第17話|木漏れ日とほろ苦パウンドケーキ
「危ない!!」
思わず飛び出した瞬間、肩口に焼けるような痛みが走りました。
「ヒナ、タ……?」
ギン君の手の中で、聖剣にピシリとひびが入りました。
次の瞬間、パキンと音を立てて聖剣が三つに折れ、二つの破片がキンキンと床へ落ちます。
「違う……僕は、ヒナタを助けたかっただけで、こんなこと……」
呆然とそう呟き、ショックのあまり、折れた聖剣の柄すら取り落としたギン君に向かい、
「ギン君、こんなところまで探しに来てくれて、ありがとう。ギン君が来てくれて、私、本当に、嬉しかったよ。……でもね、私、ここが好きで、まだここに居たいの。だから……一緒には、帰れない。ごめん、ね」
何とかそれだけを口にした時でした。
「喋るな! 血が!!」
そう言って、ギン君と同じく剣を投げ捨てたアルセルさんが、私の傷口をその手でグッと押さえました。
しかし溢れる血は一向に止まる気配を見せず、冷たいはずのアルセルさんの手を、何故かとても温かく感じた時でした。
「ヒナタ、僕は、ヒナタを……」
また何か言いかけたギン君に向かい、
「ヒナタを救いたければ、今すぐ失せろ!!」
初めて会った時よりも濃い闇をその身に纏いながら、懸命に私の傷を塞ぐアルセルさんが、ギン君に向かってそう怒鳴りました。
その声を、どこか遠くに感じながら
「……ヒナタ。必ず、また君を助けに戻るから」
そう言い残し走り去って行くギン君の足音を聞いた気がしたのを最後に、プツッと意識が落ちました。
******
ふと、ステンドグラス越しに差し込む明かりを眩しく感じ、目を開きました。
美しく降り注ぐ色とりどりの光を、ぼんやりと手の上に掬い取り
「ここは、天国?」
思わずそんな寝ぼけたことを口にすれば、
「残念だったな。お前が囚われているのは、相も変わらぬこの地獄だ」
そう言って、アルセルさんが優しく、けれどまるで私の手の上の光を閉じ込めるかのように、その大きな手を重ねました。
アルセルさんの顔を見て、私は思わず息をのみました。
半ばまで崩れていた仮面が元に戻り、その素顔をすっかり覆い隠してしまっていたからです。
美しかったサファイアブルーの瞳も、初めて会った時と同じ、仄暗い闇を溶かし込んだような深紅へと変わっていました。
「痛むところはないか?」
起き上がろうとした身体を支えられながらそう聞かれ、首を横に振りました。
アルセルさんの仮面にそっと触れれば、それは氷のように冷たく。
私を助けるために、アルセルさんにどれほどの無理を強いてしまったのかと思えば、剣で斬られた時以上に胸が痛みました。
「私のせい、ですよね?」
アルセルさんはきっとこれまでのように、私の迂闊さを叱った後で、それでも最後には、
『心配させるな』
またそう言って笑ってくれる、そう思ったのですが……。
想定に反し、
「……傷痕が残ってしまった」
アルセルさんはそう言うと、苦しげに俯くばかりで。
一体どれほど大変なことになっているのだろうと、恐る恐るアルセルさんの視線の先を見やれば……。
私の左肩には、ほんの小さな傷が一つ残っているだけでした。
「え?? これくらい全然気になりませんよ?? なんなら、こっちのジャングルジムから落ちた時の傷痕の方が大きいくらいですし」
そう言って思わず足を見せようとすれば、はしたない真似をするなと今度こそ怒られ、これこそアルセルさんだと密かにホッとします。
アルセルさんがこんな小さな傷にいつまでも落ち込む理由が本当によく分からなくて
「そんなに気になりますか??」
思わずそう尋ねれば
「そんなわけ、ある筈がないだろう!」
アルセルさんは真剣な様子で、何故か即座にそう言い切ると、仮面越しではありましたが、私の傷痕にそっと唇を落としてみせたのでした。
どうやら私とは異なる文化圏で育ち、生真面目なアルセルさんは、私が単純に『傍目にこの傷が目立つかどうか』という話をしていたのに対し、『女性の身体に傷痕が残ることを気にするかどうか』という意味に受け取ってしまわれた模様。
そのまま慰めるようにギュッと抱き寄せられ、どうしていいか分からなくなった私の頬が、またボフンと熱波を放つかと思ったその時でした。
その火照りをきっかけに、聖剣から放たれた熱と、そこからひらめいたあるアイデアを思い出しました。
「そうだ、聖剣! あの折れた聖剣、まだ捨ててませんよね?!」
「……捨てるも何も。オレがアレにおいそれと触れられるはずないだろう」
その言葉にホッとしつつ、善は急げと立ち上がり礼拝堂を出れば。
三つに折れた聖剣が、無造作に地面に打ち捨てられたままになっていました。
あぁ、なんて理想的なサイズなのでしょう!
