラグの上にコロンと横になり、灯雪と一緒にひなたぼっこを楽しんでいた時のことです。
「どうして、あの男と一緒に帰らなかったんだ? 結界は、オレと違ってお前を拒まないだろう。帰れば、お前は本物の陽を浴びることができたはずだ」
アルセルさんにそう言われ、私は思わず首を捻りました。
疑似陽光は、アルセルさんに喜んでもらいたくて作っただけで。
別に、私はどうしても陽ざしを浴びたかったわけではないのです。
「私、ここの暮らし好きなんですよ。日が差さないから、どれだけ寝坊しても罪悪感なくて済みますし。やりたいことを時間を気にせず、やりたいだけやって、眠りたいだけ眠れる。この環境、最高じゃないですか?」
ずっと思っていたことを、そのまま口にすれば、そんな不精な女性は、アルセルさんの周りにはいなかったのでしょう。
アルセルさんはまた、理解できないとばかりに頭を抱えてしまいました。
「だから今日は、気のすむまでひなたぼっこして、心ゆくまで夜更かししましょうね」
私がそう言って笑うと、アルセルさんは『理解出来ない』とばかりに首を振りましたが――
その弾みで、欠けた仮面から砂粒のように小さな欠片がポロリと地面に零れ落ちました。
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ひなたぼっこを堪能し、さて、そろそろ寝ようかなと思ったときでした。
私のお腹が、小さく鳴りました。
キッチンにある食材で作れるものを思わず頭に浮かべた後、いやダメだと、自分を戒めるように首を振れば、
「今度は何だ?」
隣に座っていたアルセルさんが、立てた片膝に腕を預けたまま、『もう何も驚かないから言ってみろ』とばかりにこちらを見ました。
訳を話せば
「腹が減っているなら、食って寝ればいいだけだろう?」
そんな、まるで何も分かっていないことを言われたので、
「ダメですよ! 寝る前に食べたら太っちゃいます。ただでさえ、ダンジョンに来てから少し太った気がするのに……」
ため息交じりに、別に言わなくてもよいことまで口にしてしまい、
「屈強な騎士でも、ダンジョンでは皆やせ細るものだぞ?」
と、さらにアルセルさんに呆れられてしまったのは完全なる墓穴です。
こうなったらお水を飲んで、早く寝てしまおう。
そう思った時です。
目が合ったアルセルさんが、ニヤリと口角を上げ、いかにも魔王様らしく甘言を囁きました。
「コルセットを締めて、ドレスを着飾って行く場所もないんだ。好きなものを腹いっぱい食えばいいじゃないか」
揺れる心を弄ばれているのだということくらいはねんねな私にも分かったので、必死にその誘惑を振り切り、その場を離れようとしたのですが
「そうか、お前の世界には、夜中に食いたくなるほど美味いものはなかったのか。残念だったな」
そう高度な煽り方をされ、
「そんなはずないでしょう!? アイスにおにぎり、そして夜食と言えば夜鳴きそばがですねぇ……」
思わずそう声に出してしまったが最後、それを聞きつけた私のお腹が『もう無理!』とばかりに、大きくグゥと鳴り響きました。
「だしを取る魚、取ってきます。その間にアルセルさんは責任取って、小麦粉代わりになる食材を採ってきてください」
楽しそうにお腹を抱えて笑うアルセルさんに、半眼になってそう告げれば、『どうせこうなると思った』とでも言いたげに、起き上がった熾火が、ぐーっと伸びをしました。
釣った魚を捌き、頭とアラを焼いたものに、湖で採れた藻と薄く削いだ干し肉を加えて煮込み、スープを作ります。
スープを濾していると、ちょうどアルセルさんが戻ってきたので、持ち帰ってくれた小麦粉の代用品である、キャッサバに似た水分の少ない地下茎を細かく砕いて粉状にします。
そこに鹹水代わりの井戸水を少しずつ加えて、粘りが出るまでよく練ります。
生地を少し休ませた後、うどんと同じ要領で薄く伸ばして細く切り、たっぷりのお湯で茹でれば――。
寝る前なのに、ホント、何ということでしょう!
実に美味しそうな、夜鳴きそばが完成してしまいました。
今度、二膳ほどお箸も作っておかないとな。
そんなことを考えながら、二人分のフォークを取り出します。
もちろん、こうなったらアルセルさんも巻き添えに決まっているからです!
ボウルを持って直接口をつけスープを啜れば、さっぱりとしていながら澄んだ、それでいて深みのある美味しさが口いっぱいに広がります。
ちゅるりと麺を啜れば、もちもちとした歯触りが心地よく、そこそこのハイカロリーゆえの旨みが、温かく小腹を満たしていくのがよく分かりました。
毒を食らわば皿までの精神で、最後の一滴まで美味しく飲み干したあと、向かいのアルセルさんに目をやります。
すると、背筋を伸ばしたまま、パスタのように器用にラーメンをフォークに巻き付け、仮面の口元に空いた隙間から、音を立てずに食べる魔王様の姿が見えました。
その全てがちぐはぐで面白くて、思わず噴き出した時です。
サファイアブルーの宝石のように綺麗な瞳と、意図せず真正面からばっちり目が合いました。
仮面に隠されて、その表情はもう分からないのに。
仮面が崩れていた時に見た、彼の笑顔を知っているせいでしょうか。
今、その下でどんなふうに口元を甘やかな笑みの形にしているのか、勝手に想像できてしまって、思わず頬が熱くなり、ぱっと目を逸らします。
「何だ? 今度はどうした?」
そう聞かれても、自分でもどうしてこんなことをしてしまったのか、上手く説明できず、
「こんな時間に食べちゃって。太ったらアルセルさんのせいですからね!」
顔を横に背けたまま、拗ねたような声でそんなどうでもいいことを言えば、
「残念だが、どれだけ丸々と太ろうと、ここからは逃がしてやらないがな」
アルセルさんがまた低く綺麗な声で、そんな微妙なことを言って笑ったのが分かりました。
急に表情の繕い方が分からなくなって。
机の上に突っ伏したまま、アルセルさんは意外と笑い上戸なのかもしれないなと、そんなことを考えていると
「ヒナタ?」
席を立ったアルセルさんが私の名を呼び、長い指で私の頬に触れ、そっと顔を上げさせました。
真っ直ぐにこちらを見つめるアルセルさんの目を直視できず、またオロオロと視線を彷徨わせていると、
「目を閉じろ」
また突然そんなことを言われ、
「へっ????」
ひっくり返った変な声が出ました。
「な? 何でですか?????」
「いいから。オレの言う通りに」
ふっという笑い声と共に落ちてきた、吐息交じりの酷く甘やかな声に、とうとう頭の処理能力が限界を迎えて。
アルセルさんに言われたからとか、もうそんなことすら関係なく、ギュッと目を閉じた時でした。
私の唇に、ふにゃっと柔らかなものが触れました。
驚いてパッと目を開けば――
唇に押し当てられていたもの、それはライチによく似た木の実でした。
その拍子に開いた口の中へ、それをころりと転がし入れられ、混乱したまま食べてみれば、甘く瑞々しい果汁が口いっぱいに広がります。
「……美味しい」
釈然としない気分のまま、それでも食べ物に罪はないのだと再び自分に言い聞かせながらそう呟けば、
「栄養価が高いほど美味いという、お前の理論からすれば、まぁそうなるだろうな」
アルセルさんが、実に不穏な物言いをしました。
「えっ?? ってことは、まさか、これ……」
思わず赤くなっていたであろう顔をサッと青くしながらアルセルさんを見上げれば……
「これ一つで、一日乗り切れると言われているダンジョン産の兵糧だ」
アルセルさんは、恐怖の魔王様らしくニヤリと嗤うと、お年頃のレディに対し、そんなとんでもなく恐ろしいことを言ってのけたのでした。