竈用に置いてあった火ばさみで挟み、どうすれば光るんだろうとあれこれ試した末、お城の偉い神官さんに覚えさせられた祈りの言葉を口にすれば。
折れた刀身が、ギン君が持っていた時以上に眩く光り輝きました。
いいじゃないですか!
最高の材料が手に入ったところで、早速例のアレ、作っていきましょう!!
まず最初に、アルセルさんに取ってきてもらった、緑の葉を生やした蔦で籠を編みます。
次に、その中へ灯雪が入っていた殻を納めました。
そうしてそれを、カーテンを外した庭の天井に吊るします。
最後に折れた聖剣を、薪をくべるがごとく上から差し込めば……。
暗く、肌寒かった庭に、ついに明るく温かな木漏れ日が降り注ぎました。
背後で、アルセルさんがハッと息をのみ、ピタリと動きを止めたのが分かりました。
仮面がどうなったか期待して振り返れば……。
残念ながら、以前よりもアルセルさんが孕む淀みは強いものなのでしょう。
仮面には、ヒビ一つ入っていませんでした。
しかし、アルセルさんが目を細め、眩しそうに天井改め空を見上げるうち――
その赤い瞳がオレンジから金色へと変わり、そこから徐々に寒色へと染まっていった後、最後にはまた、美しいサファイアブルーへと戻っていくのがすぐ近くに見えました。
どうすれば、また仮面が崩れるだろう。
そう思った私は、これまでアルセルさんの仮面が崩れてきた時のことを、改めて思い返してみました。
最初は、星空の下で紅茶を飲んだ時。
その次が、スコーンを食べた時。
そして、おでんを食べた時。
漠然と、美味しいものを食べてもらえば良いような気がしていましたが……。
よくよく思い返してみれば、それだけでは説明がつかない場面も多々ありました。
もしかして、幸せな気持ちになった時に、あれは崩れる?
だとしたら、アルセルさんを幸せにするには、どうしたらいいんだろう??
そう思った時です。
ギン君が置いて行った食材を見て、また良いことを思いつきました。
幸せと言えばお祝い事。
お祝いと言えばケーキ。
そう、ケーキです!
地上の材料で焼いたケーキを食べれば、またきっと仮面が崩れる筈。
そう思って、ギン君が置いて行った材料で、パウンドケーキを焼いてみたのですが……
「……あの男の持ってきたものは口に入れたくない」
苦しげにそう言われ、アルセルさんに食べてもらうことは諦めました。
でもでも。
食べ物に罪はないので、出来上がったパウンドケーキは、スタッフよろしく私が責任をもって全て美味しくいただくことにしました。
「いっただっきまーす!」
熾火が綺麗に焼きあげてくれたケーキはお砂糖たっぷりで、甘い甘いもののはずなのに何故でしょう???
一人で食べるそれは、私には、どこか微かにほろ苦く感じられて仕方なかったのでした。
「いつか、ここで採れた食材で、これ以上に美味しいケーキを焼きますから。だから……だから、その時こそは、絶対一緒に食べましょうね!?」
何て言ったらいいのか分からなくなったあまり、言うに事欠いて、前のめりになりながらそんなことを思わず口走れば……。
アルセルさんは、先日の食材採取の事を思い出したのでしょう。
「今度は間違えないようにする」
そう言って、仮面の下で、またどこか楽しげに笑ってくれた――そんな気がしました。
その頃――
魔王討伐に失敗し、聖剣までも失ったギンがその責を負い、王城の地下牢に繋がれていた。
再びダンジョンへ向かう機会を得るため、ギンは牢を訪れた国王エルドリックの前に跪き、声を低く落として告げる。
「聖女ヒナタの生存を確認しました」
その瞬間、エルドリックの目の色が変わった。
「ヒナタが、生きている?」
長い沈黙の後、エルドリックは実に忌々しげに顔を歪めた。
「今になって、繰り返しその名を聞くことになるとはな」
そうして彼は、凍えるようなアイスブルーの瞳でギンを見下ろしながら告げた。
「生きたまま、アレを私の前へ連れてこい。……二度と、失敗は許さん。必ずだ」




